まずは原文から!
祗園(ぎおん)清水(きよみず)智恩院(ちおんいん)
吉田(よしだ)黒谷(くろたに)眞如堂(しんにょどう)
ながれも清(きよ)き水上(みなかみ)に
君がよまもる加茂の宮(かものみや)
さらに読みやすく!
祇園(ぎおん)清水(きよみず)智恩院(ちおんいん)
吉田(よしだ)黒谷(くろたに)真如堂(しんにょどう)
ながれも清(きよ)き水上(みなかみ)に
君がよ(君が代)まもる加茂の宮(かものみや)
さあ、歌ってみよう!
♪ぎおんきよみず ちおんおん
♪よしだくろたに しんにょどう
♪ながれもきよき みなかみに
♪きみがよまもる かものみや
(京都市営地下鉄烏丸線)
京都駅→五条駅→四条駅→烏丸御池駅→丸太町駅→今出川駅
→(至・国際会館駅)
(京都市営地下鉄東西線)
烏丸御池駅→京都市役所前駅→三条京阪駅→東山駅→蹴上駅→御陵駅
→(至・山科駅)
※上記は全ての駅でなく、今回の京都観光に必要と思われる駅などを筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
今回も、京都観光が目白押しです。
京都は平安京が始まってから約1,200年もの歴史を誇る、非常に長い歴史を持つ「かつての日本の首都」であり、また戦災による被害を受けなかったころから、歴史的な建物が多く現存しています。
そんな「日本の歴史の代表格」ともいうべき京都の街を、たくさん観光していきましょう。
そして今回はいわゆる、神社仏閣(じんじゃぶっかく)巡りがメインです。
つまり、神社やお寺のをたくさん回ることとなります。
今回の歌詞は、とにかく多くの神社やお寺の名前が、これでもかといわんばかりに登場します。
まずは簡単に、今回の歌詞に登場する神社仏閣を以下に列挙します。
八坂神社(やさかじんじゃ。かつての名前は祇園社)
清水寺(きよみずでら)
知恩院(ちおんおん)
吉田神社(よしだじんじゃ)
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ。通称:黒谷さん)
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ。通称:真如堂)
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
下鴨神社(しもがもじんじゃ)
京都は794年に平安京といって都(みやこ)がこの地に移されてから社会の政治の中心であり、またこの間に多くの仏教をはじめとする宗教が発展していきました。
まず大前提として、「神社」と「お寺」は異なります。
神社は、「神道(しんとう)」という日本が誕生したときから約2,680年間に渡って信じられてきた、日本オリジナルの宗教の神様を拝む所です。「イザナギ」「イザナミ」「天照大神(あまてらすおおかみ)」などの神道の神様は、天皇陛下の祖先とされています。
お寺は、「仏教」という西暦538年に大陸から伝わってきた、仏様を拝むための場所です。
しかし、日本ではお盆にお墓参りして、クリスマスを祝って、初詣(はつもうで)をして、教会で結婚式を挙げて、お葬式を行う・・・というように「神道」「仏教」「キリスト教」など様々な宗教の行事が入り交じっているため、日本人の宗教観はよく言えば「柔軟性が高い」、悪く言えば「いい加減」ともいえます。
こうした日本独特の文化は、「神様は絶対唯一のものであり、常に神様は一人である」という欧米諸国の外国人からすれば理解しがたいようです。
また、日本が「神仏習合」といって神様も仏様も同じ存在であるという考え方や、仏教にも様々な宗派が存在し、同じ仏教でも価値観や「悟りに到達する」ための難易度が異なるのも、いい意味で日本人の宗教に対する柔軟性が高い証であるともいえます。
さらに前提ですが、「奈良仏教」「平安仏教」「鎌倉仏教」は、特徴が大きく異なります。
「奈良仏教」
南都六宗(なんとろくしゅう)といって、どちらかというと学問の研究に近いイメージで、難易度は高く、一般的な人向けというよりは高貴な人向けのものでした。東大寺の大仏のように、天皇が世の中を無病息災のために祈る目的で仏教がその役割を果たしました。
「平安仏教」
奈良の難解な仏教と異なり、最澄や空海によって「もっと本当の仏教を追求したい!」といって中国(唐)に渡り、日本に戻ってきて天台宗・真言宗を開きました。
それは「密教」といって、本にも書かれていない(書くことができない)ほどに難しく、悟りに達するためには相当な修行を必要とするものでした。
「鎌倉仏教」
平安時代までの難しい仏教とは異なり、例えば「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで人々は幸せになれますよ、という非常にイージーな宗教となり、当時の人々にとっては衝撃でした。これにより、それまでは高貴な人に限られていた仏教はより一般に普及し、現代でも鎌倉仏教の日本人は多いです。
しかし、この難易度の低さから、それまでの「仏教とは厳しく難しいものが本物なんだ!」という人々と対立し、開祖や僧侶が流罪にされたりもしました。
では、ここまでの基本的知識を踏まえた上で、鉄道唱歌に登場する神社仏閣についてみていきましょう!
祇園(ぎおん)とは、ここでは八坂神社(やさかじんじゃ)のことを言います。
八坂神社は四条河原町(しじょうかわらまち)と鴨川(かもがわ)のやや東、京都市東山区祇園町に存在します。
八坂神社(やさかじんじゃ)は全国の祇園神社の総本社(そうほんしゃ)という扱いになります。
総本社とは、最もランクの高い神社ということですね。
八坂神社はスサノオ(素戔嗚尊または須佐之男命)という神様を祀(まつ)る神社です。
スサノオは、出雲国(いずものくに。現在の島根県)で斐伊川(ひいがわ)の上流で、ヤマタノオロチという日本神話における怪物を倒したことで知られます。
ヤマタノオロチ(八岐大蛇)とは、頭としっぽが8つある怪物です。
そのヤマタノオロチの尻尾から出てきた剣というものが、天叢雲剣(あめのむらくも)つまり草薙剣(くさなぎのつるぎ)ということになります。
ではなぜ八坂神社やその周辺の地域が「祇園」というのかというと、八坂神社は明治時代になるまでは「祇園社」という神社であり、祀られている神様もスサノオではなく、「牛頭天王(ごずてんのう)」というインドの祇園総社(ぎおんそうじゃ)の神様でした。
この牛頭天王(ごずてんのう)にちなんで、「祇園」「祇園社」などのように呼ばれるわけです。
しかし、明治時代になると「国家神道(こっかしんとう)」といって、日本を欧米諸国に対抗できる強い国にするために日本古来の神道を何より大切にするようになりました。そのため、インド由来の「祇園社」という名称は当時の日本に相応しくない、ということで「八坂神社」に改められ、また神様もスサノオに改められた、という経緯があります。
八坂神社では毎年7月に、祇園祭りというお祭りが開催されます。
清水寺(きよみずでら)は、非常に高い位置にお寺があることで有名です。嵐山や金閣寺・銀閣寺などと並んで、京都の超有名観光スポットの代表格ともいえるでしょう。
「清水(きよみず)の舞台から飛び降りる」なんて言葉も有名ですよね。
昔の人からは「清水の舞台から飛び降りると、本当に願いが叶ったり 、幸福になったりする」と信じられてきました。(本当に清水寺から飛び降りないでくださいね!確実に死にます!!)
それが転じて、何か思い切った行動する時・チャレンジをするとき・決死の覚悟で望む時に、「清水の舞台から飛び降りる」という表現をします。
知恩院(ちおんいん、京都市東山区)とは、鎌倉時代に流行った浄土宗という宗派の総本山です。つまり、浄土宗で最高ランクに位置する格式のとても高い寺であり、お寺もそれに相応しい、とても大きくて荘厳な威容を誇ります。
浄土宗の開祖は法然(ほうねん)という方になります。
浄土宗は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というような念仏を唱えれば救われるという風に言われていたので、それまでの厳しい修行を必要としていた仏教とは一線を画したものとなりました。
「南無」とは、「帰依(きえ)します」という意味です。つまり、「信じます」という意味になります。
また、「阿弥陀さま」は、悟りを開いた(つまり、この世の何もかもを知り尽くした)、困っている人々をいつも見守ってくださるありがたい仏様のことをいいます。
つまり、「南無阿弥陀仏」とは、仏様に心を込めて帰依します(信じます)、という意味になります。これにより、(厳しい修行をしなくとも)仏様が困っている人々を救ってくださるということで、当時多くの人々の間で人気が出た(今でいう「バズった」)わけです。
「吉田神社」は、奈良県の奈良公園や東大寺の近くにある「春日大社(かすがたいしゃ)」の京都バージョン、と思ってもらえればいいでしょう。
奈良の春日大社で祀られているのは、大化の改新で勝利し、後に「藤原」の苗字を与えられた中臣鎌足(なかとみのかまたり)を祀る神社ですが、その神様である中臣鎌足の魂を京都にお招きした(これを難しい言葉で「勧請(かんじょう)」といいます)のが、吉田神社である、と覚えておけばよいでしょう。
「黒谷(くろたに)」とは、いわゆる「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ、京都市左京区)」のことをいいます。
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、通称・黒谷さん(くろたにさん)という名前で親しまれ、先ほど述べた知恩院と同じように浄土宗のお寺となります。
ただしこちらは総本山ではなく、大本山という扱いにとなります。
先ほど述べたように、浄土宗の最高ランクのお寺は知恩院(ちおんいん)になります。しかし、金戒光明寺も大本山という位置づけなので、浄土宗の中ではかなり格式の高いお寺になります。
「真如堂(しんにょどう)」は、正式名称を「真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)」といいます。
真正極楽寺は、これも起源や概要を説明すると難しいのですが(私もかなり勉強したけどあまりよくわかりませんでした)、要するに天台宗・比叡山(ひえいざん)の京都バージョンのお寺、と思ってもらえればよいでしょう。
つまりその昔、ある天台宗のお坊さんがこの地に天台宗の仏様をお招きする時に、夢の中で「京都のこの地に天台宗のお寺を建てよ。そうすれば幸せになれるであろう」という仏様からのお告げがあったから建てられたということです。滋賀県大津市の石山寺(いしやまでら)もそうでしたが、こうした夢の中での神様や仏様のお告げをヒントにしてできたお寺は少なくないようです。
「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」は、賀茂氏(かもし)というその昔に京都で勢力を持っていた一族を祀(まつ)る神社です。
「加茂」「賀茂」という地名は全国にあると思いますが、これはあくまで一説ですが京都の賀茂氏や「上賀茂神社」「下鴨神社」に由来するとも言われます。
また、同じ「かも」でも、「鴨」「加茂」「賀茂」など様々な表記揺れがあります。
昔は現在ほど漢字の表記が一定ではなく統一されていなかったため、こうした表記揺れはごく普通に存在していました。
また、鴨川も上流では「賀茂川」と漢字が異なります。
賀茂川は、高野川(たかのがわ)という川と、京阪線の出町柳駅(でまちやなぎえき、京都市左京区)と下鴨神社の存在するあたりで合流します。その後、「鴨川」に漢字表記を変えます。
この地形はアルファベットの「Y」の文字のようになります。左上が「賀茂川」、右上が「高野川」、下が「鴨川」、中心部が出町柳駅・下鴨神社付近となります。
つまり上流部が「賀茂川」「上賀茂神社」、下流部が「鴨川」「下鴨神社」と覚えておけばわかりやすいでしょう。
いかがだったでしょうか。
今回は神社仏閣メインとなってしまいましたが、少しでもその歴史や概要について理解していただければ幸いです。
今回紹介した京都の神社仏閣は、どれも地方のそれと比べてひと回りもふた回りもスケールが大きくて、どれも豪華なものばかりです。
それらを見て「うおーっ!!すごい!!でかい!!これが京都か!!さすが京都だ!!写真で見たのよりずっとすごい!!」と感動するだけでももちろん十分楽しめます。私も最初に京都に来たときはそうでした。
しかし、こうした神社仏閣や神道・仏教の歴史を概要だけでも知っておくと、さらに神社仏閣めぐりが楽しく充実したものになります。
少しでも皆さんの楽しい神社仏閣めぐりの一助になれば幸いです。
次回以降も、まだまだ京都観光編は続きます!!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
コメント