鉄道唱歌 山陽・九州編 第19番 広島を出発し、宮島方面へ 横川・西広島・五日市を過ぎる 

まずは原文から!

己斐(こい)の松原(まつばら)五日市(いつかいち)
いつしか過すぎて嚴島(いつくしま)
鳥居(とりい)を前にながめやる
宮嶋驛(みやじまえき)につきにけり

さらに読みやすく!

己斐(こい)の松原(まつばら)五日市(いつかいち)
いつしか過すぎて厳島(いつくしま)
鳥居(とりい)を前にながめやる
宮島駅(みやじまえき)につきにけり

さあ、歌ってみよう!

♪こーいのまつばら いつかいちー
♪いつしかすぎてー いつくしまー
♪とりいをまーえに ながめやるー
♪みやじまえきにー つきにけりー

(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

己斐の松原(こいのまつばら)とは、現在の西広島駅(にしひろしまえき、広島市西区)周辺にあったとされる松原のことをいいます。
現代では、この辺りに松原は存在しません

また、西広島駅は明治時代の開業当初は「己斐駅(こいえき)」という名前でした。

己斐(こい)とは、カープ(鯉)の語源となった言葉でもあります。

己斐→鯉となり、広島城は「鯉城(りじょう)」という別名で呼ばれていました。

この「鯉城(りじょう)」から、鯉→Carpとなり、広島東洋カープの名前の由来になっています。

広島駅を出ると、新白島駅(しんはくしまえき、広島市中区)というアストラムラインと交差する駅に着きます。
ここから広島市街地中心部の「本通り」まで行けるので便利です。
もちろん、本通りや紙屋町(かみやちょう)・八丁堀(はっちょうぼり)方面へは、路面電車で広島駅からも行けます。

アストラムラインとは、1994年に開通したトラム式の鉄道列車です。トラム式は、富山(とやま)でもみられる方式の鉄道です。
アストラムラインは、1991年に歩道橋が落下するという悲惨な事故が起きており、工事のミスが指摘されています。

横川駅(よこがわえき、広島市西区)は可部線(かべせん)との分岐点となっています。
群馬県横川駅(よこかわえき)とは異なり、また読み方も異なるで注意しましょう。

広島県→よこがわ
群馬県→よこかわ

群馬県の横川駅は、軽井沢方面へ続く碓氷峠(うすいとうげ)の険しい急な坂道を克服するため、明治時代に「アプト式」という方式を採用した線路として知られます。

可部線(かべせん)はかつて、日本海側の島根県浜田市(はまだし)までを結ぶ、陰陽連絡路線(いんようれんらくろせん)の役割を担う路線として建設計画がされました。

しかし実際には戦争中に建設が断念され、途中の三段峡駅(さんだんきょうえき)までの建設となりました。
横川駅~可部駅~三段峡駅までの営業だった)
その三段峡駅までの区間も、途中の可部駅までの区間を残して2003年に廃止となってしまいました。
横川駅~可部駅までの営業に変更に変更)

これは沿線の人口減少や、1960年代以降のモータリゼーションなどに勝てなかったことなどが挙げられます。
自動車が普及して高速道路が充実してくると、無理に線路を建設しても利益が上がらないことは容易に想像できたためですね。
しかし、2017年には可部駅からあき亀山駅(あきかめやめえき、広島市安佐北区)までの区間が地域住民の要望により復活して、可部線の区間は横川駅~可部駅~あき亀山駅、となっています。

西広島駅を境に、それまで市街地の道路を走る路面電車であった広島電鉄(通称・広電)は、ここでバラスト+枕木(まくらぎ)の通常の鉄道線路になります。
なお、バラストとはいわゆる線路にまく「じゃり(砂利)」のことをいいます。
また、枕木(まくらぎ)とは、線路と垂直に何枚も並べて敷く、あの板のことです。

ここで広電は、宮島までJR山陽本線と並行します。
しばらくして 新井口駅(しんいのくちえき、広島市西区)や五日市駅(いつかいちえき、広島市佐伯区)などを過ぎていきます。
広島電鉄はJR線と比較して停車駅が多いので、ゆっくり走る広電を追い抜いていくJR山陽本線はまるで特急列車や新幹線のように思えてしまいます。
広島電鉄は地域住民の「近場の移動の需要を拾う」のがメインという性格もありますが、八丁堀(はっちょうぼり)や紙屋町(かみやちょう)など、JR線が通っていない広島市街地中心部から宮島へ発着できる強みもあります。

五日市駅(広島市佐伯区)

この地域には、「五日市(いつかいち)」「廿日市(はつかいち)」という、似たような地名が続きます。
これは、昔の市場というのは、何日か1回に開かれるのが当たり前だったことに由来します。
例えば「五日市」ならば5日に1回の売り出しを行い、「廿日市」ならば20日に1回のペースで売り出しを行います。
他にも、広島とは関係ありませんが「八日市(ようかいち)」ならば、8日に1回です。
また、東北地方の馬市(うまいち)のように、春と秋の年2回という限定的な市場もあったようです。
「じゃあ残りの店をやってない日はどうしてたの?」と思うかもしれませんが、私も調べたけどよくわかりませんでした。
恐らく、この隙間の日には、農業と兼業していたのかもしれません。また、昔は現代と違って仕入れや品物の保管も大変だったため、現代と違って毎日店を開けなかったのかもと思います。
しかし、貨幣経済が次第に発展してくると、商業をメインに生業(なりわい)とする人も増えてきたことでしょう。
卸売業(おろしうりぎょう)」などができれば、仕入れや輸送などのコストや手間がなくなるために分業体制が進み、お店はモノを売ることだけに専念できます。

このように、昔はこの「五日市」「廿日市」などのように、店が開かれる日は限定的であり、消費者はそれに合わせて買い物にいかなければなりませんでした。
現代のようにコンビニが24時間365日オープンしているというのは、当時の常識からしたらむしろありえない話なのでした。
余談ですが、現代の日本はサービス過剰ともいわれ、これだけ便利な世の中ですから、そのシワ寄せは必ず「労働者の長時間労働・重労働」という形で跳ね返ってきます。また、コンビニの店員も常に人手不足であり、時給を高く設定しないと求人を出しても誰も面接に来てくれませんから、時給も1,000円~1,200円など当たり前の世の中となりました。
その時給が上がった分は商品の値段にシワ寄せされるため、昔は100円で買えたオニギリも150円~180円ほどにまで値上げされています(もちろん、円安などによる輸入品原材料高騰の影響もあり)。

他にも、「五日市」「廿日市」などと同じような語源の街として、三重県の四日市市(よっかいちし)や、福岡県の二日市(ふつかいち)などがあります。
また、五日市(いつかいち)という地名は、東京都の西部にある、あきる野市にもあった地名です。それは「五日市線」「武蔵五日市駅」という名称に残っています。
なお、武蔵五日市駅という駅名は、恐らく広島県の五日市駅と駅名が重複しないよう、旧国名「武蔵国(むさしのくに)」の「武蔵」を頭につけて、駅名重複を回避したのでしょう。

やがて、廿日市駅(はつかいちえき、広島県廿日市市)や宮内串戸駅(みやうちくしどえき、広島県廿日市市)などを過ぎていくと、窓の左側には大きな宮島(みやじま)の景色が登場します。
ほどなくして、宮島口駅(みやじまえき、広島県廿日市市)に到着です。

宮島口駅(廿日市市)

広島県廿日市(はつかいちし)には、速谷神社(はやたにじんじゃ)という交通安全の神様を祀(まつ)る神社があります。また、宮島も廿日市市に属する島です。
かつて鉄道も無かった江戸時代以前は、この辺りは山陽道(さんようどう)というふうに言われてました。山陽道は西国街道(さいこくかいどう )ともいわれます。
西国街道とは京都の東寺(とうじ)を出発して九州に至る、徒歩または馬でゆく昔の旅人が通った道のことです。
かつて菅原道真(すがわらのみちざね)公も、九州の大宰府へ左遷のときに西国街道を通ったとのことです。

次回は、宮島へ船で渡ります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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