鉄道唱歌 山陽・九州編 第45番 「たとえこの身が朽ち果てようとも、天皇陛下への恩は忘れない」

まずは原文から!

身は沈(しず)めども忘れぬは
海より深き君(きみ)の恩
かたみの御衣(ぎょい)を朝毎(あさごと)に
さゝげてしぼる袂(たもと)かな

さらに読みやすく!

身は沈(しず)めども忘れぬは
海より深き君(きみ)の恩
かたみの御衣(ぎょい)を朝毎(あさごと)に
ささげてしぼる袂(たもと)かな

さあ、歌ってみよう!

♪みはしずめーども わすれぬはー
♪うみよりふかきー きみのおんー
♪かたみのぎょいを あさごとにー
♪ささげてしぼるー たもとかなー

これまで解説してきたように、大宰府(だざいふ)に左遷されてしまった菅原道真公は、当時はもう本当に「天に泣いても天は何も言ってくれない」ほどの惨めな窮地に陥りました。

そしてそんな衣食住もままならない暮らしを大宰府で送っていた菅原道真公は、一年前に京都で天皇陛下のそばで仕事をしていた時に天皇陛下から頂いた大切な「御衣(ぎょい)」を、大宰府にまで持ってきていたのでした。

「袂を絞る(たもとをしぼる)」とは、ここではつまり「泣く」いう意味です。
それも、大声でひどく泣くことを意味します。
つまり、菅原道真公が大宰府において、どれだけ悲しい日々を送ったことがわかるはずです。
一体、どれだけみじめな生活だったことでしょうか。
これまで彼が一生懸命勉強してきた大切な本も、全部濡れてしまったそうです。

しかし、たとえこの身が朽ち果てようとも、絶対に忘れないのは、海よりも深い君(=天皇陛下)がくれた、その恩であるということです。

大宰府を観光すると、「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」というお菓子が売られています。
これは、大宰府に左遷されてきた菅原道真公の惨めな姿を見かねたおばあさんが、彼に差し入れていた餅のことです。
大宰府に来られた際には、ぜひこの「梅ヶ枝餅」を堪能してみましょう。

次回も、まだまだ大宰府シリーズ編は続きます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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