鉄道唱歌 北陸編 第26番 「田毎の月」 多くの詩人や絵師に愛されてきた、月の名所

鉄道唱歌 北陸編の歌詞(田毎の月、冠着山など)について、鉄道に詳しくない方にも、わかりやすく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

田毎たごとつきの風景も
見てゆかましを秋ならば
雲をいたゞく冠著かむりき
山はひだりにそびえたり

さらに読みやすく!

田毎たごとつきの 風景も
見てゆかましを 秋ならば
雲をいただく 冠着かむりき
山はひだりに そびえたり

さあ、歌ってみよう!

♪たごとのつーきの ふうけいもー
♪みてゆかましをー あきならばー
♪くーもをいただく かむりきのー
♪やーまはひだりに そびえたりー
(しなの鉄道線)
軽井沢駅→信濃追分駅→御代田駅→小諸駅→大屋駅→上田駅→坂城駅→千曲駅→屋代駅→篠ノ井駅

(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

かつてより詩に詠まれてきた「田毎の月」

上田駅(うえだえき、長野県上田市)を出ると、列車は

  • 坂城駅(さかきえき、長野県埴科郡坂城町)

を過ぎて、やがて千曲駅(ちくまえき、長野県千曲市)へと至ります。

田毎の月(たごとのつき)とは

田毎たごとの月とは、前回紹介した姨捨山おばすてやま、別名・冠着山かむりきやまふもとにある、格子状にたくさんある田んぼごとに映った月のことを言います。

篠ノ井線の車窓より。右側が姨捨山(冠着山)、写真中央あたりが「田毎の月」で有名な「姨捨の棚田」。

篠ノ井線の車窓より。右側が姨捨山(冠着山)、写真中央あたりが「田毎の月」で有名な「姨捨の棚田」。

冠着山については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

冠着山(姨捨山)の観光と歴史について、わかりやすく解説! 篠ノ井線の旅【後編】
冠着山(長野県)の観光・歴史について、旅行・地理・歴史に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!筆者現地探訪日:2024年4月2025年4月18日に起きました、長野北部地震で被災された方々へ、お見舞い申し上げます。篠ノ井線の旅シリーズ...

姨捨の棚田(おばすてのたなだ)に移る、田毎の月

それは、

  1. 冠着山かむりきやまふもとに、田んぼ(姨捨の棚田/おばすてのたなだ)が、格子状に並んでいる
  2. 夜になると、月が各々の田んぼ(の水面)に写る、
  3. それらがまるで、地上に月がたくさん光っている

かのようなシーンを演出します。

「浮世絵」の題材にもなった、田毎の月

これが後述するように江戸時代の「浮世絵」の格好の題材となったり、現代でいう「インスタ映え」のような景色の描写となるのです。

「絵になる」「える」とは、まさにこのことですね。

冠着山の真下に広がる、「田毎の月」で有名な「姨捨の棚田」(長野県)

冠着山の真下に広がる、「田毎の月」で有名な「姨捨の棚田」(長野県)

また、姨捨山や田毎の月は、多くの風雅士みやびお(歌人のこと)によってまれ、多くの詩歌しいかに登場します。

これは長野県歌・「信濃の国」の第4番でも歌われています。

歌川広重の「浮世絵」

また、先述したように「田毎の月」は歌川広重(うたがわ ひろしげ)などさまざまな浮世絵に登場します。

歌川広重の書いた浮世絵(うきよえ)には、イラストの中に田んぼに映る月がくっきりと丸く描かれています。

もし江戸時代にインスタ(Instagram)があって、歌川広重がインスタにこの浮世絵を投稿したら「いいね」が3,300万個(※)はついたでしょう。

※3,300万というのは、江戸時代の日本の人口です。

「浮世絵」とは

浮世絵(うきよえ)とは、現代でいうところの「インスタ映えする画像」のようなものと思ってください。
「江戸時代版Instagram」のようなものだと思ってもらえればOKです。
つまり、江戸時代の旅人たちが描いた情緒あふれるイラストや絵画(かいが)のことを言います。

これは現代の我々が、例えば景勝地などに行くとスマホで写真をパシャパシャやる行為と似ています。
しかし、当時はスマホもカメラも無かったので、絵画(かいが)に残すのが主流だったのです。

「浮き世」とは?

浮世(うきよ)とは、いわば「世の中」のことです。
ただし、どちらかというと「憂鬱な世の中」というようなマイナスの意味です(「憂き世」とも書きます)。

浮世絵」というと、ここでは「当時の世の中を描き表した絵画」というような意味合いになります。
浮世絵を眺めることで、当時の人々の様子(服装、家屋、道路、景観など)を伺い知ることができます。

歌川広重とは?

歌川広重(うたがわ ひろしげ)は、江戸時代の浮世絵(うきよえ)作家です。

あの東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)において、それぞれの宿場町のイラストを書いたのも、あの浮世絵師の歌川広重になります。

稲荷山にかつて存在した「稲荷山宿」

稲荷山にはかつて、北国街道の宿場町である稲荷山宿(いなりやましゅく)がありました。

そしてこの稲荷山の近くには、久米路橋(くめじばし)という、「木曽の桟(かけはし)」と並んで当時から往来が危険な橋がありました。

長野県歌「信濃の国」第4番では、

木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋

と歌われていて、それなりに覚悟して渡らなければならない橋だったことが伺えます。

中央線鉄道唱歌 第48番でも、

久米路の橋に行く人の 下車する駅は稲荷山

と歌われており、篠ノ井線(しののいせん)には

  • 稲荷山駅(いなりやまえき、長野県長野市篠ノ井)

という駅があります。

久米路橋については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

中央線鉄道唱歌 第48番 稲荷山駅と、久米路橋の恐ろしい物語 やがて篠ノ井駅から信越本線へ
中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

姨捨駅のスイッチバック

稲荷山駅は、スイッチバックで有名な

  • 姨捨駅(おばすてえき、長野県千曲市)

の次の駅です。

スイッチバックとは?

スイッチバックとは、一旦先頭車両から(枝分かれした線路の駅のホームに)突っ込み、駅のホームで乗客を乗り降りさせ、バックして、再び本線へ戻って進む構造のことです。

なぜ駅にスイッチバックが設けられるのかというと、きつい勾配の上に列車を停車させる事態を回避するためなど、様々な理由が存在します。

姨捨駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

中央線鉄道唱歌 第47番 心慰むべき、姨捨山に入る月 秋は田毎に映り、おぼろに照らす
中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

次は、篠ノ井駅・川中島方面へ

次は、篠ノ井線との分岐点である篠ノ井駅(しののいえき)、そして古戦場で有名な川中島(かわなかじま)方面へ進んでゆきます!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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