長崎県の雄大な大村湾に沿った路線である大村線の観光・歴史(ハウステンボスや長崎空港の歴史など)を、わかりやすく解説してゆきます!
今回は、大村湾・大村線の話題

大村湾(大村線の車窓より)(長崎県)
今回も前回に引き続き、長崎県の大村湾・大村線の地理・歴史について学んでゆきましょう!
大村線の基本や歴史などについては、以下の前回の記事でも解説していますので、ご覧ください。


大村湾(大村線の車窓より)(長崎県)
大村線と大村湾の交通の歴史
かつて「向こう岸」への最短ルートだった大村湾

大村湾(長崎本線╱長与経由)(長崎県)
大村湾は、かつて(まだ鉄道も自動車も無い時代は)船で「向こう岸」へ行くための最短ルートでもあり、また海路への乗り換え地点でもありました。
「向こう岸」時津への海路最短ルートだった彼杵
特に大村湾の北東に位置する地域である彼杵は、陸路から大村湾を船で渡る「海路(大村湾の南西にある地域である時津まで)」への分岐点でもありました。

大村線・彼杵駅(長崎県東彼杵郡東彼杵町)
すなわち、かつての大村湾は船で通りさえすれば、陸路をずっと歩き続けるよりもずっと楽だったため、多くの旅人や大名から重宝されたというわけです。
時津と長与の地理関係:お隣さん同士
また、大村湾の南西に位置する地域である時津町のすぐ東隣は、明治時代からの長崎本線のルートの重要拠点であった長与町になります。

長与駅(長崎本線╱長与経由)(長崎県西彼杵郡長与町)
これらの2つの町は、どちらも大村湾の南側に面しており、長崎市のベッドタウンとして非常に密接な関係にあります。
ハウステンボスとは?(大村線沿線の観光)
大村湾のやや北側にあるハウステンボスは、長崎県佐世保市にあるテーマパークです。
大村線のハウステンボス駅からすぐの場所にあります。
テーマパーク:ある特定の主題(テーマ)に基づいて施設・演出を一つに合わせたレジャー施設のことです。
日本にいながら「オランダ」を味わえる場所

早岐瀬戸の向こうのハウステンボス(大村線)(長崎県)
このテーマパークは、オランダの街並みをそっくり・忠実に再現しています。
さらには、美しい運河やオランダならではの風車、さらには数々のヨーロッパ調の建物が並んでいることが特徴的ですね!
このように、ハウステンボスは
四季折々の「イルミネーション」が人気
ここでは四季折々の花々や、世界最大級のイルミネーション「光の王国」が人気を集めています。
四季折々:この表現は、主に春・夏・秋・冬、それぞれの季節ごとに変化する様子を表します。
異国情緒あふれるレジャー施設・ハウステンボス
すなわち、ハウステンボスは単なる遊園地ではなく、異国情緒あふれる風景の中で、食事やショッピング、イベントを楽しむことができるリゾート施設となっています。
異国情緒:外国のような雰囲気や、異国の文化が感じられる独特の情緒のことです。
長崎の街角を歩くと、ふと日本ではないような不思議な気分になります。
ハウステンボスと長崎・オランダの関係の歴史は関係ある?

早岐瀬戸の向こうのハウステンボス(大村線)(長崎県)
また、ハウステンボスと長崎・オランダの関係の歴史は、実は深く関係しています。
すなわち、ハウステンボスがオランダの街並みをそっくりに再現しているのは、かつての長崎とオランダの間にあった、歴史的な繋がりを象徴しているためです。
江戸時代の鎖国時代、長崎の出島は日本国内で唯一、オランダとの交易(商売、トレード、物々交換など)が許された場所でした。
出島:江戸時代の鎖国中、唯一ヨーロッパとの貿易が許された人工の島です。
日本(長崎)とオランダの友好の証・ハウステンボス
すなわち、長崎は400年以上にわたるオランダとの交流の歴史を持つため、その友好の証として、ハウステンボスが建設されました。
したがって、ハウステンボスは単なるテーマパークではなく、歴史的な背景が色濃く反映されているのです。
長崎とオランダの関係については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

大村湾に浮かぶ、長崎空港
長崎空港へは、大村市からのアクセスが便利?

大村線・大村駅(長崎県大村市)
長崎空港は、大村市からのアクセスが非常に便利です!
長崎空港は、かつて大村湾に浮かんでいた島である箕島を埋め立てて作られた海上空港です。
箕島:かつて大村湾に浮かんでいた島であり、世界初の海上空港として埋め立てが行われました。
今では長崎空港として、多くの人を迎える場所になっています!
この長崎空港の所在地は大村市であり(名前は「長崎空港」)、本土側とは箕島大橋によってそれぞれ結ばれています。
箕島大橋:大村市の陸地と、空港がある箕島を結ぶ、全長約970mにもおよぶ大きな橋です。
したがって、大村市の中心部からは車やバスで短時間でのアクセスが可能です。
大村線の大村駅からも比較的近いため、大村市の住民にとって最も身近な空の玄関口となっています!
長崎空港は、かつての大村海軍航空隊と関係あった?
長崎空港は、かつての大村海軍航空隊と、密接な関係があります!
現在の長崎空港における大村市・本土側のターミナルや敷地の一部は、かつて終戦まで存在していた大村海軍航空隊のときに使われていた、飛行場の跡地を利用しているというわけです。
かつて戦前からの重要拠点・大村
元々、大村湾という何重にも海のバリヤーに守られるような地形にある大村は、かつて戦前から海軍の重要な拠点でした。
そして戦後になって、この旧・軍用飛行場が民間へと転用されることになり、そこから新たに長崎空港としての利用が始まりました。
すなわち、現在の長崎空港の歴史は、大村海軍航空隊の使っていた遺産の上に成り立っているというわけですね。
長崎空港が、大村湾にわざわざ埋め立てまでして出来た理由
また、この長崎空港がわざわざ大村湾を埋め立ててまで建設された最大の理由は、
- 広い滑走路に必要な大規模な敷地が確保できること
- 24時間運用にも適した、騒音に強い・騒音に無関係な立地を確保するため
という理由がありました。
というのも、大村市の周辺地域では、空港がまともに作れるような平地は限られており、しかも当時はジェット機の離陸・着陸にも対応できるような長い滑走路を確保するためには、もはや海上しかなかったというわけです。
なぜ長崎空港は、24時間運用に対応する必要があったのか
また、長崎空港が24時間運用に対応する必要があった理由は、
- 深夜の貨物便を受け入れることができる(たとえ夜中でも遠慮無く大きな荷物の出し入れができる)ようにして、
- 物流(モノをあちこちへ輸送したり、また仕入れてくる)の拠点としての機能を高める
といった目的があったためです。
海の上にあるため、真夜中の騒音にも強い空港
すなわち、海上にあるため騒音の影響が少なくて済むようになり、それによって昼夜関係ない、空港の24時間稼働が可能になったというわけですね。
また、これには
- 空港における騒音の問題を軽減し、
- さらには大村と長崎の双方からもアクセスしやすいような、地理的な中心に位置できる
という利点もありました。
すなわち、将来の航空需要をあらかじめ見据えておき、そこから空港の大規模化と利便性を両立させるための、まさに戦略的な選択だったと言えるでしょう!
大村湾の「防御力」:最強の隠れ家
また、前々回も解説した通り、大村湾は驚くほど「閉ざされた海」です。
また、
- (大村湾の北西にある海の出口である)針尾瀬戸をたとえ抜けたとしても、
- そこにあるのは佐世保湾(つまり、もう一つ海を出ないと、外の海にはたどりつけない)である
という地形構造になっています。そのため、
- さらにその先にある狭い出口を抜けないことには、本当の外海には出られない
という地形の構造になっているわけです。
針尾瀬戸については、前々回の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「佐世保湾」「大村湾」二重の守り
まず佐世保湾という「玄関」があり、さらにその奥に大村湾があるという、まるで「奥座敷」のような構造となっています。
したがって、外敵から見れば、どこに軍艦が隠れているか全く分からず、大村の軍艦基地まで攻め込んでくるのは至難の業です。
波が静かな湖のような海
また、大村湾には外海の荒波が一切入ってこない(入ってきにくい構造・地形である)ため、海面は波があまり立たず、いつも穏やかになっています。
この特性がまさしく飛行艇の離着陸や、極秘の軍事訓練には最適だったのですね。
まさに、天然の巨大な秘密基地と言えるでしょう。
天然の「いけす」大村湾(大村湾沿線の地理)
大村湾では、鯛釣りが盛ん?
大村湾では、いわゆる「鯛釣り」が盛んに行われています。
先述の通り、大村湾は湾の入り口が極端に狭くなっているという、閉鎖的な地形となっています。
そのため、外の海の大波が入ってきにくく潮の流れが穏やかであり、「天然のいけす」のような環境になっています。
多くの「マダイ」が寄ってくる、魚にとって好環境な大村湾
この穏やかな環境は、マダイなどの魚の産卵や生育に、とても適しています。
特に春になると、卵を産む(産卵)ために大村湾の中へと入ってくるマダイを狙った一本釣りが盛んであるというわけです。
したがって、大村湾は、マダイをはじめとする様々な魚介類の漁場としても重要視されているわけです。
新鮮な大村湾のマダイは、きっと美味しいでしょうね!
大村湾ならではの、魚が集まるのに適した環境
また、先ほどよ説明で使った「生け簀(いけす)」という言葉についても解説しますね。
生け簀(いけす)とは なぜ大村湾が「生け簀」なのか
生け簀(いけす)とは、獲った魚を死なせないように、「網」や「囲い」の中に泳がせておくための場所のことです。
先述の通り、大村湾は入り口が極端に狭く、中が広大で、波が静かです。
その様子が、まるで「巨大な網で囲った生け簀(いけす)」のように見えることから、そう例えられることがあります。
すなわち、魚が逃げにくく、育ちやすい環境だということですね。
実際、大村湾はナマコやカキなどの漁業も盛んで、海の恵みがたっぷり詰まっていますよ!
このような大村湾の「閉じられた構造」が、軍事的な重要性と豊かな自然の両方を作ってのだと考えると、なんとも興味深いですよね。
大村湾に鯛(マダイ)が多い理由は?
先述の通り、大村湾は湾の入口が狭いため、外側の海からやってくる大きな荒波や、とても速い潮の流れの影響を受けにくいという、魚が暮らしやすいような静穏な環境が保たれています。
したがって、大村湾のこの穏やかな環境こそが、マダイなどの魚の産卵や稚魚の生育にとって非常に適しているというわけです。
このよう大村湾は魚が暮らしやすいような「天然のいけす」のような役割を果たしているわけです。
すなわち、この閉鎖的な地理的条件が、大村湾を豊かなマダイの漁場にしているのですね!
おわりに・まとめ(大村湾・大村線)
大村湾・大村線の地理・歴史を学んでみていかがだったでしょうか。
大村湾の閉鎖的な地形が、塩分濃度やタイの漁場に影響を与えていること、そして大村線が長崎本線から分離した歴史を知ると、より地域のことが身近に感じられますね!
ハウステンボスや長崎空港といった現代の重要な施設が、この地域の地理的条件や、かつねの旧軍事施設の歴史と深く結びついているのも興味深いですね。
すなわち、大村線は、観光と歴史の両方を楽しめる、魅力的な路線だということが再確認できました!
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