鉄道唱歌 関西編 奈良めぐり5 法華寺と西大寺 たくさんの政権争いの跡

まずは原文から!

西は法華寺(ほっけじ)西大寺(さいだいじ)
都(みやこ)の夢はやぶれたる
旅のまくらに秋篠(あきしの)の
里の砧(きぬた)もひゞくなり

さらに読みやすく!

西は法華寺(ほっけじ)西大寺(さいだいじ)
都(みやこ)の夢はやぶれたる
旅のまくらに秋篠(あきしの)の
里の砧(きぬた)もひびくなり

さあ、歌ってみよう!

♪にーしはほっけじ さいだいじー
♪みやこのゆめはー やぶれたるー
♪たーびのまくらに あきしののー
♪さーとのきぬたも ひびくなりー

(奈良観光)
奈良駅→近鉄奈良駅→若草山→奈良公園→春日大社→興福寺→猿沢池→東大寺→法華寺→西大寺→秋篠町→法隆寺→竜田山→佐保山→奈良駅

※鉄道唱歌に関連する観光地・神社仏閣のみ表記

※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。

奈良のちょっと西にある、法華寺・西大寺

今回は、JR奈良駅よりもちょっと西へ進んだところにある、法華寺(ほっけじ)や西大寺(さいだいじ)の話題となります。

法華寺(ほっけじ)とは、国分尼寺(こくぶんにじ)のことをいい、聖武天皇皇后(こうごう)である光明皇后(こうみょうこうごう)の勅願(ちょくがん)によって建てられました。

光明皇后(こうみょうこうごう)とは、聖武天皇の皇后(こうごう)に当たる方です。
皇后(こうごう)とは、天皇陛下の妻のことをいいます。

勅願(ちょくがん)とは、天皇など高貴な方による直接のお願いごとをいいます。

女性(尼)のための、国分尼寺

その光明皇后に命じられて、法華寺(ほっけじ)、が建てられました。

国分尼寺(こくぶんにじ)とは、国分寺のうち、女性の修行僧が修行を行う場として建てられたものです。

(あま)とは、女性の修行僧のことをいいます。尼は、女性でありながら頭を丸めて修行に励みます。

なぜ女性と男性を分けるのかについて、以下、私の推測でお話します
これはもちろん性差別的な意味ではなく、男性は女性の体を見るとムラムラしてしまいますし、これによって「煩悩(ぼんのう)の塊」と化してしまうのを防ぐことにより、修行の邪魔にならないようにするためだと思われます。
それで男性用の「」と女性用の「尼寺」を分けたものと思われます。

彼女(彼氏)欲しい~」と思うのは、まさしく「煩悩」であり、これによって多くの人々は苦しみます。
修行や自分のやりたいこと、趣味、仕事などに集中すれば、頭の中は恋愛のことを考えてる余裕すらなくなるため、煩悩から解き放たれます。皆さんも頑張ってみましょう。

次に、西大寺の話題に移ります。

西大寺(さいだいじ)は、奈良時代の称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅願(ちょくがん)によって作られました。勅願(ちょくがん)とは、天皇陛下じきじきのお願いのことです。「」という言葉に、「天皇の」などの意味が含まれます。

奈良時代には女性天皇も多かった

称徳天皇(しょうとくてんのう)とは、日本の第48代目の天皇であり、第46代目の孝謙天皇(こうけんてんのう)と同一人物です。
また、日本の歴史では数少ない女性天皇でもあります。
称徳天皇孝謙天皇同一人物と書きましたが、これは重そ(ちょうそ。「そ」は難しい漢字です)といって、一度皇位を退いた天皇が再度天皇として即位したということになります。
もっといえば、称徳天皇は聖武天皇(父)と光明皇后(母)のにあたります。

恋をめぐる、奈良時代の政権争い

称徳天皇(孝謙天皇)は女性天皇と書きましたが、なんと道鏡(どうきょう)というお坊さんと恋におちてしまいました。
道鏡は奈良時代のお寺のお坊さんなわけですが、称徳天皇に惚れられた道鏡政権争い等において優遇され、これよって寺社勢力が奈良政府に対してどんどん政治に口出しするなど、過大な影響力を持ってしまうのです。

藤原鎌足藤原不比等(ふひと)の子孫である藤原仲麻呂(なかまろ)は、唐風の名前である恵美押勝(えみのおしかつ)と改名し、道鏡を排除しようとしましたが返り討ちに遭ってしまいました(764年の「恵美押勝の乱」)。

そして孝謙天皇の次の天皇だった淳仁天皇(じゅんにんてんのう)は天皇の座から引きずり降ろされ、なんと淡路島(あわじしま)に流罪となっています。もうメチャクチャですね。

そして淳仁天皇の次は、再び孝謙天皇が即位して、称徳天皇となりました。

称徳天皇道鏡に惚れ込んでいたため、道鏡を天皇にすると言い出す始末です。
道鏡はお寺のお坊さんであり、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)の血筋ではないため、普通であれば天皇になることはできません。
そして大分県の宇佐神宮(うさじんぐう)の神様に答えを聞くため、和気清麻呂(わけきよまろ)がはるか遠くの宇佐神宮にまで出向いて、神様の答えを聞きに行きました。
そして「道鏡天皇など認めない」という結論となり、これで称徳天皇道鏡は激怒、和気清麻呂も左遷という始末となりました。

このように、奈良時代は醜いカオスな政権争いばかりが続き、国内も中央も常に不安定でした。

また奈良時代には、女性天皇は比較的多かったといえます。
なぜ女性天皇が多かったのかというと、天皇になるにはまだ幼かったり、病弱だったりしたときのためのピンチヒッター的な意味合いがありました。

豆知識:「女性天皇」と「女系天皇」

そして、よく「女性天皇」と「女系天皇」は勘違いされます。
歴史的に「女性天皇」は上記の通り何度も登場していますが、実は「女系天皇」は一回も登場していません。
日本の天皇は初代の神武天皇(じんむてんのう)から令和の現代の第126代天皇に至るまで、ずっと「男系」の天皇で通してきているのです。

現代の皇室について定めた法律である「皇室典範(こうしつてんぱん)」においても、皇位の継承は「男系男子」とすることが定められています。

わかりやすい例を挙げると、小室眞子(こむろ まこ)さんと、小室圭(こむろ けい)さんの間に産まれた子が天皇になった場合を考えてみましょう(現実の法制度で眞子さんが天皇になることは制度上不可能ですが、今回はわかりやすさの観点から眞子さんを例として挙げさせていただきます)。

小室眞子さんは、先祖が「男系男子の天皇」のみで初代の神武天皇にたどり着くことができるので、もし眞子さんが天皇となった場合は「男系女子の天皇」ということができます。
この時点では「男系」はキープできているのです。

しかし、眞子さんと圭さんとの間にお子さんが生まれ、その子が眞子天皇の後に皇位継承されて天皇になった場合は話が別になります。

そのお子さんがたとえ男性であっても、先祖をさかのぼっていくと眞子さんという女性を経由しなければ、神武天皇にまでたどり着けません。
そのとき、即位したこの天皇は「女系男子の天皇」ということになります。

ここで、126代続いた「男系のみでの天皇」は終了してしまうことになります
このとき、問題と政治的な論争が起こるのです。

女系天皇否定派の意見
・これまで男系天皇のみで通してきた、日本の伝統文化が損なわれる
・日本の天皇を中心としたブランドが損なわれ国力や世界における日本の地位が落ちる

女系天皇賛成派の意見
・皇族の人数減少に対応しやすくなる
・そもそも神武天皇の祖先である「天照大神(あまてらすおおかみ)」が女性であるため、男系男子に拘る必要がない

もちろん、女系天皇を容認するには皇室典範の法改正が必要となり、また眞子さんが本当に天皇になるためにも皇室典範の改正が必要となります。
そのためには、政権与党が正しく女系天皇の必要性を訴えないと、国民の意見が二分してしまい、国内が大混乱に陥ることも予想されます。

この「女系天皇問題」や「皇位継承問題」は、ここ10年以上ずっとネットやマスメディアを中心に議論されつづけているのです。

皆さんは、女系天皇問題や皇位継承問題についてどう思うでしょうか
日本を二分(にぶん)する問題なので、もしあなたが女系天皇に反対の場合は反対を主張する政治家に、賛成の場合は賛成派の政治家に、ぜひ選挙に足を運んで1票を入れるようにしましょう

もちろん、私(筆者)にもこの問題についての個人的な意見はあるのですが、ここでは中立性を保つため、私個人の意見は控えさせていただきます。

聖武天皇は、何代目の天皇?令和の現代は?

聖武天皇は、第45代目の天皇になります。
令和の現在の天皇陛下は、第126代目になります。

わかりやすくまとめると、以下の通りです。

初代 神武天皇(神話の時代)
第16代目 仁徳天皇(古墳時代)
第32代目 推古天皇
飛鳥時代
第45代目 聖武天皇(奈良時代)
第46代目 孝謙天皇(奈良時代)
第47代目 淳仁天皇(奈良時代)
第48代目 称徳天皇(奈良時代)
第122代目 明治天皇(明治時代)
第123代目 大正天皇(大正時代)
第124代目 昭和天皇(昭和時代)
第125代目 上皇陛下(平成時代の天皇)
第126代目 今上天皇(令和時代の天皇)

ちなみに「平成天皇」という表記は、まだご存命の天皇(上皇陛下)に対して用いるのは誤りなので注意しましょう。
もちろん2023年10月時点で「令和天皇」という表記も誤りで、在位中の天皇のことは「今上天皇(きんじょうてんのう)」といいますので、こちらも注意しましょう。

ポイントの数が多く複雑な、近鉄奈良線・大和西大寺駅

近鉄奈良線・大和西大寺駅(奈良県奈良市西大寺国見町)
大和西大寺駅の、ポイントが非常に複雑に入り組んだ線路

ちなみに近鉄線の大和西大寺駅(やまとさいだいじえき、奈良県奈良市)は、線路が非常に入り組んだことで知られます。
大和西大寺駅は複数の路線が入り乱れているので、たくさんの接続点(ポイント)があります。
なお、線路と線路の接続点を「ポイント」といいます。
これを上手く切り替えることで、列車がどの線路の方向に向かうかが決まります。

奈良時代は、勉強するととても難しい(筆者の意見)

歌詞には「都の夢は破れたる」とありますが、正直これは何のことをさすのかわかりません。
もしかしたら、上記に挙げた孝謙天皇(称徳天皇)や道鏡を取りまく、政権争いのことを歌ってるのかもしれません。

歌詞にある「秋篠(あきしの)」とは、西大寺やや北にある地域をいいます。
秋篠は歌詞にある通り、「(きぬた)」の名所として知られます。
ただ秋篠の歴史についてはかなり調べたのですが正直わかりませんでした。

奈良時代って難しいですね!!(^^;)
他の時代の勉強より難しく感じます。
またもう少し私が詳しくなったら、加筆修正します!

次は、法隆寺(ほうりゅうじ)の話題となります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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