日本の恋愛の歴史というものがどんな変遷・変化をたどってきたのかについて、時系列順にわかりやすく解説していきます!

日本の恋愛の歴史の中でも、特に多くの男性からモテたコノハナサクヤヒメ(画像はあくまでAIによるイメージです)
日本の恋愛の歴史
日本の恋愛の歴史の変化を追ってみると、現代の我々にも通じるような部分がたくさんあることがわかってきます!
そして、日本の恋愛の歴史は、時代ごとに驚くほど形を変えてきました。
神話の時代(日本の恋愛の歴史)
国づくりの神・大国主命と女神の恋エピソード
まずは古事記や日本書紀に代表されるような、神話の時代から見ていきましょう。
大国主命(オオクニヌシノミコト)の縁結び
大国主命は、日本神話に登場する神様たちの中でも特に重要な、日本で最も有名な「縁結びの神様」です。
しかし実は、本人も非常に様々な女神との恋愛を経験しているという、恋多き神様でした。
因幡の白兎を助けた、心優しい神様
すなわち、彼は因幡の白兎がサメに襲われていたところを助けたときに、その「ウサギを助けた」という優しさが評判となったのでした。
そのため、大国主命は(後に妻となる)八上姫をはじめとする多くの女神から求婚されることになりました。
大国主命と、ヒスイの女神・ヌナカワヒメ

恋多き縁結びの神様・大国主命から愛された 、糸魚川とヒスイの女神・ヌナカワヒメ(画像はあくまでAIによるイメージです)
特に、大国主命は、
- 出雲からはるか 東の越の国(つまり、現在の新潟県)に赴いて、
- 現地の新潟県糸魚川市のシンボルである美しい女神である沼河比売(ヌナカワヒメ)に会うため、
- 出雲からはるか 東の越の国(つまり、現在の新潟県)に遠路はるばる赴いて、
- 熱烈な求婚の歌を贈った
というエピソードがあるというわけです。
ヌナカワヒメについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「縁結び」のルーツ・大国主命
このように大国主命が多くの縁を結び、それによって多くの妻を持ったということが、現在の「縁結び」のルーツとなっているというわけですね!
縁結び:いわゆる「運命の相手」とのつながりを作ることをいいます。
それは決して恋愛だけでなく、仕事や友人関係など、あらゆる面での「良い繋がり」を含みます。
最高の縁結びパワースポットである出雲大社については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

また、各地の縁結びパワースポットについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

日本神話屈指の美女・コノハナサクヤヒメ

多くの男性から求婚された、日本神話屈指の美女・コノハナサクヤヒメ(画像はあくまでAIによるイメージです)
富士山のふもとをはじめ全国各地に存在する浅間神社の御神体であり、まるで「桜の花」のように美しいとされる木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)は、日本神話に登場する、あまりにも美し過ぎて多くの男性をメロメロにさせた女神のことです。
多くの男性の神様から求婚された

多くの男性から求婚された、日本神話屈指の美女・コノハナサクヤヒメ(画像はあくまでAIによるイメージです)
コノハナサクヤヒメは、
- 天照大神の孫であるニニギノミコトが、
- 天界から九州宮崎の高千穂に降臨して降りてきた時に彼女と出会い、
- その時に一目惚れをした
というほどの、絶世の美女でした。
また、彼女の美しさは、父である神様が
- 「姉(イワナガヒメ)も一緒に結婚させてくれ」
と差し出した時に、ニニギが美しさゆえに彼女(コノハナサクヤヒメ)だけを選んでしまったというほどでした。
美しすぎて、夫から浮気を疑われたことも
しかし、コノハナサクヤヒメはその美しさゆえに、一晩で妊娠してしまった時には、夫から浮気を疑われるという試練も経験してしまいます。
そこで、
- 彼女は自分の潔白を証明するために、
- 火を放った産屋の中で出産した
という、激しくも強い意志を持った女性だったわけです。
コノハナサクヤヒメについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

奈良時代:万葉の悲劇のヒロイン(日本の恋愛の歴史)
真間の手児奈(ままのてこな)

飛鳥時代の下総国(千葉県)、多くの男性からモテすぎた真間の手児奈(画像はあくまでAIによるイメージです)
万葉集にも詠まれている真間の手児奈は、現在の千葉県市川市に伝わる、飛鳥時代に生きていたとされる伝説の美女です。
真間の手児奈は、明治時代に大和田建樹という方によって作詞された鉄道唱歌の奥州・磐城編という唱歌にも登場します。
多くの男性からモテすぎて苦悩した
彼女はあまりに美しすぎてモテすぎたため、村に住んでいた多くの男性たちが彼女を奪い合って、ついにはお互いに争うようになってしまいました。
しかし私の体は一つしかありません。」
と心を痛めた彼女は、残念なことに自ら海に身を投げてしまいます。
誰からも愛されながら、結局は誰も選ぶことなく散っていったという、とても切ない物語ですね!
平安時代:和歌が恋のすべて(日本の恋愛の歴史)

貴族が国のトップに君臨していた平安時代は、とにかく優雅で風流のある恋愛が求められました。
平安時代の女性たちをめぐる恋
隠れて暮らすことが多く、男性にとっては高いハードルだった
また、平安時代当時の女性は、御簾や几帳といった和風のパーティションで区切られた、建物などの陰に隠れて生活していました。
つまり女性たちは基本的には表には出てこないため、男性は女性の顔を直接見ることはなかなかできませんでした。
そこで、男性側にとっては女性たちとの文のやり取り(つまり直接会わなくても済むラブレター)が重要になり、当時は必然的に「文の美しさ」が勝負となってきていたのでした。
男性はラブレターの紙の質まで、(女性側から)厳しくチェックされた
そしてラブレターに書かれた和歌でアプローチする男性側は、
- 和歌の出来栄えはもちろん、
- 紙の質や色
などといった様々な細かい部分に至るまで、彼女らによって厳しくチェックされたのでした。
すなわち、当時はこういった要素が、まさに男性が「イケてるかどうか」の当時の判断基準だったというわけです。
垣間見(かいまみ)から始まる恋
この時代、まず貴族たちの恋愛は「顔を合わせない」ところから始まりました。
そもそも平安時代の女性たちは、着物の袖や扇子などで顔を隠していたのでした。
なので、
- 女性の顔を見ることができるのは、あくまで「彼女たちに認められたイケメンだけ」
だったのでした。
非常に優雅ですが、じれったい距離感が特徴ですね。
男性側の恋文は、女性側の面接・書類選考にとってあまりも重要だった
一方で、逆に女性側が気になるイケメン に対しては、わざと自分にアプローチしやすくなるように仕向けていたのでした。
当時はあくまで「自分(女性)から積極的に近づくのは恥」とされましたが、それでもやむを得ないときは、
- あえて(男性が入ってきやすいよう)御簾を少しだけ開けておいたり、
- 庭先を歩いていて、「うっかり」姿を見せてしまったりする(つまり偶然を装う)
といった作戦もありました。
雅びで制約の多い平安時代の恋
先述の通り、平安時代になると恋愛はさらにより優雅で、かつ複雑な儀式のようなものになってゆきました。
例えば、紫式部が描いた『源氏物語』の世界こそがまさにその象徴ですね!
紫式部については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

女性たちの激しいバトルと生存戦略
現代のリアリティ番組でも、ライバルを蹴落としたり、自分をいかに魅力的に見せるかで争いますよね。
源氏物語の世界でも、それは同じでした。
すなわち、源氏物語ではまるでバチェラーの参加者と同じように、彼女たちも「選ばれること」に対して全力を注いでいたいうわけです。
「バチェラー」とは?
ちなみにバチェラーとは、直訳すると「独身男性」という意味になります。
ただし現代でこの言葉が使われる場合、主に以下のような条件を満たすハイスペック男性のことをいいます。
- 容姿端麗でしかも高学歴、さらには莫大な富を持っている成功者。
- 大勢の女性の中から、たった一人の「運命の相手」を選ぶ特権を持つ側にいる男性。
- 彼の心を射止めるために女性たちが競い合うドラマの中心人物。
一人のハイスペックなイケメンを、多くの女性で奪い合う構図
しかし、いざめでたく光源氏に選ばれて光源氏の住んでいる豪華な邸宅「六条院」に(他に選ばれた女性たちと)住むことになっても、そこには他のライバル女性たちも住んでいるわけです。
- 近くに見えるライバル女性:隣の棟に住んでいる、別の愛人の存在が常にありました。
- 見えない不安:「イケメンの彼が、いつ自分から遠のくか分からない」という恐怖が常にありました。
結局のところ、(光源氏の豪邸に一緒に住んでいる)彼女たちは、たとえ誰かと彼を奪い合っている間も、また仮に彼のことを手に入れた後も、心休まる暇は一時もなかったのかもしれません。
切ないけれど、何とも人間臭いドラマですよね!
ちなみに先ほど、当時は男性が隠れている女性の顔を見るなんて不可能だと言いましたが、光源氏はそんな常識やルール、慣習といったものをはるかに超越した存在だったというわけです。
平安時代:恋に生きた女流歌人たち
さて次に解説するのは、誰もが知る絶世の美人・小野小町です。
絶世の美人・小野小町(おののこまち)
誰もが知る絶世の美人とれる小野小町は、まさしく平安時代の美の象徴になります。
あまりにも美しすぎた彼女の元には、多くの貴族たちが求愛に訪れてきました。
中でも有名な「深草少将の百夜通い」のエピソードにおいては、もし百日間ずっと彼女の元を通い続ければ彼の恋を受け入れるという、あまりにも過酷な条件を出したのでした。
100日間彼女に通い続けなきゃいけないという無理ゲー
もちろん男性が「100日も彼女のもとに通う」なんてどう考えても無理ゲー・ムチャブリですが、 これは
- 100日間あえて通わせることで、彼の本気度を試した
- 本当は彼に対して興味がなかったため、100日通わせることを断る口実にした
など様々な説があります。
しかしながら彼は残念なことに、99日目で病に倒れ、亡くなってしまいます。
このように、彼女はただ美しいだけでなく、さらには男性をうまく翻弄するミステリアスな魅力を持っていたというわけです!
小野小町については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

恋多き和泉式部(いずみしきぶ)

和泉式部は、平安時代を代表する情熱的な歌人になります。
彼女はなんと、
- 当時の皇族の皇子の男性二人と「同時」に恋に落ちるなど、
- 何でもアリのスキャンダラスな恋愛で、
- 親からも勘当をつきつけられる
ほどにまで自由奔放に恋愛を楽しみ、京都の宮中を騒がせました。
このように、彼女はあまりにもいろんな男性との恋が多すぎて、またいろんな男性と恋愛すぎて、あの藤原道長からもからかわれるほどでした。
批判されてもお構いなし 色んな男性との自由奔放な恋愛を楽しんだ
たとえ周囲から批判されても「恋をせずにはいられない」という彼女の歌は、今読んでも非常に現代に通じるほどの興味 深さがあります。
このように、和泉式部さんの感情を隠さず、
- ありのままに「恋に生きた人生」
- 恋を謳歌したような「自由すぎる姿」
は、ある意味では当時の女性たちの憧れでもあったのかもしれませんね。
鎌倉時代(日本の恋愛の歴史)
北条政子の、運命を切り開く愛
親が「指定」した高貴な男性との結婚を断った北条政子

鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻、北条政子の恋は、非常にパワフルでした!
当時は1160年の平氏との戦いにフルボッコにやられて、伊豆に流されていた「罪人」であった源頼朝と恋に落ちた彼女ですが、父である北条時政は猛反対したのでした。
北条政子については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

つまり、彼女は親が予め結婚相手として決めておいた(地元の別の高貴な)男性との結婚を強制されましたが、彼女はそれを断固拒否したのでした。
大雨の中、険しい山を飛び越えて行き、頼朝に会いに行く

そして北条政子は、なんと豪雨の中を裸足で逃げ出してゆき、伊豆の険しい山々を越えて、源頼朝の元へと駆け込んだと言われています。
当時の伊豆の険しい山々(山賊や野生動物だらけ、しかも地面は舗装すらされていない)を女の子の裸足で駆けていくのは危険極まりなかったのでした。
しかし、それだけ北条政子さんの信念も体力も強く、そして頼朝さんへの想いがとてつもなく強かったということでしょう。
すなわち、北条政子さんのこの強靭な愛の力こそが、後に鎌倉幕府という日本を動かす大きな組織を支えることになったと思うと、震えるほどかっこいいですね!
鎌倉・戦国時代(日本の恋愛の歴史)
「家と政略の道具」としての結婚
武士が力を持つようになると、恋愛よりも「家を守ること」が優先されるようになります。
これには少し切ない時代背景もありますね。
政略結婚の一般化
また 鎌倉時代などの当時は、
- 例えば領土を守ったり、同盟を組んだりするという政治的な目的のために、
- 親が決めた相手・つまり幼い時の許嫁のような相手と結婚する
というのが当たり前だったのでした。
つまり当時は、自由恋愛と言うか個人の好きな気持ちだけで結婚するというのはありえないことだったのでした。
一途な愛の物語
しかしながらその一方で、例えば細川ガラシャのように、たとえそのような結婚のルールに厳しい時代の中にあっても、
- あくまで夫婦の愛の絆を貫いた
という美しいエピソードも残っています。
織田信長が(を)心から愛した唯一の女性「吉乃(きつの)」
かつて戦国時代、そのあまりにもの暴虐ぶりに「戦国の魔王」とまで恐れられたあの織田信長が、生涯で最も深く心から愛したと言われている女性がいました。
その女性こそが、まさにが吉乃(生駒吉乃)ということになります。
政略結婚が当たり前で、窮屈な夫婦生活
そんな織田信長の当時の恋愛事情は、
- 政略結婚が当たり前だったような時代であり、
- しかも夫婦関係というものは、何らかの利害関係で成り立ってる
というような、とても「愛したもの同士が愛し合う、純粋なロマンチックな恋愛や結婚」とは程遠いという、とても窮屈なものでした。
しかしそんな時代にあって、信長は主な妻である正室・濃姫の関係は政治的な結婚の要素も強かったことから冷めきっていました。
しかし、彼は自らの意思で好きになった吉乃を見初め、彼女を2番目の妻である側室として迎え入れました。
「暴君」が愛した、純粋で美しい女性 信長を「無償の愛」で包み込んだ
信長といえば、女性や子どもにも全く容赦しない「暴君」のイメージもあるかもしれません。
しかしながら、吉乃さんだけは彼にとっては特別な存在であり、彼とはあくまで対等に寄り添ってくれ、信長も彼女に対しては心を開きました。
信長は、たとえ戦に明け暮れるような日々の中であっても、彼女の住む屋敷へと足繁く通い、心の安らぎを求めていたようです。
彼女は信長の激しい気性を恐れることなく、深い包容力で彼を支えたという、まさに「無償の愛」の人でした。
若くして亡くなった吉乃
また、信長は彼女との間に次男の織田信雄をはじめ、三人の子供を授かりました。
織田信雄:1584年に起きた「小牧・長久手の戦い」において、信長が亡くなってから勢いづいて脅威となっていた秀吉を止めるために、徳川家康に助けを求めた、織田信長の次男です。
母親は吉乃です。
しかし、彼女は産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなってしまいます。
産後の肥立ち:出産した後の、女性の体が回復していくためのプロセスのことをいいます。
しかし昔は医療が未発達だったため、ここで体調を崩して命を落とすことも少なくありませんでした。
彼女の死後も、ずっとそばを離れなかった信長
冷酷なイメージの強い織田信長が、病に倒れた彼女の死に際しては人目も憚らずに涙を流し続け、いつまでも彼女の遺体のそばから離れなかったというエピソードが残っています。
このように、常に天下を狙っていたような暴君が、たった一人の愛しい女性の前では「一人の人間」に戻れたのだと思うと、彼ら二人の絆の深さに感動してしまいますね!
江戸時代:仲人の活躍と庶民の恋(日本の恋愛の歴史)
そして戦国時代が終わり、約260年間も部平和が続いた江戸時代になりました。
戦いや争いがなくなり、泰平の世が訪れるになると、いわゆる一般の庶民の皆さん達の間でも自由な恋愛がブームが訪れるようになります。
つまりそれらは、いわば現代のラブストーリーの原型に近いかもしれませんね!
仲人(なこうど)の活躍
江戸時代にもなると、結婚には仲介役がつくというのが一般的になり、この仲人役がお互いの相手を紹介しあったりして、今にもつながるお見合い形式が整っていきました。
つまり、現代でいう結婚相談所やマッチングアプリのような仕組みが、この時すでに備わっていたわけです。
個人的な好みの嫌いで縁談を断るのは「ご法度」だった
仲人の人たちも、地域のメンツや信頼をかけて、相手の異性を一生懸命になって紹介していたりしていました。
そのため「タイプじゃない」といった個人的な理由で結婚を断ったりすると、仲人の方の顔に泥を塗る行為(メンツを潰す行為)になってしまいます。
そして個人的な理由で断った人はその後地域での信用を失ってしまい、二度と相手を紹介してもらえなくなるなど、様々な デメリットや不利益が生じたわけです。
逆に言えば、当時は「簡単に断れない雰囲気」があったからこそ、江戸時代の高い成婚率があったのかもしれません。
厳しくも自由もあった、江戸時代の恋愛・結婚観

このように、江戸時代に入ると武士階級を中心に、家と家を繋ぐための「お見合い」が主流になってゆきます。
しかし、庶民の間ではもっと自由な恋愛も楽しまれていました!
- 都市部においては、茶屋(今で言う喫茶店のようなもの)の看板娘に対して恋をするという「推し活」のような文化もありました。
- しかし、江戸時代では「不義密通」(つまり、現在でいうところの不倫・不貞行為など)については、非常に厳しい罰があったのでした。
このように、江戸時代では厳しいルールがありつつも、それぞれの人々の心の中には、常に燃えるような情熱があったということなのでしょう。
明治・大正時代(日本の恋愛の歴史)
「愛」という言葉の誕生
明治時代になると、一気に西洋の文化が入って来るようになり、日本人の恋愛観はそれに伴ってガラリと変わりました。
また、「愛」という言葉が「LOVE」という言葉から翻訳されて使われ始めたのもこの頃になります。
- 自由恋愛の提唱:西洋の影響からか、「自分の好きになった人と結婚したい!」という考え方が広まり始めました。
- ロマン主義:感情を大切にする文学が流行し、若い世代に大きな影響を与えました。
日本の恋の歴史、どの時代が一番気になりますか?
おわりに・まとめ
いかがだったでしょうか。
いつの時代も多くの人たちが自分を磨き、素敵な恋愛を謳歌し、またそれによって苦しみ、さらには政治的な要素もあって思い通りにいかない恋愛をしたりと、あそこには様々な恋愛や結婚の形式がありました。
歴史を知るということは、結局のところ
という答え合わせのようなものかもしれませんね。
かつての北条政子の情熱や、吉乃を愛した信長の孤独、そして江戸の仲人のプライド…。
こうした歴史の積み重ねの最先端に、今の私たちが立っていると思うと、少しだけ興味深いものに感じられませんか?
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