まずは原文から!
高田(たかた)わかれて右ゆけば
河内(かわち)に走る線路(せんろ)あり
路(みち)にすぎゆく柏原(かしわら)の
名高(なたか)き寺は道明寺(どうみょうじ)
さらに読みやすく!
高田(たかた)わかれて右ゆけば
河内(かわち)に走る線路(せんろ)あり
路(みち)にすぎゆく柏原(かしわら)の
名高(なたか)き寺は道明寺(どうみょうじ)
さあ、歌ってみよう!
♪たかたわかーれて みぎゆけばー
♪かわちにはしるー せんろありー
♪みーちにすぎゆく かしわらのー
♪なたかきてらはー どうみょうじ
※正式名称は「鉄道唱歌 関西・参宮・南海編」です。記事タイトルの便宜上、このようなタイトル(関西編)とさせていただいております。ご了承ください。
高田駅(たかたえき、奈良県高田市)までやってくると、ここで一旦線路を右(北)に寄り道して、王寺(おうじ)方面へ向かいます。
王寺駅(おうじえき)からは大和路線(やまとじせん。関西本線のこの区間の愛称)に乗って、柏原(かしわら)・八尾(やお)方面に向かって行くって流れになります。
この辺りは大和川(やまとがわ)に沿った峡谷(きょうこく)、つまり生駒山地(いこまさんち)の南側を通ることになります。
ここで一旦、久々に大阪府に入ります。
歌詞では第6番(四條畷市、交野市)以来の大阪府です。
河内国(かわちのくに)とは、現代の大阪府の東部にあたる地域のことです。
「国(くに)」とは、奈良時代の律令制における、日本のエリア分けのことで、現代の都道府県に該当します。
大阪府は以下の三つの国に分かれています。
大阪府北西部→摂津国(せっつのくに)
大阪府東部→河内国(かわちのくに)
大阪府南部→和泉国(いずみのくに)
ちなみに、これらの三つの国の境(さかい)にあった港が堺(さかい)だったため、これが大阪府堺市(さかいし)の由来となっています。
歌詞原文では、「河内」の読み方が「おわち」となっていたりするのですが、これは「かわち」の誤植(つまり、誤り)ではないかと思われます。
大阪府に入り、八尾(やお)方面に向かってゆくと、やがて柏原駅(かしわらえき、大阪府柏原市)に着きます。
柏原駅(かしわらえき)の近くに道明寺(どうみょうじ)というお寺があります。
現代では、柏原駅から「近鉄道明寺線」で道明寺駅(どうみょうじえき、大阪府藤井寺市)まで向かうことができます。
この道明寺(どうみょうじ)の近くに藤井寺市(ふじいでらし)の市名の由来となった葛井寺(ふじいでら)や、羽曳野市(はびきのし)、そして多くの池や古墳群などがあります。
歌詞では大阪府柏原市に道明寺が存在するような表現になっていますが、実際は隣の藤井寺市の所在になりますので、注意しましょう。
大阪府藤井寺市(ふじいでらし)の道明寺(どうみょうじ)では、1615年に「道明寺の戦い」がありました。
この「道明寺の戦い」は、1615年に起こった「大阪夏の陣」の戦いの一部です。
「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」は、豊臣と徳川が戦ったものです。
1603年に江戸幕府ができてから徳川の天下になったはずが、大坂では依然と豊臣家が莫大な財産を持っていたので、これを気に入らない徳川家康が大坂を攻撃して滅ぼした戦いとなります。
1614年の「大阪冬の陣」では、一度は豊臣と徳川は和睦に終わったのですが、約束とは裏腹に徳川が大坂城のお堀をどんどん埋めていってしまい、大坂城は防御力を失い丸裸同然となってしまいました。
そして1615年の5月に、この道明寺の戦いはおきました。
この戦いの主役は、豊臣軍のヤリ手の武将・後藤基次(ごとう もとつぐ)です。
後藤基次は、またの名前を後藤又兵衛(ごとう またべえ)といいます。後藤基次は、大坂では上位に入るほどの実績ある武将でした。
そしてもう一人の主役が、あの仙台の伊達政宗(だて まさむね)です。
伊達政宗は、仙台藩の初代藩主であり、今でも仙台の英雄的存在です。
伊達政宗は(豊臣軍に敵対する)徳川軍の武将として戦い、後藤基次を破りました。
簡単にいえば、「道明寺の戦い」は後藤基次(の軍)と伊達政宗(の軍)の戦いであり、結果は後藤基次は戦死、伊達政宗の勝利となりました。
後藤基次は丸裸同然となった大坂城を守るため、また東の奈良方面から攻めてくる徳川軍を防ぐため、国分(こくぶ)地域で迎えうつことにしました。
国分(こくぶ)とは、河内国分(かわちこくぶ)・高井田(たかいだ)・大阪教育大学あたりの地域のことです。
そのため、後藤基次は1615年5月6日の未明、一足早く道明寺に着きました。
しかし、誰もいません。
読みが外れたのか、伊達政宗の率いる徳川軍は、石川(いしかわ)という川の東にある、国分あたりに既に陣を引いていることがわかりました。
石川(いしかわ)とは、柏原市を流れる川です。
また、西から道明寺・石川・国分という位置関係となっています。
やむをえず後藤基次は、道明寺から石川を渡り、川の東にある国分の一つ手前にある、「玉手山(当時は「小松山」)」に着き、陣地を張りました。
しかし、この行動のために、小松山は伊達政宗の軍に包囲されてしまいます。
もちろん後藤基次もかなりの実力者だったので黙ってこの状況を見ていたわけではなく、伊達軍の何人かは撃破しました。
しかし次から次へと送られてくる伊達軍(徳川軍)を抑えきれず、後藤基次は仕方なく山を下りることに。
しかしここで足止めを喰らい、奮闘虚しく後藤基次は伊達軍の銃撃に遭い、死亡してしまいます。
これにより「道明寺の戦い」は先述の通り、伊達軍(徳川軍)の勝利となります。
その後、「大坂の陣」の舞台はやや北西の八尾(やお。現在の大阪府八尾市)に移り、またさらに北の若江(わかえ。現在の大阪府東大阪市)にも戦いの舞台は移りました。
結果、徳川軍の勝利に終わり、とうとう戦いの舞台は天王寺(てんのうじ)と大坂城に移ります。
そして1615年の夏、真田幸村(さなだゆきむら)率いる豊臣軍は決死の覚悟で徳川軍に挑みます。
真田幸村は一時は徳川家康を大きく後退させるなど、かなりの奮闘を果たしました。
しかし現代の天王寺あたりで休んでいるところを討たれてしまい、長野県上田市(うえだし)出身で現代でも人気の高い真田幸村は、無念にもここで生涯を終えてしまいます。
長野県上田市には、真田幸村が戦に向かう覚悟だった「六文銭(ろくもんせん)」の模様が、街中あちこちに飾られています。
そして大坂城に残された、豊臣秀吉の子・秀頼(ひでより)と妻の淀殿(よどどの)は、燃え上がる大坂城の中で、炎の中で自害したといいます。
これにより「大坂の陣」は終わり、徳川にしてみれば邪魔だった大坂の豊臣家はいなくなったので、本格的な徳川の天下の世の中となるのです。
大阪府藤井寺市(ふじいでらし)の名前の由来ですが、市内にある葛井寺(ふじいでら) というお寺が市名の由来となります。
「葛井寺」と書いて、「ふじいでら」と読みます。
また2004年までは、藤井寺球場はプロ野球「近鉄バッファローズ」の本拠地でもありました。
2005年に当時の神戸の野球チームだった(イチロー元選手の日本時代の在籍チームでもあった)「オリックス・ブルーウェーブ」と合併して、2005年より新たに「オリックス・バッファローズ」として1つの球団として統一されました。
しかしこの合併により、パ・リーグの球団が1つ減ったので、通販サイト等でお馴染みの「楽天」がプロ野球チームの設立を申請して、翌2005年から「東北楽天ゴールデンイーグルス」として、宮城県仙台市を本拠地としてスタートしています。
大阪府羽曳野市(はびきのし)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)にその名前が由来します。
日本武尊は日本神話において、大和国(今の奈良県)から東国(今でいう関東地方)の遠征・征伐に向かい、返ってきてから滋賀県の伊吹山(いぶきやま)において、大蛇と戦ってフルボッコに敗れてしまいました。
致命傷を負った日本武尊は、三重県亀山市(かめやまし)のあたりに辿り着いたところで亡くなってしまいました。
すると日本武尊はツル(鶴)となって、大和国(今の奈良県)の方向へ飛んでいったとされます。
そのツルとなった日本武尊が、羽を引いた野原であることから、羽曳野(はびきの)という地名の由来となりました。
「曳く」は、「引く」の旧字体です。
また、羽曳野市はプロ野球選手のダルビッシュ有(ゆう)さんの出身地でもあります。
また、ちょっと関係ない話になるかもしれませんが、奈良県の地図を見てもらえればわかると思いますが、奈良県には池がとても多いことがわかります。
これは奈良は内陸部にあり海から遠く、昔から水不足に悩まされてきたため、人工的に溜池(ためいけ)を作ってきたことが理由として挙げられます。
これは香川県にも共通しています。
香川県も水が少ない土地であり、歴史的に水不足に悩まされてきたことから、香川県には溜池が多いのです。
それだけ昔は「溜池」の存在は重要であり、現代でも東京都の溜池山王(ためいけさんのう)といった地名などでもその由来は残っています。
溜池(ためいけ)の注意点としては、民家など人に近いところに池が存在することです。
これにより、ゴミや生活排水が池に混じると、「富栄養化(ふえいようか)」といって池に生息するプランクトンが食べる栄養素が多くなり、プランクトンが異常発生します。
そのプランクトンをさらに別の有害な植物が食べることで、池や湖が不必要な植物だらけとなり、水の色が青緑になります。
この現象を「アオコ」といい、深刻な公害現象となります。
アオコが発生すると、元々そこに生えていた本来必要な植物の栄養素まで奪ってしまうので、本来そこにいた植物が絶滅するなどし、生態系が乱れることになってしまいます。
さらに、その植物をエサとしていた野鳥などの食べるものが無くなり、池や湖に滞在できなくなるので、野鳥などの激減・絶滅にも関係してきます。
もしその野鳥が「南の国から来た渡り鳥」だったら、渡り鳥は南の国に帰れなくなります。
すると、南の国から「日本は何をやってるんだ!まともな環境対策もできていないのか!」などのように苦情(クレーム)を受けることになるので、そうならないためにも「ラムサール条約」といわれるものが存在しており、野鳥や湖などの湿地帯を守る努力や対策が各国単位で必要になってくるのです。
話が全然関係ない方向に飛んですみませんが、少しでも何かの参考になれば幸いです。
次回は、再び高田駅に戻り、吉野・橋本・和歌山方面へ向かってゆきます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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