中央線鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
中野・荻窪・吉祥寺・武蔵境の地理などを、やさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
境町より十餘町
多摩上水の岸の邊は
櫻ならざる里もなし
さらに読みやすく!
境町より 十余町
多摩上水の 岸の辺は
桜ならざる 里もなし
さあ、歌ってみよう!
♪さーかいまちより じゅうよちょう
♪たまじょうすいの きしのべはー
♪さーくらならざる さともなしー
飯田橋駅→市ヶ谷駅→四ツ谷駅→信濃町駅→新宿駅→大久保駅→中野駅→荻窪駅→吉祥寺駅→武蔵境駅→武蔵小金井駅→国分寺駅→立川駅→日野駅→豊田駅→八王子駅→高尾駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※現代の中央線の起点は東京駅
※飯田橋駅は、当時は飯田町駅と牛込駅に別れていた
新宿駅を出て、中野・荻窪・吉祥寺方面へ
新宿駅(東京都新宿区)を出て
- 大久保駅(東京都新宿区)
をも過ぎると、
- 中野駅(東京都中野区)
- 荻窪駅(東京都杉並区)
- 吉祥寺駅(東京都武蔵野市)
という風に過ぎてゆきます。

中野駅(東京都中野区)

荻窪駅(東京都杉並区)

吉祥寺駅(東京都武蔵野市)
自治体でいうと、
- 東京都中野区
- 東京都杉並区
- 東京都武蔵野市
という風な流れで進んでいくわけです。
東京都の「特別23区」
ここで新宿区・中野区・杉並区とは、いわゆる東京都の特別23区の一つです。
したがって、例えば「大阪市北区」のように、「東京市中野区」などがあるというわけではありません。
あくまで「東京都中野区」となります。
「東京市」というものは存在しない
例えるなら、東京都の特別23区全部で、まるで都庁所在地の「東京市」みたいなイメージですね。
しかし「東京市」というものは存在しないため、あくまで都庁所在地は、「東京都新宿区」となります。
なお「東京市」は戦前までは本当に存在しましたが、1943年に廃止されています。
かつての甲州街道をやや外れた、西へまっすぐなルート
ここから先の中央線の線路は、立川駅まで一気に西へまっすぐの線路になります。
その様子は 、地図で見ても明らかなように、本当にまっすぐに横へ一直線となっています。
中央線(中野~立川間)はなぜ、横にまっすぐなのか
ちなみに、中央線(中野~立川間)が横にまっすぐな理由は、当時はこの地域は農地が主体であり、周りにほとんど建物などが無かったからというものが挙げられます。
すなわち、今と違ってほとんど建物などが無かったからこそ、用地買収がしやすく、真っ直ぐなルートが確保できたからだと言われています。
中央線(中野~立川間)は、甲州街道よりもやや北を通っている
また前回、甲州街道という、東京(江戸)と山梨(甲州)を結ぶ江戸時代の街道について解説しました。
しかし、実際には中央線は甲州街道(高井田・調布・府中など)よりも、やや北に外れたルートを進んでいます。
当時の甲州街道沿線の住民たちが、汽車が吐く煙を嫌ったから?
この理由については、
- 明治時代に中央線の前身となる「甲武鉄道」という民間の会社が、
- 鉄道を建設していくときに、
- 甲州街道の宿場町の皆さんが、蒸気機関車が吐く煙を嫌ったから
ということが、原因の1つとして考えられます。
これを鉄道忌避説と言います。
ただし明治時代後半からは、鉄道駅が出来た周りから、街が発展していた
ただし、鉄道の駅が出来た町は、人のたくさん集まる駅の周辺から発展していきます。
つまり、鉄道や駅ができた町は発展する、という現象が明治時代の後半から大正時代にはよく起こっていました。
すると、線路のルートから外れた町は、必然的に衰退を余儀なくされることになってしまいます。
甲州街道ルート上の宿場町を、ばっちり カバーしている京葉線
甲州街道の宿場町の衰退のリスクを回避するためか(※)、現在では甲州街道の沿線沿いには、京王線が通っています。
「東京」と「八王子」を結ぶため「京王線」です。
京王線は高井戸・調布・府中など、かつての甲州街道の宿場町をばっちりカバーしています。
かつて「味噌」でも栄えてきた中野
東京都中野区は、中野サンプラザ(2023年7月2日に閉館)などの様々な商業施設があります。
中野は、なんでも江戸時代には農耕に加えて「味噌」や「醤油」などを作っていたそうです。
現代の中野の都会的なイメージからすると、ちょっと意外ですよね。
さらに中野は、渋谷や池袋までのアクセスも非常によく、新宿にも近い場所として非常に便利です。
さらに「中野ブロードウェイ」という商業施設には、第二の秋葉原とも思えるような、ディープなオタク系のお店が建ち並びます。
いや、むしろ秋葉原よりもさらにマニアックで深いコンテンツが立ち並ぶため、私は中野ブロードウェイに来ると毎回驚かされます。
多くの文豪たちが住んでいた杉並区
東京都杉並区は、1923年に関東大震災があった時に、壊滅的な被害を受けた都心のやや東の浅草周辺に住んでいた家がなくなった人たちが、どんどん西へ疎開してやってきた場所でもありました。
かつては井伏鱒二という、太宰治の先輩小説家も住んでいました。
阿佐ヶ谷の中杉通りの、杉の並木道が印象的です。
ちなみに「高円寺駅」「阿佐ヶ谷駅」「西荻窪駅」の三駅は、休日には中央線快速が停車しません。
休日の中央線快速の停車駅は、鉄道唱歌の駅とほぼ同じ(中野駅・荻窪駅・吉祥寺駅)です。
ロックと阿波踊りの街・高円寺
高円寺は、ロック(音楽)と阿波踊りで有名です。
高円寺は、数あるロックミュージシャンを輩出してきたという歴史があります。
そのため、しばしば「ロックの街」と紹介されます。
「阿波踊り」は、元々は徳島県由来のものでした。
しかし、東京へ来た徳島出身の人々が、高円寺の地元の人々に阿波踊りを教えたため、高円寺で阿波踊りが盛んになったのでした。
そして、
- 埼玉県越谷市の、南越谷の阿波踊り
- 高円寺の阿波踊り
- 徳島の阿波踊り
を合わせて、「日本三大阿波踊り」と呼ばれます。
「七夕祭り」とジャズの街・阿佐ヶ谷
阿佐ヶ谷は、夏の七夕祭りとジャズの街として有名です。
阿佐ヶ谷駅の発車メロディは、「たなばたさま」のジャズバージョンになっています。
近年はお笑いコンビの「阿佐ヶ谷姉妹」が人気で、よく駅構内のJR東日本のポスター等で登場します。
また、「たなばたさま」の発車メロディーは、神奈川県の
- 平塚駅(神奈川県平塚市)
でも、ゆったり曲調のバージョンが採用されています。
かつて文豪も暮らした街・荻窪
荻窪は、中央線快速が休日運転のときも停車する、杉並区の中でも比較的大きな街・駅になります。
先述の井伏鱒二や太宰治が、一時的に住んでいたのもこの荻窪になります。
武蔵野市の中心地・吉祥寺
吉祥寺は、東京都武蔵野市の中心駅です。
ここからはいわゆる「東京都23区」からは離れ、自治体は「市」になってゆきます。
なお地名は、「吉祥天」というインドの女性の神様に由来するものです。
ただし、吉祥天を祀るお寺は移転しており、吉祥寺には存在していません。
やがて中央特快も止まる、三鷹駅(東京都三鷹市)を過ぎます。
三鷹については、スペースの都合上、次回解説します。
かつて「堺駅」と呼ばれた、武蔵境駅
境町とは、現代の
- 武蔵境駅(東京都武蔵野市)
のことをいいます。
武蔵境駅は、当初は「境駅」という名前でした。
また、鳥取県境港市の境港駅も、当初は「境駅」という名前でした。
しかしこれだと重複するため、それぞれ
- 「武蔵境駅」
- 「境港駅」
になったという経緯があります。
江戸時代に造られた「玉川上水」
玉川上水とは、江戸・東京に水道水を提供するために掘られた、人工的な川です。
上水とは、飲み水などに必要な水を送るインフラです。
一方、下水とは汚物などを流すためのインフラです。
武蔵境駅のやや北を流れる、玉川上水
この玉川上水は、武蔵境駅の北約700mの位置を流れています。
ただ、歌詞では「境町より十四町」とあります。
「一町」は約100メートルなので、「十四町」だと約1.4kmです。
しかし、実際にはそこまで離れていないかと思われます。
「桜の花でいっぱいである」
そして「桜ならざる里もなし」とは、「桜もならない里はない」、つまり
- 「桜が必ずなる(咲く)里ばかりである」
- 「桜の花で満開である」
というような意味になります。
二重の否定になっているので、より強調された「肯定」の意味になるわけですね。
以上を踏まえると、
みんな桜がなる里ばかりである
(美しい桜の木でいっぱいである)」
という意味になります。
次回は、武蔵小金井駅へ
次は、武蔵小金井駅に止まります!
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