中央線鉄道唱歌 第23番 今や「旅」とは名のみになった 座席に座って山と川を越え、甲府に到着

まずは原文から!

今は旅てふ(たびちょう)名のみにて
都(みやこ)を出でゝ(いでて)六時間(ろくじかん)
座(すわ)りて越(こ)ゆる山と川
甲府(こうふ)にこそは着きにけれ

さらに読みやすく!

今は旅ちょう名のみにて
都(みやこ)を出(い)でて六時間(ろくじかん)
座(すわ)りて越(こ)ゆる山と川
甲府(こうふ)にこそは着きにけれ

さあ、歌ってみよう!

♪いまはたびちょう なのみにてー
♪みやこをいでてー ろくじかんー
♪すわりてこーゆる やまとかわー
♪こうふにこそはー つきにけれー

(中央東線)
高尾駅→相模湖駅→上野原駅→四方津駅→鳥沢駅→猿橋駅→大月駅→初狩駅→笹子駅→(笹子トンネル)→甲斐大和駅→塩山駅→山梨市駅→石和温泉駅→酒折駅→甲府駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

酒折駅(さかおりえき、山梨県甲府市酒折)を出ると、身延線(みのぶせん)との合流点を過ぎ、甲斐善光寺(かいぜんこうじ)や身延線・金手駅(かねんてえき、山梨県甲府市)の近くを通り過ぎます。

すると、窓の景色は間もなく、県庁所在地に相応しい高いビルに囲まれた、都会的な様相を呈してきます。
山梨県の県庁所在地である甲府市(こうふし)の中心駅・甲府駅(こうふえき、山梨県甲府市)に到着です。

甲府駅(山梨県甲府市)

旅ちょう」とは、「旅という」と意味です。
つまり、今や「旅」というのは「もはや名ばかりとなった」という意味です。

昔は険しい山岳地帯や峠道を、何日も宿場町に泊まりながら、徒歩または馬で移動していました。
山の中は暗くて常に遭難のリスクもありましたし、GPSもありませんから、道に迷ったら最期です。
大雨で道が泥濘(ぬかる)んだり、川の流れが急すぎて渡れないこともあったでしょう。
旅と言うよりも、もはやサバイバルですよね・・・(少なくとも現代人の我々からすれば)。
険しい山道で大雨に遭ったら、途方に暮れたりすることもあったでしょう。
そして山賊に襲われて、金品どころか命まで奪われるリスクもあったのです。

昔は川を渡ろうにも、橋もまともにありませんでした。それは軍事上の理由や、また何回橋をかけても洪水で流されてしまうので、ならばいっそ最初から橋をかけずに「渡し舟」を運航したり、または自力で川を渡るなどの危険な行為も必要でした。

それが鉄道が出来てからは、歌詞にあるように”座席に座ったままで”険しい山と川を越えられるようになったのです。

つまり鉄道の登場は、(当時としては)それまでの旅の常識を覆す、画期的な発明だったことでしょう。

歌詞によれば、鉄道唱歌の当時(明治時代)は、東京~甲府間が約6時間かかっていたことがわかります。
現在では普通列車でも約3時間、特急「あずさ」「かいじ」では約1時間半ほどで着きます。

昔の鉄道は「蒸気機関車」であり、現在の鉄道は「電車」です。
昔の列車は坂道に弱くなかなかスピードは出せませんでしたが、時代と共に列車の性能は向上し、坂道にも少しずつ強くなってきました。

また繰り返しにはなりますが、明治時代になって鉄道ができてからは、歌詞にあるように
「座席に座ったまま、険しい山と川を越えて移動できるようになった」
のです。

現代の我々は当たり前に列車に乗っていますし、車内でぼーっとスマホを見ているだけで簡単に山岳地帯を越えたりもできています。
しかしこうした昔の人々の苦労を知ることで、今の我々の当たり前の幸せをかみしめることができます。

そしてリニア中央新幹線ができれは、東京(品川)からわずか20分~30分ほどで甲府に着くことも可能になるでしょう(ちなみにリニアの駅は、甲府駅の南へ約3キロメートルほどの位置になると言われています)。

次回から、複数回にわたって甲府市の話題となります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました