山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説しています!
日本海の景色などについて、初心者の方にもやさしく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
汽車の窓より眺めやる
日本海の沿岸は
厳こゝ゛しく峙ちて
白浪よする勇ましさ
日本海の沿岸は
厳こゝ゛しく峙ちて
白浪よする勇ましさ
さらに読みやすく!
汽車の窓より 眺めやる
日本海の 沿岸は
厳こごしく 峙ちて
白浪よする 勇ましさ
日本海の 沿岸は
厳こごしく 峙ちて
白浪よする 勇ましさ
さあ、歌ってみよう!
♪きしゃのまどより ながめやるー
♪にっぽんかいのー えんがんはー
♪いーわおこごしく そばだちてー
♪しらなみよするー いさましさー
♪にっぽんかいのー えんがんはー
♪いーわおこごしく そばだちてー
♪しらなみよするー いさましさー
(山陰本線)
城崎温泉駅→香住駅→餘部駅→浜坂駅→居組駅→岩美駅→鳥取駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
城崎温泉駅→香住駅→餘部駅→浜坂駅→居組駅→岩美駅→鳥取駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
日本海を右にして走る

窓の右側の、日本海の景色(山陰本線の車窓より)
餘部駅(兵庫県)を出ると、再び山のトンネルをくぐります。
トンネルを出ると、ここからの山陰線の旅は、日本海を窓の右にして走る機会が多くなります。
歌詞の意味についても確認
- 「巌」とは、「大きな岩」のことです。
- 「こごしく」とは、「険しく」という意味です。
- 「そばだつ」は、「立ちならぶ」という意味です。
江戸時代には「西廻り航路」として栄えた日本海

右の窓の日本海(山陰本線の車窓より)
日本海は、江戸時代には「西廻り航路」として栄えてきた歴史があります。
「西廻り航路」は、
という、一大海上ルートです。
主に年貢の米などが運ばれた、西回り航路
西廻り航路では、主に「米」などの荷物が運ばれました。
米は「年貢」といって、いわば当時の「税金」でした。
また、「貨幣」の代わりでもありました。
西廻り航路は、河村瑞賢という人物によって整備されました。
昔は鉄道やトラックなどがなく、船がメインの輸送手段だった
なぜ「西廻り航路」のような船の(海上)ルートが普及したのか。
それは、当時はまだ貨物列車などの鉄道が無かったからです。
昔は、舟にたくさんの荷物を載せて運んだ方が、効率がよかったのです。
明治時代、貨物輸送は鉄道がメインへ
明治時代になって鉄道がメインになると貨物列車が主流になりました。
そして、西廻り航路のような海上ルートや、それに伴う港町は、衰退していくことになります。
高度経済成長期以降は、自動車・航空機などの台頭で、貨物列車は衰退へ
高度経済成長期になると、自動車や道路・航空機が普及していくようになります。
すると、今度は高速トラックや航空輸送などがメインとなってゆきます。
すると、鉄道による貨物輸送も衰退していくことになります。
そのため、多くの鉄道路線が廃止となってゆきました。
現代は「モーダルシフト」の動きも
しかし現在では、地球にやさしい貨物列車での輸送が再評価され、見直されつつあります。
これを「モーダルシフト」といいます。
次は、浜坂方面へ
次は、
- 浜坂
- 居組
- 岩美
の方面へと向かってゆきます!
コメント