鉄道唱歌 山陽・九州編 第14番 鞆の浦は、とても美しい海の景色

鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(福山・鞆の浦)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

武士が手に鞆の浦とものうら
こゝよりゆけば道三里みちさんり
仙醉島せんすいじまを前にして
けむりにぎはふ海士あまの里

さらに読みやすく!

武士が手に鞆の浦とものうら
ここよりゆけば 道三里みちさんり
仙酔島せんすいじまを 前にして
けむりにぎわう 海士あまの里

さあ、歌ってみよう!

♪ぶーしがてにまく とものうらー
♪ここよにゆけばー みちさんりー
♪せんすいじーまを まえにしてー
♪けーむりにぎわう あまのさとー
(山陽本線)
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ

現代語訳(鞆の浦)

まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。

  1. ​武士が弓を射るときに左手首に巻くという、あの「とも」ではないが、その名を持つ美しいともうらへは、
  2. ​この福山駅から向かうとすれば、その距離は約三里(約12キロメートル)の道のりである。
  3. その鞆の浦のすぐ目の前には、仙人も酔いしれるほど美しいとされる仙酔島せんすいじまが浮かんでおり、
  4. ​岸辺に目を向ければ、漁師たちが暮らす家々(海士の里)から、夕餉(夕ご飯)を支度する穏やかな煙がにぎやかに立ち上っている。

福山の名勝・鞆の浦

鞆の浦とものうらは、広島県福山ふくやまにある景勝地です。

鞆の浦(広島県福山市)

鞆の浦(広島県福山市)

福山駅から南西約10km、バスで約30分

鞆の浦は、福山駅から南西へ約10km、バスで約30分ほどで行くことができます。

歌詞では

ここ(福山駅)よりゆけば道三里

とあります。1里=約3.9kmなので、だいたい南西へ約10km程度、というところでしょうか。

鞆の浦に残る、江戸時代の古い町並み

鞆の浦には、かつての江戸時代の古い町並みがたくさん残っています。

それは、江戸時代までは港町として、大きく発展してきた歴史があるからです。

舟で荷物を運ぶ、「水運」の拠点だった

では、なぜ鞆の浦が港町として大きく発展したのか

それは、昔は現在のように長距離トラックや航空機、鉄道などによる貨物輸送が無かったため、水運による輸送が主流だったからです。

つまり、船に沢山の荷物を運んで乗せて運んだ方が効率良かったのです。

特に瀬戸内海せとないかいは、平清盛たいらのきよもりの本拠地だったこともあって、日宋貿易にっそうぼうえきや軍事上の理由などから、港が大きく発展していくことになりました。

なお、瀬戸内海とは、中国地方と四国地方の間に挟まった海のことです。

明治時代に「鉄道」が一般的になり、舟での水運は衰退

しかしながら、明治時代に入って鉄道による貨物輸送が主流となっていきました。
するとそれ以降は、水運は徐々に衰退していくようになりました。
それにしたがって、鞆の浦もかつてのような物流拠点としての役割は、鉄道に明け渡すことになったのでした。

そしてこれは、同じく海上輸送の交通で栄えた西隣の尾道市おのみちしにも同じことが言えます。

しかしその鉄道貨物輸送も、1960年代には長期的トラック輸送に置き換えられていくこととなり、衰退の一途いっとをたどるようになってゆきます。

「潮の待ち場所」としての鞆の浦

また鞆の浦は、「潮の待ち場所」として有名でした。

瀬戸内海の「真ん中」にあり、東西からの潮がぶつかる場所

それは何故かと言うと、鞆の浦は瀬戸内海のちょうど真ん中にあり、東西の潮の流れがぶつかる場所だからです。
満ち潮の時にその逆方向に船を動かすと、船のスピードが下がってしまい効率悪いのです。

満潮時は「満ち潮」の方向に、 引き潮の時は「引き潮」に従って船を動かしたほうが、船を進める効率がよいわけです。

くれぐれも、潮とは逆の逆走」をしないことが重要でした。

月の引力は、地球の海にも影響している!

なお、潮の満ち引きは、月の万有引力ばんうゆいんりょくによって発生します。
月は地球の周りを公転しているため、月の位置にある海面は、上昇してゆきます
これが満潮まんちょうという現象です。

この流れをうまく利用するかしないかでは、当時の舟は大きくスピードに影響していたのでした。

昔の舟にとって、「潮の流れ」は重要だった

昔の舟は、

  • 明治時代のような蒸気(蒸気船)
  • 現代のような軽油(ディーゼルエンジン)

などのエネルギーや燃料などで進んでいたわけではなく、あくまで風と潮の流れなどに大きく左右されていました。

瀬戸内海のちょうど真ん中にある鞆の浦は、

  • 東:紀伊水道きいすいどう(和歌山県と徳島県の間にある海峡のこと)
  • 西:豊後水道ぶんごすいどう(大分県と愛媛県の間にある海峡のこと)

の両方から入ってくる海水がぶつかり合います。

「潮待ちの場所」鞆の浦

そのため、鞆の浦を境にして、潮の流れが逆になるのです。
そのため、潮の満ち引きを待つのに都合が良かった場所とも言えます。

逆にいえば、例えば鞆の浦から大阪(大坂)方面へ向かいたいときに、満潮になるタイミングで行こうとすると潮の流れが逆になります。
そのため、舟のスピードが遅くなり、効率がよくない航行になります。

  • 大坂へ行きたい→潮が引く(東へ進む)時間帯を待つ
  • 下関へ行きたい→潮が引く(西へ進む)時間帯を待つ
  • 潮が満ちる時間帯:鞆の浦方面(例:下関→福山、大坂→福山)へやってくるチャンス

そのため、靹の浦では満ち潮・引き潮を待つ、多くの船が集まったというふうに言われています。

このように、上手く「潮の流れ」が読めないと、昔の舟はまともに進むことすらできなかったわけですね。

余談:広島の「松島」!?(鞆の浦)

鞆の浦は、あくまで個人的意見ではありますが、宮城県にある日本三景松島まつしまのように美しいです。
広島の松島」と言ってもいいかもしれません。

松島については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 奥州・磐城編 「松島船あそび」 松島の海を周遊!
鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説しています!鉄道の知識のみならず、歴史や旅行を楽しむためのノウハウを、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう解説してゆきます!

しかし、広島には元々、日本三景の1つ「宮島みやじま」があります。
そして、そちら(宮島)があまりに有名であるため、鞆の浦はどうしても「うさぎの楽園」で知られる景勝地・大久野島おおくのしまとともに、宮島の陰に隠れてしまいがちです。

それだけ鞆の浦は、美しい海の景色があると思っています。

宮島については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

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冒頭の掛詞・ダジャレの解説(鞆の浦)

また、今回の歌詞は冒頭のフレーズに、とてもお茶目な仕掛けが隠されています。

  1. ​「ともうら」という​地名
  2. 昔の武士が弓を射るときに、左手首の内側に巻いてガードした、革製の道具である、「とも

をそれぞれ掛けています。

すなわち、​「武士が(左)手に巻く」という言葉から、自然と「鞆の浦」という美しい港町の名前へと繋がっていくのですね。

本当に教養深くて、お茶目な一節でした!

仙酔島(鞆の浦)

仙酔島せんすいじまとは、鞆の浦にある数ある(松島のような)島の1つであり、

「まるで仙人いしれてしまうかのような、それほど美しい島だ」

という意味でつけられました。

海士あまとは、現在でいう「漁師」のことをいいます。
海士の里というのは、つまり漁師たちの住む街のことをいいます。

また、鞆の浦は「崖の上のポニョ」の舞台としても有名になりました。

福山訪れて時間的に余裕がある場合は、是非とも靹の浦を訪問・観光してしていくとよいでしょう。

次回は、福山を出て、尾道へ

福山駅に戻り福山を出発すると、次は尾道に止まります!

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