鉄道唱歌 山陽・九州編 第35番 宇佐神宮を参拝!和気清麻呂も訪れた八幡神社の頂点

まずは原文から!

歴史(れきし)を讀(よ)みて誰(たれ)も知る 
和氣清麿(わけきよまろ)が神勅(しんちょく)を
請(こ)ひまつりたる宇佐(うさ)の宮(みや)
あふがぬ人は世(よ)にあらじ

さらに読みやすく!

歴史(れきし)を読みて誰(たれ)も知る 
和気清麻呂(わけきよまろ)が神勅(しんちょく)を
請(こ)いまつりたる宇佐(うさ)の宮(みや)
あおがぬ人は世(よ)にあらじ

さあ、歌ってみよう!

♪れきしをよーみて たれもしるー
♪わけきよまろがー しんちょくをー
♪こいまつりーたる うさのみやー
♪あおがぬひとはー よにあらじー

宇佐駅からは、バスで宇佐神宮へ

列車は既に、大分県宇佐市(うさし)の宇佐駅(うさえき)に到着しています。

宇佐駅からは、バスで宇佐神宮(うさじんぐう)へと向かうことになります。

「八幡の神様」の頂点に君臨する、宇佐神宮

宇佐神宮(うさじんぐう)は、三大八幡(さんだいやはた)の神様の総本社(そうほんしゃ)です。
八幡神社(やはたじんじゃ)は全国で約4万あり、日本の神社の中でもトップクラスに多いのです。
なので宇佐神宮は、実はもう日本で一番すごいくらいの神社なんじゃないか?って思えるくらいです。もっとも、日本で最も格式の高い神社は、皇室とも関連性がある三重県の伊勢神宮ですが、宇佐神宮もそれだけ重要な神社ということです。

「八幡の神様」は、源氏からも代々信仰されてきた、「戦いの神様」

八幡の神様(やはたのかみさま)というのは、つまり戦いの神様であり、あの源氏からも代々崇拝されてきました。
理由はもちろん、戦勝祈願のためです。
源氏が主に崇拝していた八幡神社は、神奈川県の鎌倉市(かまくらし)にある鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)というのは言うまでもないですね。

なお三大八幡宮(さんだいはちまんぐう)というのは、この宇佐神宮と福岡の筥崎宮(はこざきぐう)、そして京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)です。

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、源義家(よしいえ)が元服(げんぷく)し、八幡太郎(はちまんたろう)という名前を授かった場所です。
元服(げんぷく)とは、成人の儀式を終えることです。

しかし、先ほど挙げた鎌倉の鶴岡八幡宮も非常に有名で大きな神社なので、
鶴岡八幡宮も合わせて四大八幡神社と言ってもいいんじゃないか、と個人的には思っています。
ただ、鎌倉時代に建てられた鶴岡八幡宮は他の八幡神社と比べたら比較的後の時代なので、これは仕方ないかもしれません。

奈良時代に、和気清麻呂がはるばる訪れ、神様の教えを受けた宇佐神宮

歌詞にある和氣清麻呂(わけきよまろ)とは、奈良時代の僧侶である道鏡(どうきょう)の怒りを買った人物です。

奈良時代、仏教勢力があまりにも奈良の都に蔓延り(はびこり)すぎたので、発言力の強くなった奈良のお坊さんたちは政治に対して色々と口出ししてくるようになってきます。
つまり、政治に対する影響力が大きくなってしまうということです。
そして、この道鏡(どうきょう)という人物が天皇になりたいと言い出したのです。

天皇は、今から約2680年前に初代の神武天皇(じんむてんのう)から始まって、現代の令和に至るまで126代までずっと神武天皇の血筋と流れをくんでいます。
ましては道鏡のような仏教の勢力の僧侶が天皇になるということは、前代未聞の大事件だったのです。

その道鏡(どうきょう)が天皇になるということが正しいかどうかを確認するために、和気清麻呂がはるかここ大分の宇佐神宮まで赴いたのでした。
そして神様に問い合わせたところ、

「そんなことは、けしからん。ありえない。」

という神様のご教示を受けて、それを奈良の都まで持ち帰りました。
すると当然ながら道鏡は怒り、和気清麻呂は左遷となってしまいました。

ちなみに「麻呂」は、「麿」とも書きます。
昔の漢字は難しいので、簡略化されて「麻呂」のような表記となったと思われます。

宇佐神宮は、「片参り」は非推奨 なるべく「両参り」をしよう

宇佐神宮では、上宮(じょうぐう)と下宮(げぐう)があります。よく写真で知られる宇佐神宮の社殿は上宮の方であり、そのちょっと離れた場所に下宮があります。

宇佐神宮では、上宮と下宮の両方を参拝することがよいとされています。

いわゆる「片参り」という、上宮のみの参拝行為が推奨されておらず、下宮との両方を参拝する「両参り」が推奨されています。
帰りの宇佐駅行きのバス停まではちょっと遠く乗り遅れないよう気をつける必要がありますが、上社と下社両方の参拝が行えるように時間に余裕を持って行動したいものです。

「仰がぬ人は世もあらじ」とは?

最後は、歌詞4行目の「仰(あお)がぬ人は世にあらじ」の意味について考えてみましょう。

あうぐ」「あおぐ(仰ぐ)」は、尊ぶという意味です。

あらじ」とは、「(まさか)ないだろう」という意味です。
ここで「」とは、推量(すいりょう。~だろう)の否定の意味で用いられます。
つまり、「~ないだろう」という「打消推量(うちけしすいりょう)」になります。

したがって、「世にあらじ」は、「まさかこの世にいないだろう」の意味になります。

まとめると、
宇佐神宮を参拝しない、尊ばない人はまさかこの世にいないだろう

などのような意味になります。

宇佐神宮は、先にも述べたように、あの源頼朝(よりとも)を筆頭に歴史的に信仰されてきた「八幡の神様(やはたのかみさま)」を祀る、全国で最も数の多い「八幡神社(やはたじんじゃ)」のトップに立つ非常に格式の高い寺です。
そんな格式の高い宇佐神宮を、「まさか拝んでいかない人はこの世にいないだろう」のような意味で歌っているわけです。

大分県のこの辺りに来られた時は、宇佐駅で是非降りて、バスに乗り換え、宇佐神宮に参っていきたいものですね!

宇佐駅からは、再び小倉駅へ戻る

宇佐駅(大分県宇佐市)

では、次回より宇佐駅に戻り、日豊本線(にっぽうほんせん)を再び逆戻りし、北九州・小倉(こくら)まで戻ります!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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