
樽見鉄道からの根尾川の景色(岐阜県)
樽見鉄道

大垣駅の樽見鉄道のりば(岐阜県大垣市)
今回は、岐阜県の樽見鉄道の魅力をたっぷりと解説してゆきまます!
岐阜県における
- 大垣駅(岐阜県大垣市)から
- 樽見駅(岐阜県本巣市)まで
をそれぞれ結ぶ樽見鉄道。
「樽鉄」の愛称で親しまれるこの路線は、のどかな風景と力強い歴史が詰まっています。
岐阜県大垣市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

基本と概要:みんなで守る「地域の足」

樽見鉄道からの根尾川の景色(岐阜県)
まずは、樽見鉄道がどんな鉄道なのか、基本的なところを見ていきましょう。
- 周辺のセメント会社や自治体の協力による、第三セクター方式で運営されている。
- 大垣駅(大垣市)から、北の山岳地帯に近い樽見駅(本巣市)までの34.5kmを結ぶ。
- 全ての区間が、レール1本のみの単線である→途中の駅などで「列車同士のすれ違い」を行う
- 電気で走る「電車」ではなく、軽油で走るディーゼル車(気動車)が走っている。
- 日本三大桜の一つで人気の、淡墨桜へのアクセス路線として有名。
第三セクターとは
ちなみに第三セクターとは、国や地方自治体(公)と、民間企業(民)が共同で出資して作る団体のことです。
ここでは、かつて赤字で廃止になりそうだった国鉄の路線を、それ以降は岐阜県や周辺の市町村(本巣市など)、またセメント会社などの企業が協力して引き継いだという形になります。
地理:絶景の「トンネルと鉄橋」の連続!

樽見鉄道からの根尾川の景色(岐阜県)
樽見鉄道における地理的な面白さは、なんといってもその車窓の変化です。
初めは大垣市街地からはじまる濃尾平野の平らな景色から、徐々に険しい山の中へと入っていく様子は、まるで冒険をしているみたいでワクワクしますね!
- 根尾川に沿って、線路が敷かれています。
- 特に水鳥駅(岐阜県本巣市)周辺では、根尾谷断層が地表に現れているという、珍しい場所を通ります。
- 終点の樽見駅に近づくほど、山深い秘境感が強まってゆきます。
したがって、川を何度も(高いところを渡す橋によって)またぐたびに景色が変わり、カメラを構えたくなる瞬間が何度も訪れますよ!
このように、根尾川のエメラルドグリーンの川面は、本当に息をのむ美しさですね!
樽見鉄道の歴史:セメント輸送から観光の主役へ
樽見鉄道の歴史をひもとくと、もともとは「石を運ぶため」の役割がとても大きかったんです。
今の華やかな観光路線のイメージとは、少し違う意外な一面があります。
- もとは国鉄(つまりJR社の前身)の樽見線として開業したのでした。
- 当時は、コンクリートの建物がメジャーな時代であり、セメントを作れば作るほど売れる時代でした。
- そんな時代の中、住友大阪セメントの岐阜工場から、セメントを運ぶ貨物列車が樽見鉄道における主役の列車でした。
- しかし時代はトラック輸送が主流の時代となり、貨物輸送は廃止されることとなりました。
- 貨物輸送が廃止された後は、大きなピンチを迎えたのでした。
- しかし、現在は観光や通学の足として、地域に愛され続けています。
すなわち、昔は「産業を支える力持ち」として活躍し、今は「思い出を作る案内役」として頑張っているということですね。
時代に合わせて姿を変えて生き残る姿には、深い愛着を感じてしまいます!
樽見鉄道についてさらに深く掘り下げ
樽見鉄道について、さらに踏み込んだ内容を深掘りしてゆきましょう。
歴史や地理的な背景を知ると、あののんびりした路線がまた違った景色に見えてきますね。
樽見鉄道の成り立ちと謎に迫る そもそもできた理由は?
樽見鉄道がそもそも出来た最大の理由は、沿線にある豊富な石灰石やセメントといった資源を運ぶためでした。
すなわち、戦前から線路の工事が始まってゆき、戦後も引き続きセメントなどを運んで各地へ売るための「資源の輸送路」として、また通勤・通学など地域の交通手段としても期待されて開通しました。
自動車の普及・モータリゼーションなどにより、利用客が激減
しかし後に、自動車の普及・モータリゼーションなどにより利用客が激減し、一度は廃線の危機に陥りました。
モータリゼーション:自動車が普及して、人々の生活や荷物の輸送が、鉄道から自動車中心に変わっていく現象のことです。
しかしながら、
という声が後押しとなり、その後は第三セクター線として生き残ることができたというわけです。
昔は自動車がなかったから、鉄道で運んだのか?
当時の自動車(トラック)は、現代のような重い荷物を大量に運ぶ能力がまだありませんでした。
特にセメントや石灰石といった重量物は、一度に数百トン単位で運ぶ必要があります。
そのため、トラックや航空機などよりも鉄道(貨物列車)の方が最も効率的でコストの低い手段だったというわけです。
このように、初めの頃の自動車はまだまだ非力だったことから、当時は「鉄道こそが物流の主役」という時代背景がありました。
時代とともに自動車に押され気味になっていく
しかしながら、時代とともに自動車がどんどん高性能化していくと、鉄道は徐々に自動車にシェアを奪われる形になっていきました。
つまりトラックで大規模に運べるようになると、ドアツードアで小回りの利くトラックの方がコスパ良くなったわけですね。
その結果、樽見鉄道はセメント輸送業から撤退せざるを得なくなったというわけです。
根尾川水運との競合や反対運動は?
ちなみに明治時代において、それまでの 既存の川に並行した鉄道の線路を建設しようとすると、どうしても起こりがちなのが、反対運動というものになります。
根尾川での水運は、主に江戸時代から明治にかけて木材を流す「筏流し(いかだながし)」が中心でした。
しかし、鉄道が計画された大正から昭和初期には、この頃になると水運はすでに衰退し始めていました。
むしろ、鉄道ができることで「荷出しが楽になる」「町が発展する」という期待が大きく、目立った反対運動よりもむしろ「鉄道をわが町へ!」という誘致運動の方が盛んだったというのが実態です。
セメント需要は関東大震災がきっかけ?
1923年の関東大震災は、まさに日本の建築史を大きく変えました。
つまり、関東大震災はまさしく
- 「レンガの時代が終わりを迎え、セメントが広く普及していく」
というきっかけになりました。
地震によって、それまで主流だったレンガ造りの建物が次々ともろくも崩壊していった一方で、当時の新しい建築材料である鉄筋コンクリート造の建物の強さが証明されたというわけです。
これを受けて、全国でビルや橋の建設においてセメントが(建築資材として)爆発的に使われるようになり、それに伴って樽見鉄道沿線の石灰石資源の価値が一気に高まることになりました。
廃線の危機は福井側と繋がらなかったから?
樽見鉄道は福井方面に向かって北へ伸びてますが、実際には福井方面に繋がっていない盲腸線のようになっています。
また、樽見鉄道の廃線の危機の主な要因は、モータリゼーション(自家用車の普及)と、最大の収入源だったセメント貨物輸送の廃止にありました。
確かに、福井県側と繋がって「通り抜け」ができる路線になれば、旅客収入が増えて維持しやすかった可能性はあります。
すなわち、行き止まりの「盲腸線」になってしまったことが、樽見鉄道の経営を苦しくした大きな遠因の一つと言えるでしょう。
盲腸線:行き止まりになっていて、他の路線と繋がっていない鉄道支線のことです。
樽見駅と水鳥駅は本巣市?
ちなみに、終着のどちらの駅も岐阜県本巣市(旧・根尾村)にあります。
- 水鳥駅:住所は本巣市根尾水鳥です。
- 樽見駅:住所は岐阜県本巣市根尾樽見です。
本巣市は南北にとても長い市であるため、大垣に近い平野部からこの2つの駅がある深い山奥に至るまで、すべて同じ市だというのは驚きですよね。
根尾川沿いを走るのは、コスパが良かったから?
昔の鉄道建設において、川沿いに線路を通すということは一種の「定石」でした。
すなわち、
- 険しい山の中を突っ切るよりも、
- 川が削って作った平坦な道筋を利用するほうが、
- 大規模なトンネルを掘る数を減らせて、
- それによって建設費用を抑えられた
からです。
このように、自然の地形を最大限に利用することが、当時の最も効率的な(コスパの良い)ルート選びだったと言えます。
なぜ姿を消してしまったのか
2006年(平成18年)3月をもって、この貨物列車は惜しまれつつ廃止されました。
主な理由は以下の通りです。
- トラック輸送へのシフト:周辺の道路が整備され、小回りのきくトラック輸送の方がコスト面で有利になりました。
- 工場の出荷体制の変化:鉄道で大量に運ぶスタイルから、必要な分をこまめに運ぶスタイルへ変わったためです。
地震の記憶を伝える「根尾谷断層」

根尾谷断層(岐阜県本巣市)
最後に、ちょっとマニアックで興味深いお話を一つ。
この路線の近くには、世界的に有名な歴史の跡があるのでした。
- 水鳥駅(岐阜県本巣市)のすぐそばには、明治時代の濃尾地震でできた根尾谷断層があります。
- 地面が最大で6mもズレた跡が、今もはっきりと残っています。
- 国の特別天然記念物に指定されています。
このように、地震の大きなエネルギーを目の当たりにできる場所を、トコトコと走る列車から眺められるなんて、他ではなかなかできない体験ですよね!
自然の驚異と、それを乗り越えて走る鉄道の対比が、とてもドラマチックだと思いませんか?
「淡墨桜」とは?(樽見鉄道の観光)
樽見鉄道の終着駅・樽見駅(岐阜県本巣市)にほど近い場所にある淡墨桜は、
- 散りぎわに、花びらが白から、淡い墨のような色に変わる
ということから、この美しい名前がつきました。
淡墨桜が1500年も生き続けている理由
淡墨桜なんと1500年間もずっと咲いている桜だそうです。
この桜が今もなお美しい花を咲かせているのには、大きく分けて3つの理由があります。
種類が「エドヒガン」であること
私たちがよく目にするソメイヨシノに比べ、このエドヒガンという種類は非常に寿命が長く、数百年から千年を超える巨木になるポテンシャルを持っています。
- ソメイヨシノ:推定寿命60年〜80年程度
- ヤマザクラ:推定寿命200年〜500年以上
- エドヒガン:推定寿命数百年〜1000年以上
懸命な再生手術(根接ぎ)が行われたこと
戦後間もない昭和23年(1948年)頃、淡墨桜は枯死寸前の状態に陥りました。
しかし、当時の医師である前田利行氏らによって、山桜の若い根を接ぎ木する「根接ぎ(ねつぎ)」という大規模な手術が施されました。
こうした人為的な手術によって、薄墨桜は奇跡的に活力を取り戻したというわけです。
地域の人々の深い愛情と守るためのサポート
現在でも地元の「淡墨桜顕彰保存会」の方々が、
- 周囲の土壌改良や害虫駆除
- 積雪による「枝折れ」を防ぐための、「雪囲い」
などといった、桜の木を守るための様々な世話をされています。
まさに、人々の愛がこの命を支えているというわけですね!
樹齢1500年の淡墨桜を守る取り組み
このように、樽見鉄道の終点近くにある淡墨桜の圧倒的な姿と、それを守ろうとする地元の人々の熱い想いがあるというわけです。
おわりに・まとめ
いかがだったでしょうか。
最後に、樽見鉄道の観光と未来について、これまでの歴史を踏まえてまとめますね!
かつての収入の8割を占めていた「セメント輸送」の主役から、現在は「地域の宝を守る観光路線」へと、その姿を大きく変えようとしています。
春は何といっても薄墨桜へのアクセス路線として重要です。
また樽見鉄道には多くのファンがおり、経営が厳しい中でも、その維持のための活動が盛んに行われています。
ガタゴトと揺れる列車に揺られて、地元の皆さんが守り抜いた風景を見に行く…そんな旅が、これからも続いていくことを願わずにはいられませんね!
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