鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
おかれしあとは此の處
宮に祭れる菅公の
事蹟かたらんいざ來たれ
さらに読みやすく!
おかれしあとは 此の処
宮に祭れる 菅公の
事蹟かたらん いざ来たれ
さあ、歌ってみよう!
♪おかれしあとはー このところー
♪みーやにまつれる かんこうのー
♪じーせきかたらん いざきたれー
千年もの昔から存在してきた、太宰府
大宰府は、千年前の昔つまり飛鳥時代の頃から、もっといえば663年の白村江の戦いのあった時期から、
- 大陸からの侵攻の防御のため
に、日本を守る為の「玄関口」「防御の拠点」として、この場所に設置されました。
当時、外国に最も近かった九州
現代の日本の玄関口といえば、
- 成田空港
- 関西国際空港
などの空港がそれにあたります。
つまり空港こそが、日本から外国へ最も近い「玄関口」であるというわけです。
しかし、昔は飛行機などなかったため、 当時の日本の玄関口は、地理的に外国に近い、九州の北にある大宰府だったというわけです。
外国のVIPを招き入れる「迎賓館」もあった
逆に言えば、当時の外国人にとっては、大宰府が日本の玄関口でした。
そのため、海外の国賓、つまりお偉い方々(VIP)を招くための迎賓館(海外の国賓を豪華にもてなす場所のこと)もありました。
太宰府の政庁・都府楼跡
大宰府の政庁跡、つまり都府楼跡は現在でも史跡として、または公園として残されています。

都府楼跡(大宰府政庁跡)(福岡県太宰府市)
なお、「大宰府」と「太宰府」は、前回も解説したように漢字が違います。
すごく簡単にいうと、
- 昔からこの地域にあった政治の中心地→「大宰府」
- 福岡県太宰府市の自治体名→「太宰府」
など、一応の使い分けは存在します。
歌詞にある「宮」とは、ここでは太宰府天満宮のことをいいます。
菅原道真公が、左遷によって訪れてきた太宰府
また、歌詞にあるように菅原道真公のことを菅公とも呼ばれます。
または、親しみを込めて「菅公さま」というふうにも呼ばれます。
醍醐天皇の時代、大宰府へ左遷となった菅原道真公
かつて菅原道真公は、平安時代の西暦900年、京都で醍醐天皇のそばで働いていた時にあらぬ罪を着せられてしまい、大宰府に左遷となってしまいました。
「左遷」とは、悪いことをした人に対して罰として、不便な僻地に追い込むことです。
なぜ「左遷」となったのか
ではなぜ、そのような「左遷」という処置がなされたのか。
それは、例えば「死刑」よりもあえて不便な場所に追い込んで惨めな思いをさせる、ということが理由として考えられます。
そして、昔は報復左遷や流罪、そして「島流し」ということがよく行われていたのでした。ある意味、これらは死刑よりむごいかもしれません。
菅原道真公は、生涯最後の2年間は、余生をこの大宰府で惨めな思いをしながら過ごしたのでした。
その惨めな最期の生涯を、鉄道唱歌ではこれから語っていこうということです(「=事績語らん いざ来たれ」)。
次回から続く「大宰府シリーズ編」
鉄道唱歌では、ここから長い長い「大宰府シリーズ編」に突入します!
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