まずは原文から!
大土呂(おおどろ)鯖江(さばえ)あとにして
武生(たけふ)鯖波(さばなみ)はしりゆく
汽車は今こそ今庄(いまじょう)に
つきて燧(ひうち)の城(しろ)も見つ
さらに読みやすく!
大土呂(おおどろ)鯖江(さばえ)あとにして
武生(たけふ)鯖波(さばなみ)はしりゆく
汽車は今こそ今庄(いまじょう)に
つきて燧(ひうち)の城(しろ)も見つ
さあ、歌ってみよう!
♪おおどろさーばえ あとにしてー
♪たけふさばなみー はしりゆくー
♪きしゃはいまこそ いまじょうに
♪つーきてひうちの しろもみつー
(IRいしかわ鉄道線)
金沢駅→松任駅→美川駅→小松駅→動橋駅→大聖寺駅
(ハピラインふくい線)
大聖寺駅→細呂木駅→芦原温泉駅(旧・金津駅)→福井駅→大土呂駅→鯖江駅→武生駅→南条駅(旧・鯖波駅)→今庄駅→(北陸トンネル)→敦賀駅
(北陸本線)
敦賀駅→新疋田駅→近江塩津駅→余呉駅→木ノ本駅→長浜駅→米原駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
※北陸トンネル・新疋田駅・近江塩津駅・余呉駅は、鉄道唱歌の当時とはルートが異なります
福井駅を出ると、ここからはまた旧・北陸本線のハピラインふくい線を通り、敦賀(つるが)方面へ向かってゆきます。
北陸地方の鉄道旅も、いよいよ大詰めに近づいてゆきます。
そして大土呂駅(おおどろえき、福井県福井市)、鯖江駅(さばええき、福井市鯖江市)、武生駅(たけふえき、福井県越前市)、南条駅(なんじょうえき、福井県南条郡南越前町)、そして今庄駅(いまじょうえき、福井県南条郡南越前町今庄)というふうに進んでゆきます。
歌詞にある鯖波(さばなみ)とは、現代の南条駅のことをいいます。
南条駅は、明治時代の開業当初は鯖波駅という名前でした。
なおこの区間は、2024年に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業したため、第三セクターの「ハピラインふくい」に経営が移管され、JR線(北陸本線)ではなくなりました。
これにより青春18きっぷの使用ができなりましたので、旅行に行くときはこのことは念頭に置いておきましょう。
この区間を走行する場合、別途乗車券を購入する必要がでてきます。
また、これに伴って日本海側の鉄道路線は、新潟県の直江津(なおえつ)から敦賀までは延々と第三セクター線の路線ということとなり、JR線(つまり、青春18きっぷで移動できる範囲)もかなり限定されることとなってきます。
そのため、直江津~敦賀の日本海沿いの旅をするときは、普通乗車券の購入予算を余分に計上しておいたり、またやや遠回りで内陸部のJR線を利用する(例:飯山線、篠ノ井線、大糸線、中央線、高山線など。ただし本数や所要時間は時刻表で要チェック)、素直に新幹線に乗る、高速バスなど代替の交通手段を検討する、などのアイデアも必要となってきます。
旅行のときは予算やスケジュールとの兼ね合いで、たくさん路線や所要時間を調べたり、頭を使って考えたり比較検討する必要がでてきます。
逆にこれらの作業が楽しいと感じられれば、あなたは上級の旅行者でしょう。
まあ、直江津から敦賀までできるだけJR線で(大部分を青春18きっぷにこだわって)行く場合は、
直江津→(信越本線)→宮内→(上越線)→越後川口→(飯山線)→豊野
※北しなの線:豊野→長野 260円
長野→(篠ノ井線)→塩尻→(中央西線)→金山→(東海道線)→米原→(北陸本線)→敦賀
みたいなルートを考えるのも面白いです。
しかし非常に遠回りなので、体力と時間のある方や、真の「乗り鉄」さんのみ推奨です。また、豊野→長野の区間は「北しなの線」の区間なので、ここは別途料金(260円)が発生します。
福井県鯖江市(さばえし)は、メガネフレームの生産でも有名です。
なお鯖江市には、かつて江戸時代に鯖江陣屋(さばえじんや)がありました。
陣屋(じんや)とは、何らかの理由でお城が建てられない場合に建てる館(やかた)のようなものです。
江戸時代は、軍事目的からお城を新たに造ることが厳しく制限されていました。それどころか、お城の改修すら幕府の許可が必要だったのです。
その理由は、強いお城を建てられたりバージョンアップされたりすると、幕府の脅威となるからです。江戸時代になると、関ヶ原の戦いで徳川の敵側(西軍)についた藩や大名は遠くに飛ばされてしまい(外様大名)、様々な冷遇を受けていたことから、幕府に対して恨みを持っている可能性もあるので、幕府はあの手この手で各藩に力を付けさせないようにしていたのでした。
ちなみにお城は、3万石以上あれば持てたはずです。逆にいえば、3万石未満ならお城を建てることや保持は幕府から認められませんでした。
鯖江藩(さばえはん)は5万石ありましたが、なぜお城を持てなかったのか謎ですね。
何らかの理由で幕府から城建設の許可が出なかったのか、それとも陣屋を建てた後に5万石に増えたのか。
皆さんはどう思うでしょうか。
やがて燧城(ひうちじょう)に近い、今庄駅に着きます。
燧城は、これまで何度も説明してきた木曽義仲(きそよしなか)が、平氏に敗れてしまった城です。燧城はそこそこ堅牢(けんろう)な城だったらしいのですが、平氏に破れてしまい富山県の方まで大きく敗退・後退を余儀なくされました。
その後義仲は、倶利伽羅山(くりからやま)で500の牛に火を付けて平氏軍を撃退するなどの快進撃が始まりました。
詳しくは鉄道唱歌 北陸編の「倶利伽羅山(くりからやま)」のところで解説していますので、ご覧ください。
鉄道唱歌 北陸編 第53番 「火牛の計」 義仲が500の牛に火を付けて戦った倶利伽羅山
また、この辺りまで来ると滋賀県との県境も近くなります。
滋賀県との県境に、栃ノ木峠(とちのきとうげ)という峠があります。
栃ノ木峠(とちのきとうげ)は、福井県と滋賀県の間にある峠で、この県境付近は淀川(よどがわ)の源流があります。
私(筆者)は淀川のはじまりはてっきり琵琶湖だと思っていたのですが、実はさらに上流があり、この福井県との県境である栃ノ木峠付近がまさか淀川の源流とは知りませんでした(最近知りました)。
列車はやがて、北陸トンネルに入り、敦賀方面へ向かってゆきます!
注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
コメント