愛知と岐阜の境に眠る愛岐トンネル群!
40年間忘れ去られた明治の赤レンガ遺構の歴史や発見秘話や見どころを、わかりやすく解説します!

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。史実とは異なる描写がある可能性がありますので、ご了承ください。)
かつて約40年間忘れ去られてしまっていた遺構・愛岐トンネル群
前回のおさらい(玉野渓谷や古虎渓、土岐川/庄内川などについて)
前回は、主に以下の重要なポイントについて学んできました。
- 愛知・岐阜の県境に位置する玉野渓谷(古虎渓)は、庄内川(土岐川)が削り出した険しい渓谷美を誇る名勝です。
- 崖に立つ定光寺駅や古虎渓駅は、かつて単線時代のすれ違い用の信号所として誕生し、のちに駅へ昇格しました。
- 周辺に残る明治時代の「愛岐トンネル群」には、瀬戸焼や美濃焼の職人技を活かした頑丈な赤レンガが使われています。約40年間忘れ去られていたこの貴重な鉄道遺構は、現在は春と秋の年2回だけ特別公開され、当時の過酷な鉄道開拓史を今に伝えています。
まだ見られていない方は、ぜひ前回の記事もあわせてご覧くださいね!

近隣の多治見駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

同じく近隣の高蔵寺駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「愛知県」と「岐阜県」の境界線を結んでいたトンネルたち

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
愛岐トンネル群の「愛岐」という名前は、愛知県と岐阜県をそれぞれ結ぶトンネル群であることから付けられました。
愛岐トンネル群は、一言で言うと、
- 「40年以上も森の中に忘れ去られていた、明治時代のタイムカプセル」
のような、なんとも不思議な場所です。
先述の通り、定光寺駅の付近に、現在も存在している過去の遺構になります。
愛岐トンネル群 眠れる森の赤レンガ遺産

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
このトンネル群は、明治33年(1900年)に旧国鉄・中央西線として開通しました。
しかし、昭和41年(1966年)に新しい線路に切り替わったことで廃止され、その後は深い藪の中に埋もれてしまい、人々の記憶からは完全に消えてしまったのでした。
なぜトンネル「群」と呼ぶのか? 「~号」とつけられたトンネルの数々

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
「群」と呼ばれるのは、定光寺から多治見までのわずかな距離に、短いトンネルが数珠つなぎに連続しているからです。
明治時代に作られたときに、名古屋から長野方面へ向かって順番に「1号、2号…」と番号が振られました。
現在、愛知県側の保存団体が管理しているのが3号から6号までの4つであるため、これらをまとめて「愛岐トンネル群」と呼んでいるというわけですね。
なぜ40年間も忘れ去られたのか?(愛岐トンネル群)

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
これには、いくつかの「偶然」と「立地」が重なっています。
立ち入り困難な崖っぷち あっという間に草木に覆われた
また、明治時代から1960年代まで存在していた旧線は、川と崖に挟まれた場所にありました。
そのため、1960年代に新しい線路が出来て電車が走らなくなると、そもそもそこ(古い線路やトンネルがあった場所)へ行く道がなくなってしまいました。
また、このように誰も人が入らなくなった古い線路跡には、あっという間に竹や木が生い茂ってしまい、トンネルの入口を完全に隠してしまったのでした。
「負の遺産」扱いに
さらに当時は、「新しいもの」が素晴らしいとされた時代でした。
そのため、それまでの古いトンネルは「危ない、過去の遺物」として、地元の人もあえて近づかなくなっていったというわけです。
偶然の発見から始まった再生物語
しかし、再び光を浴びたきっかけは、2005年頃のちょっとした出来事でした。
地元住民の一言から、市民レベルによる発掘活動へ
2000年代に入ってから、たまたま近くの駅の改築において古いレンガが見つかったときに、地元の方が、
と言われたそうです。
それを聞いた地元の人々が山を実際に探索したところ、なんと木々に覆われた巨大な赤レンガのトンネルを次々と発見したというわけです。
したがって、今私たちがここを知ることができるのは、地元の皆さんが一生懸命に木を切り、道を整えてくれたおかげであるというわけですね!
普段は立入禁止 見学できるのは年二回の特別公開のときのみ
普段は立入禁止ですが、あくまで春・秋の年に2回だけ、門が開かれます。
トンネルの中はひんやりとしていて、中には当時の蒸気機関車の煤によって黒くなった部分が天井に残っていたりと、まさに「歴史の息吹」を肌で感じられるような場所です。
散策には懐中電灯・歩きやすい靴が必須にはなりますが、探検気分で散策をするのは最高に楽しいですよ!
「失われた旧線」がつなぐ一本の廃線跡、途切れた境界
愛岐トンネル群として整備されているのは、主に愛知県側の3号〜6号トンネルということになります。
また、その先の岐阜県側(古虎渓方面)にも、7号〜14号までのトンネルが、今でも藪の中に眠っているというわけです。
残念ながら岐阜県側は未整備であり危険なため立入禁止ですが、歴史的には一つの大きな「トンネル地帯」だったのですね!
なぜ岐阜県側は公開されないの?(愛岐トンネル群)
ではなぜ、岐阜県側は公開されないのか。
これは決して「意地悪」をしているわけではなく、「安全」と「所有権」の壁が非常に高いというさまざまな事情があるからです。
理由1:険しすぎる地形
岐阜県側のトンネル(7号〜)周辺は、愛知県側よりもさらに足場が悪く、土砂崩れの危険がある箇所も多いです。
理由2:管理主体の違い
まず愛知県側は、地元の市民団体の人々が情熱を持ってJRから土地を借り、その上で安全対策を施して、晴れて公開に漕ぎ着けました。
一方、岐阜県側は今もJRや複数の地権者が所有しており、万が一の事故の責任を考えたときに、そう簡単に「いいですよ」とは言えない事情があるわけです。
地権者とは?
その土地を所有している人や団体のことです。
今も藪の中に眠り続ける線路とトンネルたち

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
このように、明治時代の職人が一つずつ積んだレンガ、それを守り抜こうとする現代の市民。
そして、今も静かに眠り続ける岐阜県側のトンネル…。
この対比が、また一つこのエリアの物語を深くしていますね。
おわりに・まとめ

明治時代の愛岐トンネル群と庄内川/土岐川。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
玉野渓谷・古虎渓・庄内川(土岐川)・愛岐トンネル群の地理と歴史を巡る旅、いかがだったでしょうか。
明治の職人が焼いたレンガの温もりや、かつての鉄道建設の苦労や人々の努力などに思いを馳せると、この地域の景色がより違った形に感じられますね!
歴史を学ぶことは、過去から学び、これからに繋げることでもあります。
今回学んだ知識をもとに、次の旅行はきっと、あなただけの特別な冒険になることでしょう!
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