愛知県安城市が「日本のデンマーク」と呼ばれる理由とは?
明治用水の奇跡や三河安城駅、ニチバン工場誘致による発展の歴史をわかりやすく解説します。

明治時代の安城「日本のデンマーク」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
「日本のデンマーク」愛知県安城市
前回(三河安城駅)のおさらい
前回で、三河安城駅(愛知県安城市)についての以下の基本的な知識について学んできました。
- 東海道新幹線の三河安城駅は、多くの列車が通過する駅ですが、深い歴史を持ちます。
- 1988年に幸田町との誘致合戦を経て、建設費を地元が負担する「請願駅」として誕生しました。
- 既存の安城駅と異なり西三河全体への期待を込めて命名され、新幹線と在来線の駅が約150m離れているのは、隣接するニチバン工場の敷地に配慮し、立ち退きを避けたためでした。
- 三河安城駅は、単なる通過点にとどまらない、地域の熱意と工夫が詰まった駅といえます。
まだ見られていない方は、前回の三河安城駅の記事もご覧ください。

「日本のデンマーク」の玄関口・三河安城駅
「日本のデンマーク」とは?

明治時代の安城「日本のデンマーク」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
愛知県安城市では、大正時代から昭和初期にかけて、農業の仕組みが世界的に見ても非常に進んでいたのでした。
そのため、当時「農業先進国」だったデンマークになぞらえて「日本のデンマーク」と呼ばれたのでした。

「日本のデンマーク」の説明がなされた案内板(三河安城駅前より)(愛知県安城市)
安城市と「日本デンマーク」の物語
かつては「安城ヶ原」と呼ばれる不毛の地だったこの地域は、水がろくになくて、農業がまるで出来ないような土地でした。
というのも、川よりも高い位置にある台地だったため、雨が降っても水がすぐに地下へ抜けてしまい無くなっていたのでした。
このように、当時は田んぼを作るための水が全く足りず、ただ松林や原っぱが広がるだけの、農業をするには厳しい土地だったわけです。
しかし、そこを人の力で劇的な変化を遂げました。
農業の水を運ぶ「明治用水」と「矢作川」
明治用水が起こした「奇跡」
明治時代、このカラカラの大地に水を引くために、矢作川の上流からずーっと水路を作って水を引っ張ってくるという、壮大な計画が実行されました。
これが「明治用水」です。
矢作川とは、愛知県のこの地域を流れている大きな川のことです。
また、明治用水の水源にもなっている、三河地方の人々の暮らしには不可欠な川です。
明治用水(めいじようすい)とは?
明治用水は、かつて矢作川から水を引き、安城市周辺の乾いた大地を潤すために作られた、人工の川です。
これによって、安城の「不毛の地」が一大穀倉地帯に生まれ変わり、「日本デンマーク」への道が開かれました。
安城の地が「宝の山」に変わった
この「明治用水」の水が届いた途端に、それまで不毛だった安城ヶ原は、一気に豊かな農地に生まれ変わりました。
したがって、今の美しい田園風景は、昔の人たちが泥まみれになって水路を掘った努力の結晶というわけですよ。
デンマークと安城の共通点 デンマークも「不毛の地」から始まった
実はヨーロッパのデンマークも、元々は砂地が多く、農業にはまるで適していないような土地ばかりでした。
しかし、彼らはそこを大規模な土地改良や、そこに酪農を組み合わせるというより進んだ農業によって克服し、世界トップクラスの農業国になったというわけです。
精神が同じだったから「日本デンマーク」
安城市の人たちも同様に、たとえ土地の条件が悪くて恵まれていなくても、
という成功体験がデンマークとそっくりだったため、そう呼ばれるようになったわけですね!
ちなみに、三河安城駅の特徴的な駅舎はデンマークの農家を模したデザインとなっています。
安城市が誇るニチバン工場(三河安城駅の旅)
三河安城が誇る「セロテープ」の秘密
ニチバンセロテープとは?
実は、誰もが知る「セロテープ」の国内最大級の生産拠点(安城工場)が安城市にあるわけです!
1967年に安城市に工場が出来てからずっと、この街で私たちの生活に欠かせないテープが作られ続けています。
「セロテープ」は正式名称ではない?
実は、「セロテープ」は正式名称ではありません。
一般的な名称は「セロハンテープ(またはセロハン粘着テープ)」と言います。
そのため、「セロテープ」はニチバン株式会社の登録商標(ブランド名)というわけです。
しかしあまりにも有名になりすぎて、みんなが普通の名詞だと思って使ってしまう「普通名称化」の代表例ですね!
普通名称化:特定の商標や商品名が有名になりすぎた結果、そのジャンルの製品全体を指す一般的な言葉として定着してしまうことです。
なぜ安城に「セロテープ」の拠点があるの?
広大な土地があり、交通の便が最高だった
明治用水によって農業が盛んになった後、さらに街を豊かにするために「工業」の誘致も進められてゆきました。
- 安城市は地理的に愛知県のほぼ中央にあること
- 街には国道1号線、東海道本線が通っており、便利な交通の要所であり、材料や商品を各地に運びやすいこと
- 明治用水による豊かな水資源があること(工場は水をたくさん使うため)
- 周辺から電力を得られやすいこと
などの要素が、ニチバンがここを拠点に選んだ決め手の一つだったと言われています。
ニチバン工場の誘致と安城市の発展
「雇用」の大きな受け皿になった
先述の通り、1967年に安城工場ができて以来、多くの地元の人々がそこで働くようになりました。
したがって、街に安定した仕事・雇用が生まれたことで、多くの人の暮らしが豊かになり、街に活気がもたらされたのは間違いありません。
街を豊かにする財源(税収)
また、街にこのような大きな工場があると、
- 会社が支払う「法人市民税」
- 工場という大きな建物・土地に対してかかる「固定資産税」
などの税収が、ドカンと市(安城市)に入ってくるようになります。
すなわち、ニチバンのような大企業の存在は、市が図書館や公園(デンパークなど)、さらには福祉や道路などを充実させていくための大切な資金源になっているんです!
まとめると、
- かつて不毛の地を潤した「明治用水」が農業を育て、
- その広い土地と交通の便が「ニチバン」などの工業を呼び込み、
- その税収こそが、今の「住みやすい安城」を作っている。
これこそが、三河安城駅周辺のドラマの正体ですね!
おわりに・まとめ
今回学んできた愛知県安城市のルーツには「日本デンマーク」と呼ばれた誇り高い農業の歴史や、街の発展を支えた工業の力強さがギュッと凝縮されています。
したがって、次にもし三河安城駅のホームに降り立ったり、車窓からニチバンの看板を眺めたりする時は、これまでとは違う感動があるはずです。
このように、歴史の重みを知ることで、何気ない風景が特別な「探訪スポット」へと生まれ変わります。
これらの知識を学ぶことで、三河安城駅および安城市への探訪が、より豊かで面白いものになることを願っています。
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