東海道線が中山道に沿って走る理由とは?
鈴鹿峠の回避から近江鉄道の宿場町、安土城跡や水郷・近江八幡の歴史まで、彦根から草津への交通の変遷を分かりやすく解説!

近江名物「びんてまり」(画像はあくまでAIによるイメージです。)

近江牛(画像はあくまでAIによるイメージです。)
はじめに:東海道線が中山道を通る謎と近江路の魅力
以前、鉄道唱歌の旅について米原や彦根までの観光ルートについて解説しました。
今回は彦根から草津までの歴史旅について、宿場町や名所の見どころを交えながら分かりやすくお届けします!
鉄道唱歌における米原から彦根(〜草津)までの鉄道旅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

彦根→草津の様々な交通の歴史
東海道線でありつつも、実際には中山道に沿った線路 その理由は!?
ここから先は、前回から何度も述べているように、東海道線といいつつも、実際には中山道のルートに沿っています。
中山道とは、前回の復習になりますが、江戸時代における
東京・日本橋→群馬県→長野県・軽井沢→諏訪湖→塩尻→木曾路(中央西線)→岐阜県→関ヶ原→滋賀県→草津→京都
というルートを歩いて(または馬で)、約20日かけて京都へと至る街道のことです。

中山道・険しい木曽路のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
中山道については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

なぜこの地域の東海道線は、中山道ルートなのか?
なぜ現在のこの地域の鉄道・東海道線は中山道のルートなのかというと、かつての旧・東海道における、三重県と滋賀県の県境をなす鈴鹿峠という難所を回避するためでした。
ただし、中山道のルートとはいいつつも、
- 東海道線・米原駅~近江八幡駅間
は、並行する
- 中山道・番場宿~武佐宿
のルートからは、約1km北を平行に走っています。
むしろ、後述する近江鉄道の方が、中山道のルートに準拠しています。
中山道の宿場町に沿った、近江鉄道ルート上の宿場町 「びんてまり」などの名物も
一方、近江鉄道ならば、この中山道の宿場町に準拠した地域を通ることができます。
近江鉄道は、琵琶湖の東側を走る私鉄の鉄道路線であり、「ガチャコン」の愛称で親しまれています。

近江牛(画像はあくまでAIによるイメージです。)

近江牛(画像はあくまでAIによるイメージです。)
中山道の宿場町と、近江鉄道線の駅との対応
ちなみに、中山道の宿場町と、対応する近江鉄道線の駅は以下の通りになります。
- 鳥居本宿→鳥居本駅(滋賀県彦根市鳥居本町)
- 高宮宿→高宮駅(滋賀県彦根市高宮町)
- 愛知川宿→愛知川駅(滋賀県愛知郡愛荘町)
- 武佐宿→武佐駅(滋賀県近江八幡市長光寺町)
中山道の宿場町・愛知川宿
なお、愛知川宿・愛知川駅のある愛荘町は、西武グループの創業者である堤康次郎さんの出身地として知られます。
愛知川の名物「びんてまり」
愛知川では「びんてまり」という伝統的工芸品が有名です。
びんてまり(便手鞠)とは、昔の人によって手作りでなされた鞠の一種です。
ガラス瓶の中になぜか大きなマリが入っているという、何とも不思議な伝統工芸品です。

近江名物・びんてまり。ガラス瓶の中になぜか大きなマリが入っているという、なんとも不思議な伝統工芸品。(画像はあくまでAIによるイメージです。)
現在ではこうした製品は、工場でのマニュファクチュア品として大量生産ができます。
また、凄いものになると広島県東広島市で作られているダイソーなどの100均などによる、安くて高品質な製品が今ではありますよね。
昔は大量生産が難しかったですから、こうした手細工によるものが、とても重要だったのです。

近江名物・びんてまり(画像はあくまでAIによるイメージです。)
ちなみに、伝統工芸品の手細工といえば、箱根の寄木細工も有名です。
「飛び出し坊や」発祥地・東近江市
近江鉄道八日市駅(滋賀県東近江市八日市)はかつて、滋賀県八日市市だった頃の駅です。
今では合併して、東近江市になっています。
またこの地域は、「飛び出し坊や」の発祥の地でもあります。
飛び出し坊やは、滋賀県東近江市発祥であり、車を運転するドライバーに対して注意喚起をするための看板です。
東海道の宿場町・水口宿
さらに近江鉄道を南へ下ると、
- かつての東海道の宿場町・水口宿のあった、水口駅(滋賀県甲賀市水口町)
- 貴生川駅(滋賀県甲賀市水口町)
に到着します。
甲賀市は「こうかし」と読みます。
近江鉄道終点の貴生川駅は、JR草津線との合流駅でもあります。
彦根→草津 新快速列車での軽快な移動
能登川・安土・近江八幡・野洲・守山と、軽快に進む
話をJR東海道線(琵琶湖線)に戻します。
彦根駅を出ると、
- 能登川駅(滋賀県東近江市)
- 安土駅(滋賀県近江八幡市安土町)
- 近江八幡駅(滋賀県近江八幡市)
- 野洲駅(滋賀県野洲市)
- 守山駅(滋賀県守山市)
そして、草津駅と過ぎてゆきます。

近江牛(画像はあくまでAIによるイメージです。)
能登川駅(滋賀県東近江市)近くには、スーパーマーケットの「フレンドマート能登川店」があります。
もし途中で疲れたら、能登川駅で降りて、そこで簡単な飲食や買い物ができます。
安土城の横を進む(彦根→草津)
織田信長の居城であり、「安土桃山時代」の名前の由来の一つである、安土へ
安土駅は、新快速列車の止まらない駅ですが、織田信長が最後に城を構えた安土城があった場所です。
なぜ織田信長は、安土城を建てた?
なぜ織田信長が安土に城を構えたのかについては諸説ありますが、
- 京都への交通の便や琵琶湖の水運の便がよかったこと。
- 北陸地方への警戒(上杉謙信や、対立していた越前・福井などに対して)から。
などの理由が考えられています。
あくまで私個人の勝手な予想ですが、
- 京都の側(旧室町幕府・朝廷の動きや、対立していた寺社勢力の動き)も気になるし、
- かといって、対立していた北陸地方の動きも気になるし・・・
みたいな感じで、ちょうど交通の便のよい琵琶湖のほとりに小高い山(安土山)があって防御面でも抜群だし、京都にも北陸にも近いことだし、「ここに城を建てればいいじゃん!」って思ったんじゃないでしょうか。

琵琶湖の景色(画像はAIによるイメージです。実際の景色ではありません)
また、現在の安土城跡には天守がありませんが、その理由にも諸説あり、当時の資料がないために復元ができないなど、様々な理由が言われています。
織田信長には、常人にはとても理解することのできない、謎の行動や選択が多かったともいえます。

織田信長(画像はあくまでAIによるイメージです。)
「呪い」「祟り」を全く信じない信長
また、織田信長は仏教の「呪い」など非科学的なことにはかなり懐疑的でした。
そのため、城の構築に必要な石材には、「墓石」や「お地蔵さま」などをそのまま使っているから驚きます。
普通に考えたら罰当たりですが、怖いものなしの彼にとっては「呪いなど幽霊ごと成敗してくれるわ!」という勢いだったのでしょう(^^;)
比叡山延暦寺を焼き討ちに出来るほど根性と度胸のある方です。
普通の人には到底できることではありませんね。

戦国時代の比叡山延暦寺(画像はあくまでAIによるイメージです。)

安土城のあった山(琵琶湖線・安土駅付近)(滋賀県近江八幡市)
水郷のまち・近江八幡市(彦根→草津)
滋賀県近江八幡市は、八幡の神を祀っている神社があります。
その神社は日牟禮八幡宮と言います。
近江商人発祥の町
近江八幡市一帯は、近江商人の発祥の地でもあります。
この地域一帯にはかつて、近江商人と呼ばれる人たちがいました。
あの高島屋(タカシマヤ)も、飯田新七という幕末の近江商人に由来しています。

江戸時代の近江商人(画像はあくまでAIによるイメージです。)
近江八幡市は、かつて水運の町だったということもあって、近江商人にとっては交通の便がよく、商品や人などの流通の場として、非常に適した場所でした。
水運とは、昔は長距離トラックや鉄道などもなかった時代に、船で街の中に運河などを通すことによって、荷物を運ぶためのインフラの仕組みです。
こうした運河などが張り巡らされた街のことを 水郷と言います。

水運の町の代表例:江戸時代の倉敷(現在の岡山県)(画像はあくまでAIによるイメージです。)
余談ですが、同じ水郷の町として、千葉県香取市の「佐原の町並み」が有名です。
香取市は、伊能忠敬という地図を発明した人物が生まれた街でもあります。
私は地図大好き人間ですので、伊能忠敬は偉大な人だと思います。
佐原の町並みについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

草津市・草津駅に到着!(彦根→草津)
東海道と中山道の合流点・草津

草津駅(滋賀県草津市)
滋賀県草津市は、中山道の宿場町である草津宿のあった場所です。
草津宿については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

おわりに・まとめ
東海道線でありながら中山道の宿場町に沿って進む彦根〜草津間は、鈴鹿峠という難所を避けて鉄路を通した先人たちの知恵が息づくルートです。
近江鉄道沿いに残る伝統工芸の「びんてまり」や飛び出し坊や、安土城跡を築いた織田信長の戦略性、そして近江商人を育んだ近江八幡の水郷文化など、車窓の向こうには重厚な歴史が広がっています。
二大街道が合流する草津の地に立ち、日本の交通網を支えてきた歴史の壮大なロマンをぜひ肌で感じてみてくださいね!
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