鉄道唱歌 東海道編 第3番 品川に到着!かつては海の綺麗な駅だった

まずは原文から!

窓より近く品川(しながわ)の
臺場(だいば)も見みえて波白しろく
海のあなたにうすがすむ
山は上總(かずさ)か房州(ぼうしゅう)か

さらに読みやすく!

窓より近く品川(しながわ)の
台場(だいば)も見みえて波白しろく
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州(ぼうしゅう)か

さあ、歌ってみよう!

♪まどよりちーかく しながわのー
♪だいばもみえてー なみしろくー
♪うーみのあなたに うすがすむー
♪やーまはかずさか ぼうしゅうか

(東海道線)
新橋駅→高輪ゲートウェイ駅→品川駅→大森駅→川崎駅→鶴見駅→東神奈川駅→横浜駅→大船駅→藤沢駅→大磯駅→国府津駅(→小田原駅・熱海駅)

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ抜粋
※鉄道唱歌の当時の「神奈川駅」と、現在の「東神奈川駅」は別の駅
※小田原駅・熱海駅は鉄道唱歌の当時のルートには含まれない

高輪ゲートウェイ駅(たかなわゲートウェイえき、東京都港区)を過ぎると、東海道新幹線のぞみ号も停車する大きな駅である品川駅(しながわえき、東京都港区)に停車します。

品川駅(東京都港区)

品川駅の東海道線ホームでは、発車メロディーとして「鉄道唱歌」が使われています!
私は品川駅発車時にあの曲が流れると、とてもテンション上がります。

これは有名な話ではありますが、品川駅は実は品川区には存在せず、港区に存在したりします。
本当の品川区の中心は、品川駅から少し南にある、京浜急行本線北品川駅~新馬場駅の間あたりにある、旧東海道品川宿(しながわしゅく)のあるあたりになります。
さらに、山手線目黒駅(めぐろえき、東京都品川区)が目黒区にはなく、品川区にあるという、ちょっと混乱するような状態となっています。

なぜこのような事象が起きたのかは諸説ありますが、鉄道ができた明治時代に、宿場町である品川宿が鉄道の煙を嫌って北側に線路を引くしかなかった、などが考えられると思います。
(いわゆる、「鉄道忌避説(てつどうきひせつ)」。)
また、目黒駅も本当は目黒区の中心部に線路を通したかったのが、明治時代の当時は目黒区周辺は農家であり、やはり農家の皆さんが鉄道の煙を嫌って線路を目黒区に通せなかった、など理由は色々考えられると思います。

そして、鉄道唱歌の歌詞にあるように、品川駅開業当初は、駅のすぐ横は綺麗な海でした。
現在の品川駅の周辺は埋め立てられ高層ビルが建ち並んでいるため、海を見ることは不可能となっていますが、当時は歌詞にもあるように綺麗な海とお台場が見え、さらに千葉県の房総半島までが見えたことでしょう。
ネットで是非「品川駅 開業当時」などで画像検索してみてください。今とあまりに違う駅ホーム横の綺麗な海の景色にびっくりすると思います!

お台場(おだいば)は、かつて江戸時代末期に日本が開国したときに外国船が頻繁に行き来するようになり、防衛のために幕府が砲台を設置したことから「お台場」と呼ばれるようになりました。「お」がつくのは、幕府が設置したものに対する敬意を込めて「お台場」と呼ばれるようになったとのことです。

お台場は1997年に「踊る大捜査線」のドラマロケ地として一般的認知度が上がった他、近年は人気アニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の舞台として選ばれ、学園のモデルとなった東京国際展示場(愛称:東京ビックサイト)などがあります。

歌詞にある「上総(かずさ)」「房州(ぼうしゅう)」とは、現在の千葉県の昔の呼び方になります。旧律令制において、千葉県の中部~やや南部分を「上総国(かずさのくに)」、千葉県の北部を「下総国(しもうさのくに)」、千葉県最南端部分を「安房国(あわのくに)」と呼んでいました。

安房国は、「房」の文字を取って「房州(ぼうしゅう)」といいます。

房総半島(ぼうそうはんとう)」とは、安房国の「房」と、上総国・下総国の「総」の文字を1つずつ取ったものになります。

また、地図上では下側が「上総国」、上側が「下総国」ですので、混同しないようにしましょう。他の地域では、新潟県でも地図上の上側が「下越(かえつ)」、下側が「上越(じょうえつ)」といったりします。なぜこうなるのかというと、昔の日本の首都は京都でしたので、「京都に近い方に”上”がつく」と併せて覚えておけばよいでしょう。ただ、陸路では千葉県北部の方が京都に近そうに思えますが、昔は東京(武蔵国)~千葉(下総国)間の道路が整備されておらず、横須賀(相模国)~君津・木更津(上総国)あたりを結ぶ東京湾の海上ルートが主流だったため、上総国の方が京都に近いという扱いだったのです。

」というのは奈良時代の律令制における、日本を細かいエリアに分ける仕組みで、現在でいうところの都道府県に該当します。
しかし、昔は現在のように飛行機や高速道路、新幹線などで簡単に県境(国境)を超えることはできなかったので(昔は徒歩、馬、船で移動するのが基本で何十日もかけて移動していた)、他の国に行くのは本当に外国に行くのと同じくらい大変なことでした。

それぞれの国にはそれぞれ国府(こくふ)、一宮(いちのみや)、国分寺(こくぶんじ)が置かれました。

国府(こくふ)とは、その国における行政の中心となる街や場所で、現在でいうところの県庁に該当します。例えば、武蔵国(むさしのくに)の国府は現在の東京都府中市、伊豆国(いずのくに)の国府は現在の静岡県三島市、といった具合になります(場所については諸説あり)。

一宮(いちのみや)とは、神道(しんとう)におけるその国で最も重要な神社ということになります。例えば、武蔵国の一宮は埼玉県大宮の氷川神社(ひかわじんじゃ)、伊豆国の一宮は静岡県三島市の三嶋大社(みしまたいしゃ)、といった具合になります。

国分寺(こくぶんじ)とは、仏教において奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)が国の安泰(あんたい)と鎮護(ちんご)のために、各国に作ることを命じた(これを勅願(ちょくがん)といいます)お寺のことをいいます。
例えば、東京都国分寺市の国分寺といえば武蔵国の国分寺ということになります。伊豆国にも、現在の三島駅のやや南に伊豆国分寺があります。なお、国分寺の総本社(全国の国分寺で最も格式が高いもの)は、奈良県の東大寺(とうだいじ)になります。

なお、上総国の国府、国分寺は現在の千葉県市原市(いちはらし。東京に近い市川市とは異なる)にあったと言われ、また一宮は外房線(そとぼうせん)上総一宮駅(かずさいちのみやえき、千葉県一宮町)付近にある玉前神社(たまさきじんじゃ)になります。
一方、下総国の国府と国分寺は現在の千葉県市川市(先ほどと同様に、市原市ではありません。市原市は、千葉市の南に位置する街です)、一宮は現在の千葉県香取市(かとりし)の香取神宮(かとりじんぐう)になります。

話がかなりずれましたが、先ほど品川宿についての話を少ししましたが、現在の品川駅のやや南にはかつて「江戸四宿(えどししゅく)」と呼ばれたうちの宿場町の一つであり、東海道最初の宿場町である「品川宿」の風情(ふぜい)が残されています。

その昔、江戸時代は江戸から京都まで「東海道」とよばれる幕府が整備した道を、約20日ほどかけて歩いて(または馬で)移動していたのでした。何日も何日も歩いて移動するので、旅人達にとっては泊まる場所が必要になります。それが「宿場町」であり、東海道には全部で53の宿場町があったことから「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」と呼ばれています。

品川宿は東海道最初の宿場町であり、内藤新宿(甲州街道)・千住宿(奥州街道・日光街道)・板橋宿(中山道)と合わせて「江戸四宿」と呼ばれています。

もちろん宿場町における宿場にもランク付けがあり、大名など偉い人達は「本陣(ほんじん)」という格式の高い宿に泊まります。また、一般の旅人たちは「旅籠(はたご)」という宿に泊まることとなり、現代の貨幣価値にすると一泊3,000円~5,000円くらいだったそうです。仮に一泊5,000円とすると、江戸→京都を移動すると20日で宿泊費だけで約10万円が当時はかかっていたことになります。
現在は東海道新幹線のぞみ号で東京→新大阪が約2時間25分、約13,500円くらいですから、文明の進化は凄いと感じられますね。

品川宿本陣跡

品川の魅力を探訪した後は、再び東海道線に乗り、次は川崎方面に進んでいきましょう!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
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