鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
北国街道・信濃追分の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!

浅間山(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色ではありません)
↓まずは原文から!
原とよばるゝ廣野あり
桔梗かるかや女郎花
秋の旅路はおもしろや
さらに読みやすく!
原とよばるる 広野あり
桔梗かるかや 女郎花
秋の旅路は おもしろや
さあ、歌ってみよう!
♪はらとよばるるー ひろのありー
♪ききょうかるかや おみなえしー
♪あーきのたびじも おもしろやー
軽井沢駅→信濃追分駅→御代田駅→小諸駅→大屋駅→上田駅→坂城駅→千曲駅→屋代駅→篠ノ井駅
(信越本線)
篠ノ井駅→川中島駅→長野駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
現代語訳のまとめ(信濃追分)
まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。
- (軽井沢を過ぎて)坂を下っていく道沿いには、「追分」の、
- 原っぱ(追分原)と呼ばれる、どこまでも広々とした美しい野原がある。
- そこには、桔梗や、かるかや(刈萱)、女郎花といった、可憐な秋の草花が咲き誇り、
- この秋の旅路は、なんと趣深く(おもしろや)、楽しいことだろう。
専門用語を詳しく解説
追分の原(おいわけのはら)とは
現在の長野県軽井沢町西部にある「信濃追分」付近に広がる、浅間山のふもとの広大な高原地帯のことです。
かつての中山道と北国街道の「分岐点(追分)」でもあり、古くから多くの旅人が行き交った歴史ある場所です。

江戸時代の北国街道・善光寺街道(画像はあくまでAIによるイメージです。)
詳しくは、本編でも解説します。
桔梗・かるかや・女郎花
いずれも「秋の七草」などに数えられる、日本の秋を代表する風情ある植物です。
- 桔梗:気品のある紫色の花
- かるかや(刈萱):秋の風にサラサラと揺れるススキに似たイネ科の植物
- 女郎花:小さく黄色い花を優しげに咲かせる花
これらが群生している高原を汽車で駆け抜ける様子は、まるで花の絨毯の上を走っているかのようです。

桔梗(画像はあくまでAIによるイメージです。)

苅萱(画像はあくまでAIによるイメージです。)

女郎花(画像はあくまでAIによるイメージです。)
おもしろや
「おもしろい」は、現代の「ウケる」「ゲラゲラ笑う」という意味ではなく、
- 「心が惹かれる、風情があって素晴らしい、実に興味深い」
という、最大の感動を表す言葉です。
「秋の旅路は おもしろや」という結びの言葉に、車窓を次々と彩る秋の草花を眺めながら、旅人が「あぁ、本当にこの季節に旅に出てよかったなぁ!」と、心から大満足している笑顔が浮かんでくるようですね!
今回は、軽井沢→信濃追分の行程
軽井沢からは、本格的に長野・信濃の旅へ
軽井沢駅(長野県北佐久郡軽井沢町)より西は、いよいよ長野県・信濃国の鉄道旅になります。
また、軽井沢駅より西は前回も説明したように、JR線ではなく「しなの鉄道線」という第三セクターの路線に乗って進むことになります。
「しなの鉄道線」は元々はJR信越本線の一部でしたが、北陸新幹線の開業に伴って第三セクターに経営が移管された区間になります。
したがって、前回も解説したように「しなの鉄道線」はJR線ではないため、
- 「青春18きっぷ」
- 「北海道&東日本パス」
では乗車することはできません。
そのため、別途乗車券を購入する必要がでてきます。
したがって、このことを念頭に置いて予算計画を立てましょう。
参考までに、軽井沢駅→篠ノ井駅までは1,470円になります。
東京スカイツリーよりも高い、標高900mを下ってゆく (軽井沢→信濃追分)
歌詞に「くだる道には~」とありますが、ここから先は坂道を下ってゆくため、標高がどんどん低くなってゆきます。
ちなみにここから先の各駅の標高は、以下のようになります。
- 軽井沢駅:標高940m
- 御代田駅:標高819m
- 小諸駅:標高663m
- 上田駅:標高445m
- 坂城駅:標高396m
- 千曲駅:標高369m
- 篠ノ井駅:標高356m
- 川中島駅:標高362m
- 長野駅:標高361m
このように、軽井沢駅より西は次々に坂を下ってゆくことがわかります。
小諸駅の段階で、まだ東京スカイツリーよりも標高が高いんですね(^^;)
東京スカイツリーの高さは634m(ムサシm)です。
また、こうしてみると長野県は標高が高い、いわゆる高原地帯がとても多いことがわかります。
これだけの高原地帯なので、冬は相当寒くなるそうで気候も厳しいそうです。
ちなみに県庁所在地の長野市は、日本一標高の高い県庁所在地として知られます。
あと軽井沢駅と長野駅で、同じ長野県同士なのに東京スカイツリー約1つ分の標高差があることも驚きです(^^;)
北国街道と、中山道の「追分(信濃追分)」
やや話が逸脱しましたが、話を元に戻します。
軽井沢から先は、中山道と北国街道の分岐点である追分という場所があります。
そもそも「追分」とは?

昔は「分かれ道」のことを「追分」と読んだ
追分とは、一般的には「分かれ道」のことをいいます。
昔は、分かれ道のことを「追分」と呼んでいたのです。
しかし、それに由来して、そのまま地名や駅名などになっているケースも存在します。
しなの鉄道線(旧・信越本線)では、
- 信濃追分駅(長野県北佐久郡軽井沢町追分)
が該当します。
交差点は「辻」とも呼んだ
似たような言葉に「辻」があり、これは交差点のことを意味します。
神奈川県の辻堂とは、交差点に立っていたお堂お寺)に由来します。
かつて参勤交代や、佐渡の「金」運搬にも使われた、北国街道
北国街道とは、軽井沢の中山道・追分宿から北西へ分岐して、
- 長野の善光寺平
(長野市がある平野のこと)を通り、 - やがて、新潟県の海側・直江津にまで至る
という、江戸時代までの街道です。
昔の人が徒歩での長旅において泊まった「宿場町」
昔の人々にとっては鉄道も高速道路なども無かったため、こうした街道を何日もかけて、徒歩または馬で移動していたのでした。
途中に泊まる町のことを、宿場町といいます。
佐渡の金も運んだ、北国街道
北国街道は参勤交代にも使われたほか、佐渡島にあった佐渡金山の「金」を運ぶための道としても使われました。
- 佐渡島からは直江津まで舟で運ばれ、
- 直江津からは、北国街道に沿って軽井沢の追分へ、
- そして中山道で江戸まで運ばれていた
というわけですね。
中山道は険しいため、東海道よりも宿場町が多かった
追分宿は、ここまで説明してきたように、中山道の宿場町でありました。
中山道は、ここ追分より南西へ、諏訪湖方面へ向かって進んでゆきます。
途中、和田峠という難所区間が控えています。
険しい山道が多く、東海道と比べて宿場町も多かった中山道
中山道は、東海道に比べて山岳地帯や難所区間が多いため、旅人たちの負担を減らすために多くの宿場が短い間隔で置かれていました。
そのため、中山道は六十九次であり、東海道の五十三次よりも宿場数が多くなっています。
ここまでは中山道のルート。ここからは北国街道のルート (信濃追分)
また、鉄道唱歌 北陸編の旅は、ここまでは中山道沿いに鉄道路線を進んできました。
しかし中山道沿いの鉄道の旅はここで終了となり、ここから先は北国街道沿い(旧・信越本線)のルートとなります。
北海道の追分駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

秋田県の追分駅については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

浅間山のふもとの、自然豊かな景色を進んでゆく (軽井沢→信濃追分)
さて、しなの鉄道のこの区間は、右手に浅間山を眺めながら進んでいくことになります。
その間、秋の旅路がすごく面白いものになります。

軽井沢~御代田(みよた)間の車窓(長野県)
「秋の七草」とは?
歌詞にある「桔梗」「刈萱」「女郎花」とは、いずれも秋に咲く花のことです。
これらは、いわゆる「秋の七草」とのうちに含まれます。
秋の七草は、以下の7つのことをいいます。
- 桔梗
- 刈萱
- 女郎花
- 薄
- 撫子
- 葛
- 萩
- 藤袴

桔梗(画像はあくまでAIによるイメージです。)

苅萱(画像はあくまでAIによるイメージです。)

女郎花(画像はあくまでAIによるイメージです。)
線路の右側には、こうした秋の植物が並ぶ野原が壮観となります。

軽井沢~御代田間の車窓(長野県)
まとめ(信濃追分)
今回のこの第22番は、先ほどの
- 浅間山の雄大な煙(動)から、
- 足元に広がる可憐な花々(静)へと視線が移る
という、とても構成の美しい一節です。
すなわち、標高が約800メートルほどにもおよぶ信州(長野県)だからこそ、ふもとよりも一足早く訪れる秋の気配を、旅人は肌で感じていたのでしょう。
当時の旅人たちも、汽車の窓を少し大きめに開けて、高原を吹き抜ける涼しい秋風を頬に受けながら、
- 「あれが桔梗だね」
- 「あっちには女郎花が咲いているよ」
と、旅の同行者や近くの乗客と楽しそうに指を差しながら、会話を弾ませていたのかもしれません。
日本の伝統的な美意識と、汽車の旅の心地よさが見事に調和した、とても優雅で素敵な風景描写ですね。
高原をくだり、信州の旅はさらに奥深くへと進んでいきます。
次回は、御代田・小諸方面へ
おわりに:次は、御代田・小諸方面へ進んでゆく行程となります!
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