山陰鉄道唱歌 第2番 二条城をめぐる 大政奉還が行われ離宮ともなった城

山陰鉄道唱歌の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
二条城の観光・歴史などを、やさしく解説してゆきます!

江戸時代の二条城(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の二条城(画像はAIによるイメージです)

二条城における大政奉還(画像はAIによるイメージです)

二条城における大政奉還(画像はAIによるイメージです)

↓まずは原文から!

たちまちきた二條城にじょうじょう
いま離宮りきゅうかれたり
てらす朝日あさひかがやきて
たてるいらか高々たかだか

さらに読みやすく!

たちまちきたる 二条城にじょうじょう
いま離宮りきゅうを かれたり
てらす朝日あさひに かがやきて
たてるいらかの 高々たかだか

さあ、歌ってみよう!

♪たちまちきーたる にじょうじょう
♪いまはりきゅうを おかれたりー
♪てーらすあさひに かがやきてー
♪たてるいらかのー たかだかとー
(山陰本線)
京都駅→二条駅→嵯峨嵐山駅→亀岡駅→園部駅和知駅→綾部駅→福知山駅→上川口駅→下夜久野駅→上夜久野駅→梁瀬駅→和田山駅→養父駅→八鹿駅→江原駅→豊岡駅→玄武洞駅→城崎温泉駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

現代語訳のまとめ

江戸時代の二条城(画像はAIによるイメージです)

まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。

  1. ​(汽車が京都の駅を出発すると、)あっという間(たちまち)に二条城のすぐ近くへとやってくる。
  2. この城は、今は皇室の離宮りきゅうとして大切に使われているのである。
  3. ​東から昇って街をてらす朝日の光を受けて、きらきらと美しく輝いて、
  4. ​立派な天守閣の跡ややぐらいらか(かわら屋根)が、青空に向けて高々とそびえ立っている。

お城の「いらか(甍:かわら屋根)」のイメージ(画像はAIによるイメージです。また、画像は二条城のものとは限りません)

京都駅を出発して、嵯峨嵐山方面へ

京都駅きょうとえき(京都府京都市下京区)を出発して山陰本線を北上していくと、鉄道博物館の最寄駅である

  • 梅小路京都西駅うめこうじきょうとにしえき(京都府京都市下京区)

に着きます。

一日で回りきれない、鉄道博物館

京都鉄道博物館はとても広大であり、一日かけても回りきれない広さを誇ります。

そのため、マニアにはたまらないだけでなく、一般の親子連れの皆さんにも楽しめる博物館だといえます。

昔の京都の入り口・丹波口

続いて、

  • 丹波口駅たんばぐちえき(京都府京都市下京区)

に着きます。

丹波口たんばぐちとは、京都の七つの入口のうち、その一つをいいます。
かつて京(京都)に入るためは、七つの入口がありました

二条駅に到着

やがて、

  • 二条駅にじょうえき(京都府京都市中京区)

に着きます。

二条駅(京都府京都市中京区)

二条駅(京都府京都市中京区)

二条駅にじょうえきの近くには、二条城にじょうじょうというお城があります。
二条城(京都府京都市)

二条城(京都府京都市)

古くから、エラい人が泊まる場所として使われてきた二条城

二条城は、元々は徳川家の、京都における「宿泊地」や「別荘」などの目的で建てられた城でした。
将軍さまが泊まための最高レベルのホテル、といったイメージでしょうか。昔の宿場にはお城やお寺なども使われてきたのですね。

幕末に大政奉還が行われた、二条城

また幕末には、二条城は徳川15代将軍の徳川慶喜よしのぶが、朝廷に政権を返す大政奉還たいせいほうかんを行った場所でもあります。

二条城における幕末の大政奉還(画像はAIによるイメージです)

二条城における幕末の大政奉還(画像はAIによるイメージです)

しかし、朝廷としては大政奉還でいきなり政権を返されたところで、少し困ったともいわれます。
これまで何百年もの間、武家政権である幕府に対してある意味で政治を任せっきりだったため、朝廷にはあまり政治能力がなく政権を返されても困るわけです(ましてや幕末の混乱な世の中であり、なお困ります)。

二条城における幕末の大政奉還(画像はAIによるイメージです)

二条城における幕末の大政奉還(画像はAIによるイメージです)

そのため、新しい明治政府が出来るまで、しばらくの間は幕府が政治をやっておいてよ、というような感じだったようです。

ちなみに、大政奉還戊辰戦争には、もっと掘り下げると深いエピソードがあります。
詳しくは、以下の「土方歳三」の記事の中でも解説していますので、ご覧ください

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戊辰戦争が終わり、離宮が置かれた二条城

幕末の戊辰戦争が終り明治時代に入ると、二条城は皇室の離宮りきゅうとして使われるようになりました。
これは歌詞にある通りですね。

離宮とは、簡単にいうと天皇や皇族の別荘のことです。
また、離宮よりももう少し規模の小さいものを、御用邸ごようていといいます。

現在の御用邸は

  • 神奈川県・三浦半島の葉山はやま
  • 栃木県北部の那須なす

にあります。

二条城の「ウグイスの鳴き声」

二条城には面白い仕掛けがあり、ある廊下を歩いた瞬間に「うぐいすの鳴き声」が聞こえる仕組みがありました。

つまり、現代でいう防犯ブザーみたいなものです。
これによって、不審者や敵の侵入を防いでいたのです。

私が行った時、日本人は私だけだった

ちなみに筆者が二条城に行ったときは、日本人は私だけであり、その他はみんな外国人でした(金沢の歴史探訪のときも、同じ経験をしました)。
残念ではありますが、日本人の自分の国の歴史に対する興味関心の薄さがこの時に垣間見えました。

それと同時に、外国人の京都や日本への興味関心の高さと愛着が伺えます。

このサイトを読まれている方が少しでも旅行に興味を持ち実際に旅行に行ってみたいと思えるよう、筆者としても力を尽くしていきたいと思っています。

戦争の被害を免れた京都

京都は、戦時中に空襲の被害を免れたことはよく知られています。

先述のように、京都はアメリカ人はじめ多くの外国人に愛されているわけですから、もしかしたら京都に愛着のある当時のアメリカ人にとって、大好きな京都を攻撃することははばかられたのかもしれません。

私がアメリカ人(米軍)の立場だったら、好きな街だけは絶対に空襲しないでしょう。

京都の町並み(画像はAIによるイメージです)

京都の東山の町並み(画像はAIによるイメージです)

次は、嵯峨嵐山へ

おわりに:二条駅から再び列車に乗ると、列車は大きく西へ迂回し、嵐山あらしやま方面へ向かってゆきます。

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