【北見】道東の旅5(前編) 石北本線・留辺蘂→北見へ

石北本線・留辺蘂~北見の鉄道旅と、北見の地理・歴史(ハッカ農業の歴史)などを、わかりやすく解説してゆきます!

北海道北見市の景色(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北海道北見市の景色(画像はあくまでAIによるイメージです。)

留辺蘂駅を出て、北見・網走方面へ 相内駅へ到着

留辺蘂駅るべしべえき(北海道北見市留辺蘂町)を出て

  • 北見きたみ
  • 網走あばしり

方面へ進むと、ほどなくして

  • 相内駅あいのないえき(北海道北見市相内)

に着きます。

愛の無い=学生時代の筆者

相内あいのないとは、まさに学生時代の筆者(=愛の無い)です。
太っていて全然モテない、まさに愛の無い人でしたからね。

アイノナイ=「人の多い川」

ちなみに相内とは、アイヌ語で「アイヌ・オ・ナイ (ainu・o・nay)」という言葉に由来するそうです。
つまり、

  • アイヌ=人間
  • オ=多い
  • ナイ=川

で「人間の多い川」ということで、「相内あいのない」です。

近辺を流れる無加川に、多くのアイヌの人々が釣りのために集まった?

このあたりは無加川むかがわという川が流れており、昔からこのあたりは魚釣りのために、アイヌ民族の人達がたくさん集まっていたのでしょう。

アイヌ民族にとって、川の存在は命より(神様のように)大切な存在です。

北海道の河川のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

アイヌ語で「アイヌ」は、「人間」という意味

ここでわかるのは、アイヌって「人間」っていう意味だったんですね。
北海道に住む人間=アイヌなので、アイヌ人というわけですね。

他にも「サハラ」は「砂漠」という意味ですし、「ナイル」も「川」という意味になります。
こういったネーミングと似ている気がしますね。

オホーツク海沿岸の中心都市・北見市

相内駅を出てさらに東へ進むと、やがて

  • 北見駅きたみえき(北海道北見市)

に着きます。

北見駅(北海道北見市)

オホーツク地方最大の都市・北見市

北海道北見市の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北海道北見市の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北海道北見市きたみしは、オホーツク総合振興局で最大の都市です。

人口は11万人(ちなみに第2位の網走市は約3万人)です。
また、北海道の市では最大の面積、全国でも4番目の面積を誇ります。

北見市は、

  • オホーツク海近辺一帯
  • さらには、やや内陸部

にまで市域が及ぶため、とにかく広いです。

北見の海(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見の海(画像はあくまでAIによるイメージです。)

日本一面積が広いのは、岐阜県高山市

ちなみに

  • 面積日本一の市は、岐阜県高山市
  • 2位は、静岡県浜松市
  • 3位は、栃木県日光市
  • 北見市は、第4位

になります。

岐阜県・飛騨地方(白川郷など)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見市が所属する、オホーツク総合振興局とは?

オホーツク総合振興局とは、網走市・北見市を中心とした、オホーツク海側一帯を取りまとめる行政単位です。
北海道は広いため、振興局しんこうきょくが管理する14のエリアに分かれているわけですね。

元々、オホーツク総合振興局は「網走支庁」から改編してできたものでした。
2010年に「支庁」から「振興局」に変わりました。

道東の冬の海(流氷)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

道東の冬の海(流氷)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

元々は、北見市に振興局を移転する案も

そのときに、管内(エリア内)最大の都市である北見市に、振興局所在地を移転しようかという案もあったらしいです。
しかし、予算などの都合で、引き続き(それまでと同様に)網走市に振興局(中心となる行政区間)が置かれることとなりました。

しかし、ここで「網走総合振興局」という名前にすると、

  • まるで網走市だけのイメージが強くなってくること
  • 北見市や、他の周辺地域などにも配慮する形にしたこと

により、特定の街の名前を冠しない「オホーツク総合振興局」という名称に落ち着いたようです。

ちなみに「オホーツク海」の由来は、オホーツク海の遥か北にある、ロシアの都市・オホーツク(Okhotsk)に由来しています。

ハッカの名産地・北見市

北見のハッカのイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見のハッカのイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見市は、ハッカの産地として有名です。

ハッカ(薄荷)とは?
主に保存料・薬・防腐・防虫・香料などに使われてきた植物のことです。

北見の名物・ハッカ関連の商品(北見駅より)(北海道北見市)

ハッカの歴史は、これまで何度も説明してきた明治時代の北海道開拓のときに由来するそうです。

明治時代、北見に移住してきた人々により、ハッカ農業がはじまる

明治時代の北見のハッカ農業のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

明治時代の北見のハッカ農業のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

明治時代になって本州から北見に移住してきた人達が、この辺りに生えているハッカをみたとき、
「寒い北海道でも、ハッカは育つんだ」
ということに気付きました。

それまでは、本州に住んでいた人達にとっては

「ハッカは、暖かい地域でしか育たない」

と思われていたのでした。

そのため、寒い北海道でも立派に育つハッカを見たことはまさに、

「それまでの常識を覆すようなこと」

であり、とても意外だったようです。

ハッカ農業で、北見の人々は本格的に生計が立てられるように

そして本州出身の、ハッカ栽培の知識があり詳しい人達が、地元の人達をなんとか必死に説得したのでした。

おそらく、

「ハッカはこの寒い土地でも十分に育つよ!
だから北見の新しい収入源として、副業として頑張っていこう!」

みたいな感じで説得したのでしょう。

そして、北見において、ハッカの本格的な栽培が始まったのでした。

北見のハッカは、北見の人々にとって安定した収入源に

明治時代の北見のハッカ農業のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

明治時代の北見のハッカ農業のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

こうして、ハッカを栽培して売った利益は、北見に住む人々にとって安定した収入源となっていったのでした。

当時は、寒い北海道では、育てられる作物の種類も限られていたのでした(あくまで当時の知識・技術での話。
もちろん「食の宝庫・北海道」と呼ばれている現代は異なります)。
そのため、北見でハッカの栽培・販売ができるようになったことは非常に大きい出来事でした。

そして、それが現代でも北見市の名物として残っているというわけですね。

珍しさからか、高値で取引された北見のハッカ

また、当時は、例えば大豆や小麦などといった穀物は、一反(畑の面積の単位)あたり4円程度で取引されていたのでした。
これに対して、ハッカは40円もの収入を得ることができ、穀物の10倍以上も高い値段で取引することができていたのでした。
おそらく北見のハッカは、それだけ珍しかったのでしょう。

したがって、これだけの高収入が見込めたことから、多くの農家がハッカ栽培に参入していったのでした。

北見駅でも、ハッカをはじめとする北見の物産についてたくさん紹介されていたため、とても勉強になりました。

北見駅より(北海道北見市)

北見駅より(北海道北見市)

北見駅より(北海道北見市)

北見駅より(北海道北見市)

北見国の由来

北見駅より(北海道北見市)

北見の由来は、明治時代になって作られた北見国きたみのくにに由来します。

「北を広く見渡せる海」だから、北見

北見の海のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見の海のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見とは、アイヌ語由来というわけではなく、
「北を見渡す海」ということから付けられています。

つまり、樺太(サハリン)が見渡せる海ということで、明治時代に北海道を探検した松浦武四郎まつうらたけしろうという人物がつけた名前です。

松浦武四郎は、「北海道」という名前を考えたスゴい人でもあります。
以下の記事でも解説していますので、御覧ください。

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北海道の防衛上、「北を広く見渡せる」ことは重要だった

その北には、まさに当時脅威になっていたロシアの存在がありました。
オホーツク海周辺では、江戸時代の後期から、暖かい港(凍らない港)を求めて南へと進出してくるロシアの脅威に怯えていたため、

  • 津軽藩つがるはん(青森県弘前市)
  • 盛岡藩もりおかはん(岩手県盛岡市)
  • 会津藩あいづはん(福島県会津若松市)

といった、主に東北地方の武士達が警備に当たっていたのでした。

これは東北地方が北海道に近かったことと、また江戸時代の武士たちは現在の自衛官のような、国を守る義務を負っていたからですね。

まさに「北の海を見渡す(というか、むしろ監視する)」という位置付けの海だったため、「北見」となったのでしょう。
明治時代の日本が、いかに外国からの防衛のために切羽詰まっていて、しかも国防に全力を上げていたのかがよく分かりますね。

明治時代、北海道にも「国」が割り当てられた

明治時代になると、北海道は細かいエリアに分けられ、それぞれ暫定的に

  • 「天塩国てしおのくに」
  • 「北見国きたみのくに」
  • 「胆振国いぶりのくに」

などのように、奈良時代からの律令制を真似る形で国の名前がつけられることになったのです。

それまでの北海道は、日本ではなく「蝦夷地(北の未開の地)」だったわけです。
しかし、明治時代になって北海道が正式に日本の一部となりました。
それに伴って、暫定的・便宜的に「北見国」という名前がつけられることとなったわけですね。

次回は、女満別方面へ

北見の景色のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見の景色のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

北見を出ると、次は女満別・網走方面に向かって行きます!

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