【四日市駅】なぜ貨物列車が主役なの?圧倒的な鉄道輸送の凄さを徹底的に解説!

なぜ四日市駅では貨物列車がこれほどまでに活発なのか、トラックにはない鉄道輸送の強みや秘密を、わかりやすく解説してゆきます!

四日市の石油化学コンビナート(画像はあくまでAIによるイメージです)

四日市のような石油化学コンビナートの例 ※画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・設備等ではありません(無関係です)ので、ご了承ください。

四日市駅

四日市駅よっかいちえきは、三重県四日市市よっかいちしにある駅です。
三重県四日市市よっかいちしとは、三重県で一番大きな都市です。

四日市駅(三重県四日市市)

元々は県庁所在地である津市つしの方が人口が多かったのですが、四日市市では高度経済成長期石油産業が大きく発展したため、県庁所在地津市の人口を抜いてしまって、現在に至るというわけです。

また、単に四日市駅といってもJRの四日市駅近鉄四日市駅で、大きく分けて2つあります。

四日市駅(三重県四日市市)

JRの四日市駅はどちらかというと貨物の拠点という位置付けであって、四日市の工業を支える石油コンビナートへも、どちらかというとこちらのJRの四日市駅の方が近くなっています。

そのため、どちらかというと人が多く賑わっている商店街に近いのはJRの四日市駅ではなく、近鉄四日市駅ということになります。
近鉄四日市駅は、JRの四日市駅よりも約1kmほど離れた位置にあります。

四日市駅(三重県四日市市)

四日市市の基本については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

鉄道唱歌 関西編 第17番 亀山駅を北へ寄り道 名古屋方面へ そして四日市に到着
鉄道唱歌 関西・参宮・南海編の歌詞(亀山、関西本線、四日市)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説しています!↓まずは原文から!巖いわおにあそぶ龜山かめやまの左は尾張おわり名古屋線なごやせん道にすぎゆく四日市よっかいち舟ふねの煙や...

​JRと貨物鉄道の「共生」

​まず、そんな石油コンビナートにも近い位置にあるJR四日市駅を語る上で外せないのが、普通のお客さんたちが乗るための旅客ホームよりも圧倒的に広い「貨物用」のスペースです。

ここの貨物用のスペースには、多くの貨物列車がここぞとばかりにスタンバイしています。
この四日市駅に並ぶ貨物列車たちの景色は、あまりにも圧巻です。

そして、この貨物列車たちは何を運ぶのかというと言うまでもなく、四日市の主要産業である大量の石油を運ぶためです。

石油を運ぶ貨物列車(画像はあくまでAIによるイメージです。)

こうした貨物列車は、四日市の石油コンビナートや工場の中にも直接的に線路が続いており、工場の中へそのまま貨物列車が入ることができるようになっています。
また、主な荷物である石油の出し入れをスムーズに行うことができるような仕組みになっています。

石油化学コンビナートと、石油を運ぶ貨物列車(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)

​旅客より貨物が主役?「石油運び」など貨物に特化した四日市駅

駅の東側には、広大な線路群が広がっています。
これは、四日市港にある製油所や工場から石油、セメント、塩炭などを運ぶための重要な拠点だからです。

また、JRの四日市駅においては、力強いディーゼル機関車が、重たいタンク車を何両も連ねて、主な荷物である石油入れ替え作業を行うという光景が、日常的に行われ見られます。
中には架線がない(つまり電化されていない)場所も多いため、ディーゼルエンジンの力強い音が響き渡ることになります。

四日市駅でいまだに貨物列車は現役バリバリの理由

ではなぜ、現在では高速トラック航空輸送が主流であるはずなのに、四日市駅では未だに、この貨物列車現役でいるのでしょうか。

確かに、戦後の高度経済成長期、日本の物流は「鉄道からトラックへ」という大きな転換期(モータリゼーション)を迎えていました。
​しかし、こと四日市のような大規模な石油コンビナートにおいては、トラックよりもむしろ鉄道が選ばれることになった、あるいはあえて鉄道が必要だった「圧倒的な理由」がいくつかあるというわけです。

​「圧倒的な輸送量」の差 鉄道のパワー

石油を大量に運ぶ貨物列車(画像はあくまでAIによるイメージです。)

石油を大量に運ぶ貨物列車(画像はあくまでAIによるイメージです。)

石油は、一度に大量に運ぶことで運送コストを抑えることができます。
つまり分けて運ぶと、それだけ人件費燃料費などがかさんでしまい、そのコストの分だけ利益が減るわけです。
しかし当時のトラックは現在よりも小型であったため、一度に運べる量は限られていました。

その一方で鉄道の場合は、1両のタンク車(タキ編成など)では、約35トン〜45トンもの石油を積むことができます。
これはトラック輸送では到底不可能な重さの量です(重さにして、約16トン〜20トン程度が限界)。
これを15〜20両ほどの長さで連結すれば、一度に600トン〜900トンもの大量の石油を、全国各地へと一気に運べるというわけです。
すなわち、貨物列車ならば一度に運べるため、回数も減って楽になる(コスパも良くなる)わけですね。

​トラック輸送との比較

また、同じ量の石油をトラックで運ぼうとすると、その度に何十台、何百台という車両と運転手が必要になります。
これだと何回も運ばないといけないことになり、人件費燃料が大変なことになります。
つまり石油の大量輸送は、トラックだと圧倒的にコスパが悪いというわけですね。

このように、例えば現代の人手不足や、さらには道路の混雑などをも総合して考えると、鉄道の方が圧倒的に効率的だったというわけですね。

「専用線」という工場直結のパイプライン

石油化学コンビナート内にある鉄道線路「専用線」(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)

石油コンビナートの大きな特徴は、工場の敷地内まで直接線路が引き込まれている、専用線の存在です。

専用線せんようせんとは、工場や倉庫の敷地内から線路を直接引き込み、貨物を積み込めるようにした特別な鉄道線路のことです。
すなわち、特定の企業が自社の荷物を運ぶために、JRなどの本線から分岐させて工場倉庫まで引き込んだ、私設の線路のことをいいます。

​積み込みのスピード感

この専用線においては、仕入れてきた原油から不純物が取り除かれ、精製されたばかりのガソリン灯油を、工場内の設備から直接タンク車へと流し込むことができます。

石油化学コンビナート内にある鉄道線路「専用線」(画像はあくまでAIによるイメージです。)

そのため、専用線があればトラックのように何度も往復して積み込む手間がなくなり、しかも工場の一部として鉄道が機能していた、というわけです。

​内陸部への「大量供給」という使命

四日市で作られた石油製品は、実は四日市だけで使われるわけではありませんでした。
つまり全国各地へ運んで(石油を材料として必要としている会社や工場などに対して)販売することで、ようやく大きな利益を上げることができるというわけです。

中でも特に、長野県などの「海のない内陸県」へとたくさんの重たいエネルギーを届けることが、当時からの四日市駅の大きな役割でした。

勾配に強い鉄道

山を越えて(長野県などの)内陸部大量の燃料を運ぶときに、当時の非力なトラックでは、たくさん積んだ石油が重たすぎて、峠越えが非常に困難でした。

長野県へと続く、険しい木曽の山々(画像はあくまでAIによるイメージです。)

そこで、中央本線などの急勾配を力強く登っていく電気機関車ディーゼル機関車機動力が、重たい石油を大量に運ぶための手段として、とても頼りにされたというわけです。

​道路インフラがまだ未整備だった

また、​石油需要が爆発的に増えた1960年代では、日本の道路網はまだガタガタだったような場所が多く、しかも高速道路もまだまだ整備の真っ最中でした。
そんな(安定しない地面の道路の)中だと、なかなかトラック輸送などで重たい石油を各地に運ぶことは困難でした。

1960年代の東海道新幹線の建設イメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

​「鉄道王国」の余韻

そして当時(1960年代)は、明治以来の鉄道ネットワークがまだまだ物流の主役でした。

そのため、例えば

  1. 大きな船で届いた原油を(不純物を取り除いて、まともな原料として使えるように)加工し、
  2. それを、全国へ張り巡らされた鉄道線路で運んで配る

というモデルが、最も完成された物流システムだったと言えますね。

​つまり、トラック輸送が便利になりつつあっても、それでもまだ石油のような「重くて、大量で、危険な液体」を運ぶには、当時の技術では鉄道が「最も安全で安いパイプライン」だったというわけです!

​四日市駅のあの複雑な線路は、日本が「エネルギーの血液」を全国に送ろうと必死だった時代の名残であるというわけですね。

おわりに・まとめ

四日市駅を駆け抜ける貨物列車の力強さ、とても迫力のあるものがありましたね。

旅客列車以上に貨物が主役として活躍するその姿は、物流の要としての誇りを感じさせますね!
すなわち、トラックでは実現できない圧倒的な輸送量と、工場直結というパイプライン。
それらが四日市の産業を支え続けているというわけですね。

ぜひ今度、四日市駅を訪れる際は、こうした貨物列車の迫力をじっくりと観察してみてくださいね!

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