天竜峡駅を出て、飯田方面へ
天竜峡駅(てんりゅうきょうえき、長野県飯田市)を出ると、天竜川に沿って北上してゆきます。そして駄科駅(だしなえき、長野県飯田市)などの駅を過ぎてゆき、飯田(いいだ)方面へと向かってゆきます。



オメガカーブ多し・駅多し・駅間距離短し
心の声「飯田線って、なぜあんなに駅が多いの?」
飯田線はこ存じの通り、駅の数が凄く多いです。そして、駅間距離がとても短いです。
これは、明治時代に伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)という私鉄の会社から飯田線の歴史が初まったことが大きいです。また、伊那電気鉄道は明治時代にはまだ珍しかった「電車」から始まったことが大きいです。
伊那電気鉄道については、前回の記事において詳しく解説しているため、ご覧ください。
飯田線の旅10 天竜峡の素晴らしい景色と、伊那電気鉄道の歴史
私鉄の会社は、少しでもお客様を多く確保したいため、駅の数が多くなりがちです。つまり町ごと・村ごとに細かな単位で駅が置かれていったりもするわけです。現在でも、都市部ではJR線の駅数は少ないのに、私鉄の駅数はとても多かったりもしますよね。JR線がカバーしきれない町のお客様を、私鉄が駅を作って乗せているようなイメージです。
一方、現在のJR線は、元々は「蒸気機関車」だった頃のはるか昔、明治時代で新幹線もない時代の長距離輸送の役割を蒸気機関車が担っていたという性格・歴史があるため、駅をそんなに増やせませんでした。駅の数が増えると、それだけ所要時間が増えるからです(特急列車はありましたが、それに乗れるのは一部の金持ちのみ)。
東海道線や山陽本線などの駅間距離が長いのは、こうした「蒸気機関車」が長距離輸送を担っていた時代に造られたからです。
また、昔の蒸気機関車は牽引力(列車を引っ張って走る力)が弱く、加速性能がそんなに高くありませんでした。それに加えて、今ほど減速性能も高くありませんでした。わかりやすくいえば、一気に加速して、一気にブレーキ等で減速するという性能が低かったということです。
現在の大都市では(飯田線と同じように駅数がとても多いです。大都市における通勤列車は「一気に加速して、一気に減速する」という動作を繰り返しているようなものです。
時代とともに列車の性能が向上したことによってこうしたことが可能になったため、都市部では駅間距離が短いわけです。大都市であれば、一駅くらいならば徒歩で移動できるほどの距離になっています。
飯田線の原型の一つである伊那電気鉄道は、最初から「電車」として作られたため、それまでの蒸気機関車よりも高い性能を発揮することができました。
まして「長距離輸送」ではなく「地域間輸送」(地域どうしの移動がメインの路線)としての性格があったため、駅の数を増やしても問題ありませんでした。
以上の「私鉄」「電車」という、他の地域とは違った要素から始まった歴史があることから、飯田線では駅間距離が短い・駅の数が多くなっているというわけです。
飯田線にオメガ(Ω)カーブが多い理由
心の声「なんで飯田線ってカーブが多いの?まっすぐ進めば特急がめっちゃ早くなるじゃん!」
飯田線では、特徴的なオメガカーブがとても多いことでも知られます。まるで「Ω(オメガ)」の文字のような、すごい形のカーブが連続する区間が多いというわけです。飯田線はこうしたカーブに加えて勾配も多いため、飯田線を走る特急「伊那路」は「日本一遅い特急」としても知られます。
飯田線にカーブが多い理由は
- 田切地形(たぎりちけい)という伊那谷特有の地形のため、高低差が激しく、距離を稼ぐためにカーブが多くなっている
- 「私鉄」から歴史が始まっているため、少しでもお客様を確保するため、あっちの町・こっちの町でお客様に乗ってもらうため、カーブが多くなっている
田切地形(たぎりちけい)については、次の項目で詳しく解説します。
また、飯田線は先述の通り伊那電気鉄道という私鉄から始まっており、「よりたくさんのお客様を集めたい」ことから、よりたくさんの市・町・村・集落などに列車が寄れるように駅が置かれていったわけです。つまり「あっちに寄って、こっちに寄って」みたいなイメージです。なのでカーブが多くなっているわけですね。
カーブが勾配が多いために、飯田線ではどうしても速度が遅くなってしまいます(だいたい時速30kmくらい。特急「伊那路」の表定速度は時速50km)。
伊那谷特有の「田切地形」とは 飯田線にΩカーブを増やす地形
次に、飯田線のΩ(オメガ)カーブが多くなる理由の一つである、伊那谷の田切地形(たぎりちけい)について解説してゆきます。

伊那谷(いなだに)は、標高3,000mにもおよぶ非常に高い山であるアルプスのふもとにあるため、田切地形(たぎりちけい)という地形がとても多くなっています。田切地形とは、簡単にいうと「川によって深く削られた凹型の地形」のことです。
では、なせ地面を深く削るような川が存在するのか。
それは西側の木曽山脈(中央アルプス)から、たくさんの川が天竜川へと流れ注ぐからです。

伊那谷は、真ん中に南北に天竜川か流れます。西には標高2,900mにもおよぶ木曽山脈(中央アルプス)があります。
木曽山脈(きそさんみゃく)は非常に急峻(きゅうしゅん)な山脈なので、川の傾斜が激しく、水の流れがとても早くなります。
つまり木曽山脈からジェットコースターのように川の水が勢いよく流れ落ちるため、そのぶん地面の削り方もすごくなるわけです。
(※こうした川たちには、与田切川・小田切川・中田切川・犬田切川など、~田切川という名前がついています。)
それだけ川がエグいような地面の削り方をするため、すごく深い凹の谷ができるというわけです。この地形はGoogleマップではちょっとわかりにくいので、Google Earthで良く見てみればかわります。
つまり、まるでグランドキャニオン(=コロラド川によって侵食された谷)のような、凹の地形が続くというわけです。
凹の文字の真ん中は、川になります。
こんな深い谷の地形が、いわゆる田切地形と呼ばれるものです。そしてこの田切地形は、列車の線路にとっては悩みの種である激しい高低差を作り出します。

こうした伊那谷を貫く飯田線の線路は、この田切地形がつくる高低差、そしてこの高低差が作り出す急勾配を回避するため、傾斜をゆるくするために大きなカーブが取られているのです。
「下山ダッシュ」飯田駅をショートカットできそうだけど・・・?
下山村駅(しもやまむらえき、長野県飯田市)~伊那上郷駅(いなかみさとえき、長野県飯田市)の区間は、西へ大きなカーブを迂回して、飯田市の中心地である飯田駅を経由するという、超大回りの区間になっています。
直線距離にしてわずか2km程度しかないため、Googleマップなどで見るだけではなんとなく飯田駅に寄らずに走ってショートカットできそうなものです(実際は下記の理由により、かなり厳しい)。
この下山村駅~伊那上郷駅の間をあえて列車に乗らずに、ダッシュでショートカットすることを「下山ダッシュ」といいます。
しかも飯田駅では10分以上の停車時間がある列車があるため、急いで走って向こう側に行くと「電車に勝てる」「再び同じ列車に乗れる」みたいな事象が起こることから、こうしたアクションが流行ったのだそうです。
しかし実際にこの区間をダッシュすると、勾配がかなり厳しいことや、また車の比較的多い国道(153号)を横断しなければならないこともあり、安全の面でもこうした行為はあまりオススメはできないでしょう(やるならあくまで自己責任で)。
飯田駅に到着
鼎駅(かなええき、長野県飯田市)を過ぎてゆくと、線路は大きなカーブを描き、やがて飯田駅(いいだえき、長野県飯田市)に着きます。


長野県最南端の「市」・飯田市
長野県飯田市(いいだし)は、長野市・松本市・上田市・佐久市(さくし)に次ぐ、長野県内で5番目に大きい都市です。長野県の南部(=「南信(なんしん)」といいます)における最大都市でもあり、また後述するように、将来はリニア中央新幹線の駅もできる予定の重要都市でもあります。
そして「飯田線」の名前の由来になる市ですね。
飯田市は、長野県でも相当南の位置にあるため、同じ長野県なのに松本市よりもむしろ愛知県豊田市(とよたし)の方が直線距離では近かったりします。そして、飯田市を含めた南信(なんしん:南信濃、長野県南部)地方は、愛知県などの中京圏の主要都市との経済的な結びつきが強くなっています。
それは恐らくですが、国道153号(伊那街道/三州街道、後述)で愛知県豊田市へ通じているからだと思われます。また、西へ恵那山(えなさん)を越えるまっすぐな長大トンネルを越えればそこはもう岐阜県(中津川市)であり、中京圏に入ってゆきます。
こうしたことから、同じ長野県でも東京寄り・名古屋寄りの地域でかなり分かれるようです。例えば木曽・伊那といった南部地域は「名古屋志向」、北部地域は「東京志向」といったイメージです。
塩の道とは
飯田市は三州街道(塩の道)の宿場町としても栄えました。
三州街道は「信濃国(しなののくに:長野県)」と、「三河国(みかわのくに:愛知県東部)」を結んでいた、昔の人々が徒歩または馬ではるばると通った道のことです。
三州とは、三河国の略称です。
三州街道は、長野県塩尻市(しおじりし)を起点として、伊那谷を通り、長野県の南西の端にある根羽村(ねばむら)を通って、愛知県東部へと至る道です。
塩の道(しおのみち)は、昔は内陸部では採れなかった「塩」や「海産物」などを、内陸部へと運ぶのに使われた道のことをいいます。内陸部でははこうした塩や海産物などは採れなかったので、とても貴重だったのでした。
逆に内陸部からは、山地でしか採れない山の幸(食料)や、「木材」や「鉱物」などといった(海辺の地域では採れない)貴重な材料や資源などを運んでいた道でもあります。
現代でこそ「塩」は機械によって大量生産することができますが、昔は海辺にある塩田(えんでん)でしか作ることしかできませんでした。つまり「塩」は生活必需品であるにも関わらず限られていた所でしか作れなかったので、とても重宝されていたのです。
現在の大糸線(おおいとせん)も、元々は「塩の道」として人々がたくさん通った通った道をバージョンアップさせて出来た路線です。かつてはここで、塩などの運びが行われたのでした。
ちなみに大糸線とは、新潟県の日本海側に位置する糸魚川市(いといがわし)と、長野県の内陸部にあたる大町市(おおまちし)を結んでいる路線です。
「大町」と「糸魚川」の頭文字を取って、大糸線です。
話を元に戻しますが、塩を運んでいた三州街道(塩の道)ですが、その塩の在庫が途切れた場所が、塩尻(しおじり)というわけです。
またこうした昔の「塩の道」は、時代とともに「大糸線」「飯田線」のような鉄道線路や、より大きく真っ直ぐで綺麗な自動車のルートとなって、現在も主要なルートとして残っています。
未来のリニア駅・飯田市
飯田市は、リニア中央新幹線の長野県駅が出来る街となる予定があります。
リニア中央新幹線の長野県内唯一の駅は、飯田駅のやや北東にある伊那上郷駅の東側あたりに建設が計画されています。
また、予定のリニア駅は長野県の「南の玄関口」にふさわしい駅とするために、様々な計画が出されています。東京や名古屋からもたくさんの人がやってくる可能性があるため、おそらくかなり立派で豪華な(未来的な)駅舎になるものだと思われます。
リニア中央新幹線は、様々な理由により、当初の計画よりも遅れており、2030年以降の完成が予定されています。
しかし、もしリニア中央新幹線が開業すると、飯田市から東京までの所要時間は約3時間短縮され、東京から45分の圏内に含まれることになります。つまり、東京との日帰りが余裕でできるようになるのです。
また、飯田市から名古屋までの所要時間は約27分です。先述の通り、飯田市をはじめとする南信地域は名古屋をはじめとする中京圏とのつながりが強いので、リニアが出来ることでさらにそのつながりは強く便利なものになるかもしれません。
次回は、駒ヶ根・伊那・辰野方面へ
次回はこの「飯田線の旅シリーズ」の最終回となる予定であり、駒ヶ根(こまがね)・伊那(いな)、そして終着点の辰野(たつの)に着く予定です。
今回はここまでです。
お疲れ様でした!
ちゅうい!おわりに
この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的地として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
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