参宮線の歴史(伊勢街道・江戸時代のお伊勢参り・宮川の渡し・近鉄線との競合の歴史など)を、わかりやすく解説していきます!
参宮線(三重県)

参宮線・伊勢市駅(三重県伊勢市)
三重県の多気駅から伊勢市駅を通って鳥羽駅までを結ぶ、JR東海の参宮線について、その成り立ちや歴史をわかりやすく解説しますね!
参宮線とは?

参宮線・伊勢市駅(三重県伊勢市)
参宮線とは、三重県内を走るJR東海の鉄道路線です。
名前の通り、元々は伊勢神宮へ「参宮」する(お参りに行く)ために作られたという、非常に歴史のある路線ですね!
明治時代、伊勢神宮への参拝客を乗せる鉄道路線から始まった
かつて「一生に一度はお伊勢参り」と言われていた伊勢神宮の参拝は、はるか遠くの江戸つまり東京から、人々は約何十日もかけて、徒歩または馬で伊勢神宮へ参拝していたのでした。

お伊勢参りを含む、江戸時代の東海道の旅のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです)
それが、
- 明治時代になって、日本でも鉄道が普及しだしたため、
- それまで徒歩で参拝していた人々を、
- 鉄道に乗せて連れて行こう
ということで生まれたのが、明治時代の私鉄会社であり、また現在のJR参宮線の原型にもなっている参宮鉄道だったのでした。

伊勢湾の横を走る参宮線のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです)
当時の天皇の参拝にも使われた?
参宮鉄道はもちろん、当時の天皇の参拝にも使われました。
すなわち、天皇陛下や皇族方が伊勢神宮を参拝される際の「御幸」においては、重要かつ不可欠な路線でした。
また、当時は明治天皇をはじめ、歴代の天皇陛下が専用の「お召し列車」に乗られて、この路線を通られています。
つまりその時の名残で、今でも伊勢市駅(旧:山田駅)では皇族方や貴賓の方々が利用されるための「貴賓室」が残っています。
参宮線の歴史と、現在の状況
さらに踏み込んだ参宮線の歴史と、現在の状況についてお話ししますね
伊勢街道は衰退した?
ちなみにこの参宮鉄道(参宮線)ができると、それまでの江戸時代のメインルートであった伊勢街道は、残念ながら急速に衰退してしまいました。

江戸時代の宿場町のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。多少の誇張表現が含まれています)
また、それまで多くの参拝客が何日間も歩いてはるばると旅をしていた「伊勢街道」沿いに複数存在していた宿場町は、鉄道の開通によって宿泊するお客さんが激減してしまい、大きな打撃を受けてしまいました。
歩く旅から鉄道の旅へ
また、伊勢神宮への参拝は、例えば鉄道なら津から数十分で着くところを(津→伊勢)、江戸時代までの徒歩だと1日以上かかります。
このように、明治時代以降に鉄道が全国的にどんどん普及していくにつれ、人々が便利な鉄道へ流れるのは止められませんでした。
当初は「津駅」が起点だった?
明治時代に作られた鉄道唱歌 関西・参宮・南海編でも歌われている通り、1893年(明治26年)の参宮鉄道の開業時には、現在の三重県の県庁所在地の駅である津駅が起点でした。
鉄道唱歌のこの歌詞については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

津駅は、わずかひらがな一文字の駅であり、珍しい駅となっています。
明治時代の当時、亀山駅から津駅までの区間は、すでに別の会社(関西鉄道)が線路を伸ばしていました。
その津駅からさらに、南東の伊勢方面へと延伸していくという形で、参宮鉄道が「津駅〜宮川駅(伊勢市の手前)」までの区間を先にを開通させたのが、この明治時代の参宮鉄道の始まりでした。
したがって、当時は「津駅」こそが伊勢方面への玄関口としての役割を担っていたというわけです。
現代の参拝は「近鉄」がメイン?
現在の伊勢方面の列車は、JR線よりも、圧倒的に近鉄(近畿日本鉄道)がメインとなっています。
天皇陛下や皇族方が伊勢神宮を参拝される際にも、現在は近鉄を利用されることが一般的です。
特徴:JR(参宮線)VS近鉄(山田線・鳥羽線)
- 国鉄の利便性:本数が少なく、単線のため時間がかかる。
- 近鉄の利便性:特急が頻繁に走り、名古屋・大阪から直通。
- 近鉄の駅の設備:宇治山田駅に立派な貴賓室があり、車寄せも完備。
- 近鉄の車両:「しまかぜ」など、最高級の特急車両がある。

賢島駅に停車する、近鉄特急「しまかぜ」(三重県志摩市)
このように、かつては「国鉄(現JR)」が国を代表する鉄道として、皇族方の移動を支えていました。
しかし、戦後はスピード・快適性・設備のすべてで上回ってしまった近鉄が、その役割やシェアを国鉄から見事なまでに奪い去ってしまいました。
また、皇族の方々からも近鉄線が気に入られたことから、それまでの国鉄の役割をそのまま引き継ぐような形になりました。
近鉄の宇治山田駅は、まさに皇族やVIPをお迎えするために作られたような格式高い建築で、今でもその威厳を保っています。
国鉄 VS 近鉄 シェア争いの壮絶な歴史
三重県の鉄道史を象徴する、JR(旧国鉄)と近鉄のライバル関係や、駅の格式についてさらに深掘りしていきますね!
JRは総じて近鉄に負けているイメージ?
三重県内においては、正直なところ
という状況が長く続いています。
複線と単線の差
まず、三重県内における近鉄の主要路線(名古屋線・大阪線・山田線)は全線複線という、JR線に比べたら非常にスーパーハイスペックな路線となっています。
そのため、列車行き違いのための待ち合わせ時間も基本的には存在せず、近鉄線においては高速を維持したまま、次々と特急列車が走れます。
一方、JR参宮線や紀勢本線は単線区間が多いため、待ち合わせなどで時間がかかります。
これは近鉄線に比べたら、大きな時間ロスとなりますね。
ネットワークの広さと、「快速みえ」の奮闘
このようにかつては完敗状態でしたが、JRでも現在は快速「みえ」を走らせ、近鉄より安い運賃や、特定区間でのスピードアップで対抗しています。
「快速みえ」はカミングス社製の強力なエンジンを搭載しており、近鉄の特急列車に負けないようなスピードを発揮しています。
それでいて特急料金もかからず、しかも普通料金だけで行けるため、今や快速みえはかなりコスパの良い乗車手段になっています。
東海道新幹線ができるまでは特急がメインだった?
実は、東海道新幹線(1964年)ができる前、東京から伊勢方面への移動は「夜行急行」や「乗り換え」が主流でした。
当時の主役は「急行」新幹線のインパクト
昔は「特急」はごく一部の限られた層であるエリート向けの列車でしたが、1964年に新幹線が開業すると、東京〜名古屋間の区間が劇的にスピードアップし、所要時間が圧倒的に短縮されました。
その結果、伊勢神宮へと向かう人々は「名古屋まで新幹線、そこから近鉄特急に乗り換え」というルートを選ぶようになり、それまでの従来の直通の夜行列車は衰退していきました。
貴賓室に車寄せ
豪華な近鉄の伊勢山田駅には、皇族方や内閣総理大臣が伊勢神宮に参拝される際には、主に休憩のため使われる専用の「貴賓室」があります。
そしてこの宇治山田駅には驚くことに、駅のホームのすぐ近くまで車が直接乗り入れられるという、スロープが設計されています。
このように、近鉄の宇治山田駅では列車を降りてから数歩で車に乗れるという、便利すぎる・豪華すぎる構造になっており、これは日本の数々の駅の中でも非常に珍しいVIP仕様です。
当初、宮川駅が終点だったのは「橋」のせい?

参宮線・宮川駅(三重県伊勢市)

参宮線からの宮川の景色(三重県)
ちなみに、明治時代の1893年の開業時に、(伊勢神宮の手前を流れる大きな川である)宮川のすぐ手前にある宮川駅が(明治時代の当初の)終点だった理由はどのようなものだったのでしょうか。
それは、当時は大きな川に対して橋をかける技術が発達しておらず、宮川に大きな橋をかけるための技術と資金が不足していたからです。
これは当時の日本においては、全国わりとどこでも見られた事例となります。
「宮川の渡し」昔は様々な事情で、橋をかけられなかった

参宮線からの宮川の景色(三重県)
当時、参拝客は宮川駅で列車を降り、そこから「宮川の渡しし」という舟に乗って、対岸の伊勢市方面へと渡っていました。
昔は軍事目的などの理由で、または橋をかけてもどうせ洪水・氾濫などがが起きた時に流されてしまうだろう、などの理由で、橋をかけられないというケースも多かったのでした。
そのため、江戸時代までは橋をかける代わりに、「渡し船」という船を使って川を渡っていたというわけです。

江戸時代の「渡し船」のイメージ (画像はあくまでAIによるイメージです)
伊勢神宮に参拝する前の神聖な川・宮川
伊勢神宮のすぐ近くを流れている宮川は、いわゆる伊勢神宮の「禊の川」でもあります。
すなわち、伊勢神宮を参拝する人は、
- この川をで体を洗い流して、
- 身を清めてから参拝をする
というものが、当時のマナーという風にされていました。
とはいえ、現代の人々はかつてのように水につかって身を清めるということは難しいため、代わりに神社の手前に存在する手水舎という場所で身を清めることになります。
この宮川は非常に川幅が広く、しかも大雨がひとたび降れば増水も多いという厳しさのため、当時の技術では橋をかけてもすぐに流されてしまっていたのでした。
そのため、当時の宮川は昔の日本からすれば橋をかけるなんて到底難しいというような難所でした。
4年後、待望の橋がかけられる 伊勢市方面への開通
しかしながら、当時の参宮鉄道の開業から4年後の1897年になって、ようやく(宮川にかかる)待望の鉄橋が完成したのでした。
これによって 伊勢市方面への「渡し船」などの乗り換えはなくなり、列車でそのまま 伊勢市方面へ直通することができるようになりました。
そして、今の伊勢市駅(当時の山田駅)まで線路が伸びてきました。
なぜ近鉄の宇治山田駅はそこまで豪華なのか?
ではなぜ、近鉄の山田駅をはじめ、近鉄電車は国鉄やJRと比べて、豪華でスピードも早く高性能な作りになってるんでしょうか。
それは、近鉄の前身であった「参宮急行電鉄(参急)」という私鉄・民間の鉄道会社が、かつての昔の国鉄から客を奪うために、「国鉄以上の格式であるということ」を証明する必要があったからです。
聖地への玄関口
まず現在の近鉄の宇治山田駅は、伊勢神宮の参拝客を国鉄から奪うということを見越して、伊勢神宮(外宮)に最も近いターミナル駅として設計されました。
すなわちこの駅舎にも「神宮の入り口にふさわしい荘厳さ」を持たせることで、国鉄とのブランド差をアピールしたというわけです。
久邇宮多嘉王の要望
また「貴賓を迎えられるような、立派な駅を」という意向も反映されており、この宇治山田駅は最初から「天皇陛下をお迎えする駅」として設計され、その上で作られたのでした。
壮絶な「参拝客争奪戦」の歴史
さらに現代に至るまで、近鉄が天皇陛下も乗られるのにふさわしいような豪華な列車(今の「しまかぜ」に続く系譜)を作ったという背景には、まさにその昔の国鉄との血で血を洗うような、凄まじく激しい競争がありました。
スピードと快適性で圧倒な近鉄線
まず近鉄が線路を引いていきたくても、元々は国鉄の線路が伊勢地域にすでに存在していました。
そのため、(国鉄と比べたら)あくまでも後発に過ぎなかった近鉄は、国鉄よりもさらに速く、さらに豪華な電車を走らせることにしました。
そのため、当時の人々からは
いった具合で、当時の近鉄の豪華な列車は大きな評判になりました。
「宇治山田」vs「山田(現・伊勢市)」
それまでもともと存在していた国鉄の山田駅(現在のJR参宮線・伊勢市駅)に対し、近鉄はより伊勢神宮に近い場所に宇治山田駅を作りました。
さらに、駅に直結した「近鉄百貨店(当時は参急百貨店)」を併設するなどしました。
つまりこれによって
という、ダブルの利益(シナジー効果)が期待できたわけです。
このようにして近鉄では、駅周辺の利便性を高めて「伊勢神宮への参拝は、近鉄で来たほうが楽しい」という環境を作り上げました。
こうしたことからも、国鉄に何が何でも勝とうとする近鉄の意地が見受けられます。
露骨な対抗に対する「妨害や不認可」は?
では、これだけ急ピッチで伊勢神宮への線路を建設していく近鉄に対して、国鉄を運営する経営主体である国からの妨害はなかったんでしょうか。
凄まじい妨害の数々
結論から言うと、凄まじい妨害がありました。
当時、鉄道の免許を出すのは国の組織の一つである「鉄道省(国鉄の上部組織)」です。
すでに存在している既存の路線と競合する路線、すなわち自分のライバルを認可するわけですから、当然すんなりと許可するわけにはいきませんでした。
- 不自然なルート:例えば、近鉄は国鉄の営業を妨げないように、わざと遠回りのルートを強いられたり、並行する路線の認可が何年も遅らされたりしました。
- 認可の壁:また、「既存の国鉄で十分だ」という理屈で、何度も跳ね返されました。
しかし、近鉄側は政治家への働きかけや、「伊勢の発展のため」という大義名分を掲げて粘り続け、やがて執念で免許を勝ち取りました。
なぜ皇族が「私鉄」を選択することとなったのか
これは、当時の「近鉄の徹底したおもてなし」の差と言われています。
公務員がストライキ権を求める「スト権スト」で、列車が走らずあてにならなくなる
戦後の国鉄は労働組合のストライキや事故が多発してしまい、運行が不安定でした。
本来、公務員はストライキは認められていないわけです(国の重要な業務を担っているため、勝手に権力を行使されて休まれては困るわけです)。
しかし、そのストライキを公務員にも認めさせるためのストライキ、つまりスト権ストというものが横行してしまっていたのでした。
そのため、当時の国鉄は一部の業界からしてみれば、
- いざという時に荷物を運べない
- 国鉄の列車が動かない・アテにならない
という認識が広がっていました。
しかしこのような国鉄の状態に対抗する近鉄では、皇族をお迎えするために、最新の冷暖房完備の車両(ビスタカーなど)を真っ先に投入しました。
宇治山田駅の豪華な設計
先ほどお伝えした近鉄の宇治山田駅における
- 「ホームまで車が乗り入れられるスロープ」
などは、まさに皇族方の安全とプライバシーを最優先に考えた設計となっています。
このような、近鉄による様々な「至れり尽くせり」の姿勢こそが、保守的だった宮内庁の心を動かしたのでした。
近鉄にシェアを奪われた国鉄のメンツは丸つぶれだった?
これだけ近鉄によってコテンパンにシェアを奪われた国鉄は、間違いなく、メンツは丸つぶれでした。そのため、国鉄内部においては相当な危機感があったようです。
意地の対抗
そんな中、国鉄も負けじと、名古屋〜伊勢間に気動車特急などを投入して対抗しましたが、すでに確立された近鉄の「全線複線・特急網」という圧倒的な利便性の前には、まったくといっていいほど歯が立ちませんでした。
敗北の象徴
このような、国鉄にとってはちょっと屈辱的な構図は「伊勢参拝の主導権を奪われた」ということの、まさしく象徴的な光景となってしまったというわけです。
こうしてみると今の「しまかぜ」の豪華さは、100年近く続く「打倒・国鉄」の執念の結晶とも言えますね!
それでもなお続く、快速みえの奮闘
ちなみに令和の現在では、かなり物価の高騰が進んでいます。
そんな中において、豪華な特急列車の特急料金を払わなくても、安い料金で乗れる「快速みえ」の利便性やコスパの良さが、今改めて再評価されつつあります。
つまり、カミング社製のエンジンでパワフルに走る(近鉄の特急列車に負けないほどの)快速列車のコスパの良さが評価されつつあり、JR社としても決して近鉄に負けてないような、激しい・いい意味での競争が繰り広げられているというわけです。
おわりに・まとめ

参宮線・伊勢市駅より(三重県伊勢市)

参宮線・伊勢市駅より(三重県伊勢市)

参宮線・伊勢市駅(三重県伊勢市)
いかがだったでしょうか。
江戸時代から誰もが憧れた、「一生に一度の伊勢神宮参拝」ですね。
明治時代になって鉄道ができると、そんな伊勢神宮参拝も非常に行いやすくなりました。そんな中、近鉄線が既存の国鉄の線路を奪い合うために、またお客さんのサービスをより良くするために、壮絶な努力をしてきたっていうこともお分かりいただけたと思います。
今後、参宮線に乗られる時は、あるいは 近鉄線で乗られる時もそうですが、伊勢神宮に参拝される時にはこうした過去のお互いのサービス向上のための壮絶な努力について思い出していただけると、より旅も興味深いものになることと思います!
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