平安時代の食事を徹底解説!貴族の贅沢な白米や脚気のリスク、強飯や庶民の健康的な雑穀食の実態を、わかりやすく解説してゆきます!

平安時代の強飯(こわいい)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。史実とは異なる描写がある可能性がありますので、ご了承ください。)
平安時代の食事と貴族・庶民のリアルな食生活

平安時代の強飯(こわいい)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
平安貴族の食事は確かに見た目が華やかでしたが、調理時の味付けは、あくまでも極めてシンプルでした。
すなわち、料理自体にはあまり味をつけてはいませんでした。
すなわち、食べる人(ここでは貴族)がそれぞれ、自分の手元で味を調節していたのでした。
- 強飯:蒸して作った、硬いお米のことです。
- 四種器:手元に置く4種類の調味料セットです。塩、酢、酒、菱醤が入っていたのでした。
- 唐菓子:米粉や小麦粉を練って油で揚げたお菓子です。見た目はとても豪華で楽しそうですね!
しかし、当時はお肉を食べない文化だったためビタミンやタンパク質が不足しがちでした。
したがって、脚気などの病気にかかる貴族も多かったのでした。
強飯は、現代の白米と比べて美味しかったのか?

平安時代の強飯(画像はあくまでAIによるイメージです。)
平安時代の当時の主食である強飯は、現代のようにふっくら炊き上げる白米(姫飯)とは異なり、蒸しあげた硬いお米でした。
強飯は噛みごたえがあり、さらには素材本来の甘みは楽しめたりはしました。
しかしながら、強飯は冷めると硬くなり、調理時の味付けもなかったため、現代人の感覚からすると、決して食べやすくて美味しいとは言えないものでした。

平安時代の強飯(画像はあくまでAIによるイメージです。)
強飯は、赤飯と似てるけど異なる?
ちなみにこの強飯と、お祝いの席で食べる赤飯は、どちらも蒸籠というかまに入れで蒸して作る「蒸しご飯」というカテゴリーであるという点では、とてもよく似ていますね!
しかし決定的な違いは、お米の種類と色づけにあります。
現代のお赤飯はモチモチしたもち米を小豆で赤く染めますが、平安時代の強飯はうるち米を蒸したものが基本で、色も白いままでした。
つまり、調理の仕組みレベルでは「赤飯」と「強飯」は同じ親戚のような関係ですが、食感や見た目レベルではまったくの別物だったというわけですね。
そもそも当時の食事は、現在と比べて清潔だったのか?
また、今から1000年以上も昔の当時は、冷蔵庫や水道設備が整っている現代と比べると、衛生環境はかなり厳しく、食事の清潔さも今とは比べものになりませんでした。
特に夏場は食べ物がすぐに傷んでしまうため、お酢や塩をたっぷり使ったり、油で揚げたりして、なんとか腐るのを防ぐ工夫を凝らしていたのでした。
今だったら、冷蔵庫や冷凍庫で楽勝なわけですよね。
ちなみにその(食べ物の保存に必要な)塩も、内陸部である平安京(京都)ではまず手に入らない(例えば瀬戸内海や福井県の若狭など、海に近い場所から運んでくるしかなかった)ため、京都まで運んでくる運送コストもかさむため、塩はとても貴重でした。

かつて瀬戸内海などで盛んだった、入浜式塩田のイメージ。昔はこうした限られた場所でしか塩は作れなかったため(現在では機械や工場で作れる)、京都などへの運送コストもかさみ、塩はとても貴重なものだった(画像はあくまでAIによるイメージです。)
話を戻しますが、もしも現代の感覚でそのまま平安時代の食事を食べたら、確実にお腹を壊してしまいそうなほどワイルドな衛生状態だったというわけですね!
ちなみに平安京は、ものすごく衛生状態が悪かった

華やかなイメージの強い平安京。しかしその実態は、衛生状態が最悪だった!?(画像はあくまでAIによるイメージです。)
ちなみに当時の平安京は、その貴族の綺麗なイメージに反して、ものすごく衛生状態が悪かったと言われています。
当時の都(平安京)には現在のような下水道の設備・インフラがなく、生活排水やゴミ、排泄物などが通り沿いの側溝にそのまま捨てられていました。
まあ簡単にいうと、めちゃめちゃ臭かったというわけですね。
そんな惨状・状態のため、町の中ではハエや蚊が大量発生し、しかも雨が降れば泥水と一緒に汚物が溢れてくるなど、お世辞にも清潔とは言えない過酷な環境だったのでした。
平安時代は、京都・平安京の貴族の家に生まれていれば勝ち組なような気もしますが、こういう話を聞くと、決してそうではなかったことがよく分かりますね。
一方で、むしろ地方の庶民の田舎の生活の方が、衛生状況が良かった
一方で、地方で暮らす庶民の田舎の生活のほうが、自然の循環が機能していて衛生的でした。
例えば人々の生活でどうしても出てくる排泄物は、田畑の農作物を育てるための大切な肥料として活用されてゆきました。
しかも、地方の田舎では川の水も濁らず澄んでいたため、人口が密集してゴミが溜まる都(平安京など)よりも、むしろずっと健康的で清潔な環境で暮らせていたというわけですね。
なんだか、1000年以上も前の平安時代だと都=キレイ、田舎=汚いみたいなイメージを自然と持ってしまうかもしれませんが、実際には完全に逆だったということがよくわかりますね。

平安時代の荘園のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
平安時代の食事に見る、貴族と庶民の格差
庶民の質素な食事メニュー:平安時代の食事の実態
平安時代の貴族が白米や強飯などを食べていた一方で、庶民の食生活はとても質素でした。
主食は、精米していない玄米や雑穀です。
まあ現代人の我々からすれば、ぶっちゃけ「まずい飯(けど栄養があって健康的)」の食事ということですね。
- 玄米や雑穀:アワやキビなどを混ぜて食べていたのでした。
- 塩や野菜の汁物:旬の野菜や摘んだ野草を、塩味で味わっていたのでした。

江戸時代の雑穀(画像はあくまでAIによるイメージです。江戸時代の例でご了承ください。)
見た目は質素でも栄養満点!平安時代の食事の知恵
こうした平安時代の庶民の皆さんの食事は、一見すると質素で、少し寂しく感じますね!
しかし、精米しない穀物を主食にしていたため、栄養が多くビタミンが豊富でした。
すなわち、栄養バランスは貴族よりも健康的だったと言われています。

江戸時代の一汁一菜(画像はあくまでAIによるイメージです。江戸時代の例でご了承ください。)
白米と脚気:平安時代の食事に潜む落とし穴
平安貴族であれば、やはり当時としては贅沢の象徴として、白米というものをよく食べていました。
しかし貴族とは言っても、白米をガチで食べていたのは例えば藤原道長卿のような、一部の本当にとても偉い人たちくらいです。
白米の贅沢と精米技術:平安時代の食事における特権

おいしい白米も、かつて昔は「脚気(かっけ)」という病気と隣合せだった!?(画像はあくまでAIによるイメージです。)
白米には、先ほど挙げた玄米やアワやヒエなどのような雑穀と比べて、ビタミンB1が不足しています。
なので平安貴族であれば、こうした贅沢な白米を食べるので、脚気という病気のリスクというものが常にありました。
白米というものは、現代と比べて当時は精米という技術があまり発展していませんでした。
つまり当時は、白米を食べるには、もともとの脱穀する前のお米に対して、あまりにも面倒で大掛かりな作業をする必要があったのでした。
逆に言えば、白米を食べるためにそれだけめんどくさい精米をやらせるだけの人件費、またそれだけの人を雇えるということ自体が、まさに特権階級の証でもあったのでした。
藤原道長を苦しめた脚気と、大衆の心理:平安時代の食事の皮肉
なので、その特権階級の中の最たる人物である藤原道長も、晩年には脚気の病気にずっと苦しんでいたという風に言われています。
そのため、人々からは「貴族の特権にあぐらをかいて贅沢して、ざまあみろ」みたいな、シャーデンフロイデ的な要素も結構あったという風に言われています。
- シャーデンフロイデ:簡単に言うと、例えば上級国民の人たちが没落したり堕落したりして「ざまぁ」と言いたくなるような大衆の心理のことです。
例えばネットやSNSでも、政治家やインフルエンサーなどが炎上すると、みんな「ざまぁ」って言いたくなりますよね。
藤原道長の場合も、当時の乱暴な国司によって強引に巻き上げられた税金、つまり年貢という弱い人々の犠牲のもとに成り立っていた贅沢で脚気という病気になったわけなので、多くの弱い国民からすれば「ざまあみろ」と言いたくなる気分になったわけですね。
雑穀を食べた庶民が健康的だった理由:平安時代の食事の逆転現象
一方で、アワやヒエなどの雑穀に甘んじていた庶民の人々は、いわゆる精米されていない玄米などを食べていたため、ビタミンB1不足にはならず、脚気にはなりませんでした。
先ほども少し述べた通り、平安時代の当時は乱暴な国司によって、税金つまり年貢を不当な量で巻き上げられていました。
つまり、藤原道長のような上級国民の贅沢というものは、弱い立場にある下級国民の犠牲のもとに成り立っていたわけなので、「まるで天罰が下りた」かのような、いわゆるシャーデンフロイデ的な快感を味わったというわけですね。
平安時代の食事が、現代の我々に与えた影響とは

平安時代の朝廷のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
平安時代の食事は、素材の味を手元の調味料で整えるという日本料理の基本スタイルや、和菓子作りの基礎を生み出すきっかけとなりました。
貴族の失敗から学ぶ現代の健康食:平安時代の食事の教訓
また、白米ばかりを食べて脚気になってしまった貴族たちの失敗は、現代の私たちが
ということに気付くための、身近で貴重な歴史の教訓にもなっているのですね。
すなわち、当時の平安時代の庶民の皆さんが食べていたアワやヒエなどの雑穀というものは、現代では健康食として、しかもより美味しくアレンジして食べられていたりするわけです。
かつての雑穀や玄米などが現代のヘルシーな健康食として応用されている例については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

歴史から学ぶ、食生活の真理
したがって、今回の学習で
- 「うまいものって、いつの時代も体に悪い」
- 「マズいものも、(美味しくアレンジするなどの努力をして)食べるべきだ」
ということがよくわかる事案でしたね。(^_^;
おわりに・まとめ
今回学習してきたように、平安時代の食文化は、見た目の華やかさと実際の栄養バランスに、大きなギャップがありました。
貴族は、白米の強飯や唐菓子など贅沢な品々を手元の調味料で食していましたが、肉食の忌避や偏食により、脚気などの病に悩まされてしまいました。
対照的に、庶民は玄米や雑穀、旬の野菜を中心とした、質素な食事ながらもビタミンが豊富で、健康的でした。
こうして当時の暮らしを食の視点から紐解いていくと、人々のリアルな生活実態がよく見えてとても面白く、興味深いことですね!
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