【江戸時代の食事】なぜ白米で脚気に?病の原因と蕎麦が救った歴史を徹底解説!

江戸っ子が愛した白米が、なぜ「江戸患い」と呼ばれる脚気を招いたのか?その背景にある歴史の謎を、わかりやすく解説します!

かつて江戸っ子たちを悩ませた病気・脚気(かっけ)と「白米」の謎とは!?(画像はAIによるイメージです)(江戸時代の食事事情)

かつて江戸っ子たちを悩ませた病気・脚気(かっけ)と「白米」の謎とは!?

江戸時代の人々を「脚気」から救ったそば(二八蕎麦)。しかしなぜ蕎麦が脚気から救うことになったのか!?

  1. 江戸時代の食事事情について、さらに深堀り
    1. ​「脚気(かっけ)」に悩まされた江戸時代の食事事情
    2. 江戸の「脚気(かっけ)」パニック
      1. 脚気の​原因は「白米へのこだわり」だった
      2. ​白米ばかり食べて「ビタミン不足」へ
      3. ​「精米」の落とし穴 ビタミンB1がどんどんなくなっていく
      4. ​おかずの不足
      5. 当時はまるで原因不明、​死に至る病
    3. なぜ江戸っ子は白米を食べることに、ここまでこだわったのか
      1. 当時の「都会的な食べ物」のシンボル
      2. 白米の衝撃、​玄米のデメリット
      3. ​白米の魅力
    4. ​江戸っ子の「意地」と「ステータス」
      1. ​都会の象徴
      2. ​見栄とプライド
    5. ​解決策は「お米を替える」ことではなかった?
      1. ​薬としての蕎麦(そば)
      2. ​麦飯(むぎめし)の効能
    6. ​まとめ:美味しさが勝った歴史
  2. 現代と当時(江戸時代の食事)の感覚の違い
    1. ​アワ・ヒエは本当にマズいのか?
      1. ​精製技術の差
      2. ​調理法の限界
      3. ​心理的な「むなしさ」の象徴
    2. ​なぜ野菜や果物で脚気が治らなかったのか
      1. ​野菜や果物にはビタミンB_1が少ない
      2. ​B1が多い食材
    3. ​江戸の野菜は「煮物」が中心
      1. ​熱に弱いビタミン
    4. ​「おかず」という概念が薄かった
      1. ​ご飯が主役すぎる
    5. ​唯一の救世主は「ウナギ」と「蕎麦」
    6. 津軽藩士殉難事件と「死を招いた白米」
      1. ​「ご馳走」が仇となった北方警備
      2. ​エネルギー消費・燃焼の罠 寒さで次々に奪われたビタミンB1
      3. ​「寒さ」ではなく「病(脚気)」に倒れた100名以上の武士たち
      4. アイヌ民族​からの知恵を授かった、生存者のヒント
    7. ​歴史は繰り返す:明治時代の「高木兼寛」まで解けなかった、脚気の謎
      1. ​高木の発見「麦飯で兵士たちの脚気が治る」
      2. ​森鴎外との対立「脚気は細菌による伝染病だ」
    8. ​まとめ:ビタミンへの「無知」が招いた最大の敵
  3. 脚気回避のための「そば」(江戸時代の食事)
    1. ​「蕎麦は薬」という経験則
      1. ​うどんから蕎麦へ
    2. ​「二八そば」という手軽なサプリメント
      1. ​手軽な補給ができた「二八蕎麦」
      2. ​江戸の「蕎麦屋」の数
    3. ​まとめ:江戸っ子の「食のバランス」
  4. 現代のヘルシーでおいしい玄米
    1. 玄米の昔(マズい)と今(ヘルシーでうまい)
      1. かつては敬遠されてきた玄米
      2. ​見た目が黒い→「時代遅れ」「ダサい」の象徴だった
      3. ​消化に悪い
      4. 現代では栄養豊富として見直されつつある
      5. ​なぜ現代では「玄米=美味しい」と言われるのか?
      6. 現代の「玄米をおいしく食べる」ノウハウの数々
    2. ​「酵素玄米(寝かせ玄米)」のブーム
      1. 酵素玄米とは?
    3. ​まとめ:江戸っ子が「今風の玄米」を知ったら腰を抜かす?
  5. おわりに・まとめ

江戸時代の食事事情について、さらに深堀り

今回は、江戸時代の食事事情についてさらに深堀りしてゆきましょう!

今回は、江戸時代の食事事情についてさらに深堀りしてゆきましょう!

​「脚気(かっけ)」に悩まされた江戸時代の食事事情

江戸の町では、白米を食べる文化が広まりました。

しかし、副菜が少なかったため、ビタミン不足で「江戸患いえどわずら」と呼ばれる脚気かっけが流行したのも有名な話です。

江戸の「脚気(かっけ)」パニック

脚気かっけという病気はいわゆる「江戸患いえどわずらい」と呼ばれ、特に参勤交代江戸にやってきた
大名武士たちが、この脚気という病気に苦しむことになってしまいました。

江戸時代は「ビタミン」などの知識がなく、白米だけを食べ過ぎることで「脚気」という病気になっていた(画像はAIによるイメージです)(江戸時代の食事)

江戸時代は「ビタミン」などの知識がなく、白米だけを食べ過ぎることで「脚気」という病気になっていた

脚気の​原因は「白米へのこだわり」だった

また、それまで地方では玄米雑穀を食べていた武士たちが、江戸に来ると「都会の贅沢」として精米された白米ばかりを食べるようになってしまいました。

​白米ばかり食べて「ビタミン不足」へ

白米精製する過程で、ビタミンB_1が含まれる「ぬか」を捨ててしまったため、重い脚気にかかってしまったというわけです。
したがって、参勤交代の任務を終えて江戸から自分の領地に戻ると、食生活元に戻ってコロッと治る、という何とも不思議な現象が起きてしまっていたのでした。

ちなみに「ぬか」には、脚気防止に役立つビタミンB1が豊富に含まれています。

​「精米」の落とし穴 ビタミンB1がどんどんなくなっていく

また、とれたてのお米のぬかを削り取る時の(精米の時の)プロセスにも、なんと意外な「落とし穴」がありました。

すなわち、玄米の周りにある「ぬか」を削り取って白米にすると、この大事なビタミンがほとんど失われてしまいます

​おかずの不足

当時は現代のように肉や卵をあまり頻繁に食べられず、食事のメインがほとんど「白米」でした。

したがって、白米ばかりを大量に食べることでお腹を満たしていた当時の江戸の住民たちは、深刻なビタミン欠乏症に陥ってしまいました。

当時はまるで原因不明、​死に至る病

もしもあまりにも脚気が進むと心不全(衝心)を起こして亡くなることも多く、当時は原因不明の恐ろしい難病とされていました。

なぜ江戸っ子は白米を食べることに、ここまでこだわったのか

江戸時代、あまりにもおいしすぎた「お米(白米)」(江戸時代の食事)

江戸時代、あまりにもおいしすぎた「お米(白米)」

最大の理由は「白米圧倒的に美味しかったから」です。

当時の「都会的な食べ物」のシンボル

現代の健康志向とは真逆で、当時の人々にとって白米は「豊かさ」と「都会への憧れ」そのものでした。

​なぜ、病気のリスクを冒してまで白米にこだわったのか、その理由を深掘りしてみましょう。
精米技術が向上した江戸時代、真っ白な銀シャリは当時の人々に衝撃を与えました。

白米の衝撃、​玄米のデメリット

玄米白米にする精米技術が向上した江戸時代、真っ白な銀シャリは当時の人々に衝撃を与えました。

江戸時代の人々に衝撃を与えた「銀シャリ」の白米

江戸時代、どちらかというと「時代遅れ」の象徴として敬遠されがちだった玄米(画像はAIによるイメージです)

江戸時代、どちらかというと「時代遅れ」の象徴として敬遠されがちだった玄米

しかし一方、精米しない玄米は、外側の「ぬか層」が硬いため、炊くのに時間がかかりました。
また、しっかり噛まないと消化が悪く、当時の調理器具(かまど)ではボソボソとした食感になりがちでした。

​白米の魅力

一方で白米は、ふっくらとして甘みがあり、喉越しも最高です。

そもそもまだ「おかず」が少なかった時代、お米そのものが「最高のご馳走」だったため、味が良い白米は何杯でも食べられたというわけですね。

​銀シャリ:炊き上がった白米銀色に輝いて見えることからついた呼び名。○庶民にとっては、まさに宝石のような価値がありました。

​江戸っ子の「意地」と「ステータス」

​「江戸患えどわずらい(脚気かっけ」という言葉がある通り、この病気は主に江戸の町で流行しました。

​都会の象徴

地方の農村では、お米は年貢として納めるものであり、自分たちは玄米雑穀アワ・ヒエ)を食べていました。

しかし、江戸に出稼ぎに来た農民たちは、町で売られている白米を見て「これこそが都会の食事だ!」と感動したのだということです。

​見栄とプライド

江戸っ子は「宵越しの銭は持たない」と言われるほど見栄っ張りです。

田舎もんが食べるような黒い飯(玄米)なんて食えるか!」という意地もあり、体調が悪くなっても白米を食べ続けました。

​解決策は「お米を替える」ことではなかった?

​実は、脚気の原因が「ビタミン不足」だと科学的に証明されたのは、明治時代も後半になってからです。

江戸時代の人々は、なぜ体調が悪くなるのか本当の理由を知りませんでした。

​薬としての蕎麦(そば)

面白いことに、経験則から

蕎麦を食べると、脚気が治る

ということは、なんとなく知られていました。
蕎麦にはビタミンB_1が含まれているからです。

したがって、江戸で蕎麦屋が爆発的に増えたのは、単に美味しいからだけでなく、脚気対策という側面もあったと言われています。

​麦飯(むぎめし)の効能

徳川家康徳川慶喜などは、健康のために麦を混ぜた「麦飯」を好んで食べていました。

これによって彼らは脚気を回避して長生きしましたが、一般の武士町人は「白米こそ至高」という考えをなかなか捨てられませんでした。

​まとめ:美味しさが勝った歴史

​結局のところ、

  • 不味まずいけど体に良い玄米」よりも
  • 美味しいけれど病気になるかもしれない白米」を、当時の人々は選んでしまった

というわけですね。

これは、現代の私たちが「体に悪いと分かっていても、ジャンクフードや甘いものがやめられない」という感覚に近いのかもしれません。

現代と当時(江戸時代の食事)の感覚の違い

ここまで読んでいくうちに、

  1. アワヒエの味はどうだったのか?
  2. ​そして「なぜ野菜で解決しなかったのか?」という疑問がわいてくるかもしれません。

実は、そこには当時の食文化物流の「絶大な壁」がありました。

​アワ・ヒエは本当にマズいのか?

では、アワ・ヒエは本当にマズかったのか。

​結論から言うと、「現代の五穀米」のようなイメージで食べると、当時としては相当キツかったはずです。

​精製技術の差

現代のアワヒエは、綺麗なまでにしっかりと精白されています。
しかし、当時は外皮がそのまま残ったままのものが多く、「ボソボソ」「ザラザラ」としており、これらがの要素がいわゆる「マズさ」を助長してしまう形になっていました。

また、当時のアワヒエは独特の「青臭さ」や「苦味にがみ」が強く、白米のような甘みはありませんでした。

​調理法の限界

また、当時はアワヒエ単体、あるいは少しのお米と混ぜて、まるで「かゆ」のようにして食べていました。

そのため、冷めてしまうと固まってボロボロになってしまい、食感はさらに悪くなってしまっていました。

​心理的な「むなしさ」の象徴

農民にとってアワヒエは「お米を年貢で取られた(徴収された)後に残ったもの」です。

したがって、味そのもの以上に、

  • 「自分たちはどうせ、本物のお米(白米)を食べられない」

という精神的な不満が、より「マズさ」を強調させたと言えますね。

雑穀ざっこくアワ、ヒエ、キビなどの総称です。
痩せた土地であっても育つため、飢饉ききんのときの非常食として重宝されました。

​なぜ野菜や果物で脚気が治らなかったのか

​「ビタミンなら、野菜みかんを食べればいいじゃない」という点ですが、これには3つの大きな理由があります。

​野菜や果物にはビタミンB_1が少ない

​これが最大の落とし穴です!

​ビタミンCはあるけれど:みかん野菜にはビタミンCが豊富ですが、脚気を防ぐビタミンB_1は、実はそれほど多く含まれていません。

​B1が多い食材

ビタミンB_1が豊富なのは、豚肉、大豆、ウナギ、そして「米のぬか」です。

したがって、野菜をいくら食べても、脚気の根本的な解決にはなりにくかったのでした。

​江戸の野菜は「煮物」が中心

​江戸時代、生野菜を食べる習慣(サラダなど)はほとんどありませんでした。

​熱に弱いビタミン

また、ビタミンB_1は熱に弱く、水に溶け出しやすいという性質があります。

すなわち、野菜をしっかり煮込んでしまうと、せっかくの栄養が壊れたり、煮汁の中に逃げ出してしまったりしていたというわけですね。

​「おかず」という概念が薄かった

​当時の食事の基本は「一汁一菜いちじゅういっさい」です。

一汁一菜いちじゅういっさい:主食のご飯に、汁物(味噌汁みそしる)と、おかず(漬物つけものなどの)一品を添えた献立こんだてのことです。

​ご飯が主役すぎる

また、当時のおかずはあくまで「ご飯を喉に流し込むための漬物つけもの」程度でした。

江戸の町人は、1日に5合(約750g)もの白米を食べていたと言われています。
これだけの量の白米を処理するために必要なビタミンB_1を野菜だけで補うのは、物理的にほぼ不可能だったのでした。

​唯一の救世主は「ウナギ」と「蕎麦」

​そんな中で、江戸っ子が経験的に「これを食べると元気になる」と知っていたのが、ウナギ蕎麦でした。
これらにはビタミンB_1が豊富に含まれています。

  • ​ウナギの蒲焼かばやきせいがつく食べ物として大人気でしたが、高価だったので毎日食べるわけにはいきませんでした。
  • 二八蕎麦にはちそば屋台やたいで安く食べられたため、こちらが実質的な「脚気かっけサプリメント」になっていたというわけですね。

このように、​江戸時代の人々は、美味しい白米という魅力に抗えず、知らず知らずのうちに栄養失調になっていた…。
そう考えると、食の進化は恐ろしい側面もありますね。

津軽藩士殉難事件と「死を招いた白米」

江戸時代の道東(北海道北部)の海岸のイメージ

話が少し横に反れますが、江戸時代の北海道で起こった​津軽藩士殉難事件(1807年)の悲劇の裏側にも、この「ビタミン欠乏=脚気」の恐怖が潜んでいました。

津軽藩士殉難事件とは、当時海外からの軍事的な脅威にさらされていた北海道を防衛するために、江戸幕府から派遣された津軽藩士たちが、寒さと栄養不足のために次から次へと倒れていった事件のことです。
こちら(当サイト)でも解説しています。

彼らが苦しんだ最大の理由は、まさに「ビタミンに関する知識がゼロだったから」に他なりません。
当時の状況を振り返ると、現代の私たちからすれば「なぜ?」と思うようなボタンの掛け違いが重なっていたというわけです。

​「ご馳走」が仇となった北方警備

​幕府から蝦夷地(現在の北海道・宗谷地方)の警備を命じられた津軽藩士たちは、厳しい寒さと戦うことになりました。
その際、藩は彼らに対して「過酷な任務だから」と、当時最高の贅沢である「精りたての白米」をたっぷりと支給したのでした。

  • ​良かれと思っての白米:藩としては、士気を高めるために最高級の食事を与えたつもりでした。
  • 副菜の不在:例えば極寒の地では、新鮮な野菜や魚、大豆製品(味噌など)が手に入りにくく、彼らの食事は「白米とお塩、少しの漬物」だけになってしまいました。

​エネルギー消費・燃焼の罠 寒さで次々に奪われたビタミンB1

北海道の北の海(凍った海)のイメージ

寒い場所体温を維持しようとすると、体は熱を生み出すために、糖質(カロリー)を激しく燃焼させます。

その際、糖質の代謝に不可欠なビタミンB_1が大量に消費され、体内のストックがあっという間に底をついてしまったというわけです。

代謝たいしゃ:食べたものをエネルギーに変える体の仕組みのことを言います。
白米(糖質)を燃やすには、着火剤の役割をするビタミンB_1が絶対に必要です。

​「寒さ」ではなく「病(脚気)」に倒れた100名以上の武士たち

​この事件では、江戸幕府が当初に懸念していた外国からの侵攻よりも先に、栄養不足(ビタミン不足)による内部からの崩壊が始まってしまい、武士たちは壊滅状態に陥ってしまいました。

  • 動けない藩士たち:足がむくみ、力が入らなくなり、最後には心不全を起こして次々と倒れていきました。
  • ​原因不明の恐怖:しかしながら、当時はこの原因が「栄養不足」だとは、誰も夢にも思いませんでした。

そのため、当時は例えば病気の原因が「水が合わないせいだ」「寒さのせいだ」「蝦夷地の呪いだ」などと様々に真剣に議論されていたのでした。

アイヌ民族​からの知恵を授かった、生存者のヒント

皮肉なことに、現地でアイヌの人々と交流し、彼らが食べていた「行者ニンニク」や「鹿の肉」を口にした者だけが、一命を取り留めたと言われています。
つまりこれは、一部の武士たちが現地のアイヌの人々から寒い地域で住むための知恵を教えてもらったから、ということにもなります。

アイヌ民族は昔から北海道(蝦夷地)に住んでいただけあって、まさしく「寒い場所で住むエキスパート」だったというわけですね。

アイヌ民族の伝統行事「イヨマンテ」

​歴史は繰り返す:明治時代の「高木兼寛」まで解けなかった、脚気の謎

実は​この津軽藩士の悲劇から約80年後、明治時代になっても同じことが繰り返されました。
日露戦争時、日本陸軍は「白米」を支給し続けたため、戦死者よりも多い25万人以上が脚気になり、約2万7千人が亡くなりました。

​一方で、海軍の医師だった高木兼寛たかきかねひろは、水兵たちの食事に「麦飯」を取り入れることで、脚気をほぼゼロに抑え込むことに成功しました。

高木兼寛たかきかねひろ:「日本の疫学の父」と呼ばれる医師。
食事改革で脚気を撲滅した功績から、のちに「麦飯男爵」とも呼ばれました。

​高木の発見「麦飯で兵士たちの脚気が治る」

彼は「タンパク質が足りないせいだ」と少し間違った推測をしていましたが、「食事を変えれば治る」という結論は正しかったのでした。

​森鴎外との対立「脚気は細菌による伝染病だ」

しかし、陸軍の軍医だった文豪・森鴎外(本名:森林太郎)らは、「脚気は細菌による伝染病だ」という虚偽の内容を主張してしまい、その上で麦飯の効果のことを拒否し続けました。

このこだわりが、さらに多くの犠牲者を生んでしまったというわけですね。

​まとめ:ビタミンへの「無知」が招いた最大の敵

​津軽藩士たちにとって、敵は北からいずれ攻めてくるかもしれない外国からの軍ではなく、自分たちが「ご馳走」だと信じて疑わなかった真っ白な白米だった…。
知識がないということは、時に武器よりも恐ろしい結果を招くという、歴史の重い教訓ですね。

脚気回避のための「そば」(江戸時代の食事)

江戸っ子が蕎麦そばを熱狂的に愛した背景には、やはり「脚気かっけ回避」という生存本能が大きく関わっています。

​当時はビタミンという概念こそありませんでしたが、江戸の人々は経験的に

  • お米ばかり食べていると足が萎えるが、蕎麦を食べるとシャキッとする」

ということに気づいていたというわけですね。

​「蕎麦は薬」という経験則

​江戸中期、白米中心の生活で脚気が蔓延すると、人々はわらにもすがる思いで「何が体に良いか」を探しました。

​うどんから蕎麦へ

実は江戸初期までは「うどん」が主流でしたが、中期の脚気パニック以降、一気に「蕎麦そば」が主役に躍り出ました。

うどんは小麦粉(白米に近い性質)ですが、蕎麦には脚気に効くビタミンB_1が豊富だったからです。

江戸時代の蕎麦屋台

江戸時代の蕎麦屋台

​「二八そば」という手軽なサプリメント

​当時の蕎麦そばは、現代のファストフードのように屋台(二八そば)で安く、素早く食べられるものでした。

江戸時代の「二八蕎麦」

江戸時代の「二八蕎麦」

​二八そば(にはちそば)とは、蕎麦粉8割、小麦粉2割の割合で作られた蕎麦のことをいいます。
あるいは、一杯の値段が「16文(2×8)」だったことから付いた名前と言われています。

​手軽な補給ができた「二八蕎麦」

例えば忙しい職人商人が、小腹が空いた時にサッと蕎麦をすする。
これが結果的に、白米で不足したビタミンを補う「サプリメント」の役割を果たしました。

​江戸の「蕎麦屋」の数

一説には、江戸の町には3,000軒以上の蕎麦屋があったと言われています。
これほどまでに蕎麦が普及したのは、単なる美味しさだけでなく、「食べないと体調が悪くなる」という切実な理由があったからこそですね。

江戸時代の「二八蕎麦」(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の「二八蕎麦」

​まとめ:江戸っ子の「食のバランス」

江戸時代の人々は、以下のようなサイクルで何とか健康を保とうとしていました。

  • メイン白米(美味しさとエネルギーの源)
  • 毒消し(サプリ):蕎麦(脚気予防)
  • 楽しみ初鰹ウナギ

​したがって、江戸蕎麦ブームは、まさに「白米依存症」が生み出した健康ブームだったと言えます。

​蕎麦以外にも、江戸っ子が好んだ「納豆」や「豆腐」などの大豆製品にはタンパク質が多く含まれており、彼らの体を支えていました。

現代のヘルシーでおいしい玄米

玄米の昔(マズい)と今(ヘルシーでうまい)

白米精米する前の、まだ「ぬか」や「胚芽はいが」(ビタミンB1が多く含まれている部分)に包まれているお米のことは、一般的に「玄米げんまい」と呼びます。
​当時の感覚では、これがまさに「マズい」「時代遅れ」の代名詞だったというわけですね。

昔は敬遠されつつも、今やヘルシーで「美味しい調理法」が確立されつつある玄米

かつては敬遠されてきた玄米

玄米げんまいは、現代では「健康食」として人気ですが、江戸時代の人々からすれば、以下のような理由で敬遠される存在でした。

​見た目が黒い→「時代遅れ」「ダサい」の象徴だった

また、玄米は真っ白な白米に比べて茶褐色であり、そもそもの見た目が良くありません(つまり、見るからにマズそうというわけですね)。

その上で、江戸っ子は「白い飯」を食べることにステータスを感じていたので、玄米のような黒い飯(茶色い飯)を食べることは、まるで恥ずかしいことでもありました。

​消化に悪い

また、玄米はよく噛まないと胃もたれしやすく、当時は「エネルギー効率が悪い食べ物」だとも思われていました。

現代では栄養豊富として見直されつつある

玄米は、現代ではビタミンB_1食物繊維が豊富な「スーパーフード」として扱われていますね!

玄米のイメージ

​なぜ現代では「玄米=美味しい」と言われるのか?

ではなぜ、現代では「玄米=美味しい」と言われるのか。
​それは、炊飯技術炊飯器など)が劇的に進歩したからです!

江戸時代の「かまど」では、玄米を美味しく炊くのはまるで至難の業でした。
しかし、現代では玄米高圧力でふっくら炊き上げることができるため、モチモチとした食感を楽しむことができます。
したがって、江戸時代の人々が「玄米はマズい!」と断定していたのは、ある意味当時の調理環境では仕方のないことだったというわけですね。

江戸時代のお米事情、知れば知るほど「美味しさ」と「健康」のジレンマが見えてきて面白いですね。

現代の「玄米をおいしく食べる」ノウハウの数々

現代では、江戸時代の人々が「マズい」「炊きにくい」と敬遠した玄米を、驚くほど美味しく、かつ栄養を逃さずに食べるノウハウがたくさん確立されています!

​科学的なアプローチと炊飯技術の進化によって、玄米は「我慢して食べるもの」から、「進んで食べたいご馳走」へと変わりました。
具体的な現代のノウハウをいくつかご紹介しますね。

​「酵素玄米(寝かせ玄米)」のブーム

​現代で最も画期的な食べ方の一つが、この酵素玄米です。

酵素玄米とは?

酵素玄米こうそげんまいとは、炊いた後の玄米を数日間保温し続けることで、熟成させたお米のこと。
独特の甘みが出て、玄米が苦手な人でも「これなら美味しい!」と驚くことが多い食べ方です。

​まとめ:江戸っ子が「今風の玄米」を知ったら腰を抜かす?

江戸時代の人々が命がけで避けた「マズい黒い飯(玄米)」が、現代では「美容と健康の高級食」として、一食1,000円以上するお弁当やレストランで人気を博しています。

​もし江戸時代の藩士たちに、現代の「酵素玄米」を一口食べさせてあげられたら、「これ、本当にお米か!?」と驚愕して、脚気の悲劇も防げたかもしれませんね。

おわりに・まとめ

江戸時代の食事に隠された、白米と脚気の物語、いかがでしたか?

美味しさ」を追求した結果、皮肉にも病を招いてしまった歴史は、今の私たちにとっても栄養バランスの大切さを教えてくれる貴重な教訓ですね!

蕎麦は薬」という経験則で健康を維持していた江戸っ子の知恵や、現代の美味しい玄米のノウハウ。
昔の人が求めていた健康のヒントは、実は今の食生活の中にもたくさん隠されています。

ぜひ、今日の食事は「バランス」を少しだけ意識しながら、美味しい時間を楽しんでみてくださいね!

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