中央本線の秘境・定光寺駅や古虎渓、玉野峡谷の地理と歴史を解説!
愛岐トンネル群のレンガ造りに活かされた瀬戸焼・美濃焼の職人技や旧線のロマンに迫ります。

明治時代の庄内川/土岐川がおりなす古虎渓・玉野峡谷と、愛岐(あいぎ)トンネル群(画像はあくまでAIによるイメージです。史実とは異なる描写がある可能性がありますので、ご了承ください。)
玉野峡谷・古虎渓の地理に関する話題
前回で、以下のことを学んできました。
- 愛知・岐阜県境に位置する玉野峡谷(古虎渓)は、庄内川(土岐川)が削り出した険しい自然美を誇る名勝です。
- かつて美濃焼を運ぶ舟運の要衝でしたが、明治時代に中央本線が開通。
険しい地形を縫うように線路が敷かれ、現在の「愛岐トンネル群」などの遺構が誕生しました。 - 昭和の新線切り替えを経て、定光寺駅周辺はダイナミックな渓谷美と鉄道の過酷な開拓史を今に伝える、歴史ロマンあふれる秘境エリアとなっています。
まだ見られていない方は、前回の記事をご覧ください。

玉野峡谷・古虎渓 地理的な特徴
庄内川は、岐阜県から愛知県へ抜けるときに、この山間部を削りながら流れ、深い谷を作ってゆきました。
したがって、現代でもこの一帯・周辺だけがまるで「秘境」のような雰囲気を保っている「名勝」となっています。
名勝:芸術的または観賞の価値が高いとして、国が指定した記念物のことです。

明治時代の愛岐トンネル群・古虎渓・玉野峡谷と庄内川(画像はあくまでAIによるイメージです)
高度経済成長期・バブル期に、多くの団体旅行客で盛り上がった「奥座敷」
また、高度経済成長期やバブル期には、多くの社員旅行客が訪れて、川のせせらぎを横に、宴会などを開いて「どんちゃん騒ぎ」して盛り上がるような、まるで人々の休暇のために集まる「奥座敷」のような場所でした。
ちなみに「奥座敷」とは、都会から少し離れた、心の休まるような観光地や温泉街などのことをいい、静岡県の熱海温泉や、栃木県の鬼怒川温泉などが有名です。

温泉街(奥座敷)のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
崖っぷちに立つ「定光寺駅」の不思議
定光寺駅は、鉄道ファンでなくても驚くような場所にあります。
ホームが崖の上にある
定光寺駅は、駅のホームがまるで庄内川を見下ろすかのような、「切り立った崖」にへばりつくような形で作られています。
「秘境駅」としての顔
また、定光寺駅は、名古屋近郊という素晴らしい立地にありながら、険しくも美しい峡谷の中にあるため、駅の周りには民家がほとんどありません。
それは元々、定光寺駅は、
- 近くに存在する、名刹・定光寺への参拝客
- 高度経済成長期やバブル期に、(近隣の旅館やホテルなどに)たくさん訪れていた観光客
のために作られた駅である、という歴史があるからです。
「古虎渓」「玉野峡谷」どっち?

明治時代の愛岐トンネル群・古虎渓・玉野峡谷(画像はあくまでAIによるイメージです)
これについては「古虎渓」の方が、地名や観光スポットの名前としては圧倒的に一般的です!
古虎渓とは?
まず「古虎渓」という呼び方は、岐阜県多治見市側の地名であり、「古虎渓駅」という駅名にもなっています。
玉野渓谷とは?
一方、玉野渓谷という呼び方は、主に愛知県春日井市側における、定光寺の周辺の庄内川あたりを指す呼び名です。
つまり「玉野峡谷」という名前は、確かに地元の方からの呼び名や地図上の地名としては使われるようです。
しかし、やはり観光地としてのブランド力という観点でいえば、全国的な知名度としては駅名にもなっている「定光寺」や「古虎渓」の方が通じやすく、ずっと強いですね!
かつての玉野信号所や「旧線」に関する話題・歴史
玉野信号所と「廃線跡」のロマン
そして、歴史好きにとってたまらないのが、玉野信号所周辺の話題です。
単線時代の名残り、隠れた遺構・愛岐トンネル群
定光寺駅は、かつて中央本線が単線(線路が一本)だった頃、反対側・対向からやってくる列車の行き違い・すれ違いをするための玉野信号所として使われていました。
しかし、のちに複線化(線路が二本になった)されたことで、行き違い・待ち合わせをする必要がなくなったために、その役目を終え、人々の乗り降りをさせることができる「駅」へと昇格しました。
愛岐トンネル群に使われたレンガたち
また、この定光寺駅のこの付近には、1966年まで使われていた「旧線」における、たくさんの短い(明治時代のレンガでできた)トンネルたちが今でも残っています。
これらは次回にも詳しく解説しますが、愛岐トンネル群とよばれます。
赤レンガで作られた明治時代の美しいトンネルたちは、まるでタイムスリップしたかのような美しさを誇っており、鉄道ファンからもとても人気があります。
焼き物の聖地→トンネルのレンガ造りに役立ったという話

美濃焼(画像はあくまでAIによるイメージです。)
また、このエリア(東濃・瀬戸)といった地域は、とても質のよい粘土が採れるという、まさに「焼き物の聖地」です。
したがって、例えば埼玉県の深谷といったレンガの名産地などからわざわざ遠くから運んでこなくても、
- 地元で、レンガの材料たる粘土を、自前で調達して、
- しかも元々持っていた陶器を作る技術によって、
- 最高品質のレンガを、近くで作ることができた
というわけですね!
焼き物のノウハウの、レンガ造りへの転用
まず、鉄道トンネルに必要なレンガを焼くためには、高温を一定に保つための大きな窯と、さらには火をうまく操るという熟練の技術が必要になります。
しかしこのエリアには、古くから瀬戸焼や美濃焼を焼いてきた、プロの職人さんたちがたくさんいました。
したがって、鉄道トンネル用の膨大な数のレンガを生産するときにも、彼らの「レンガを焼いて作る技術」がフルに活用されたのです。
すなわち、当時既に日本の「焼き物」の技術で鍛えられており、元々のスキルや体力があった彼らは、いざ明治時代になって西洋式のレンガ造りに直面したとしても、驚くほどの吸収力で、すんなり受け入れられたのだそうです。

美濃焼(画像はあくまでAIによるイメージです。)
レンガも一種の「焼き物」
このように、彼らには元々陶磁器を作るというとても高い技術力があったからこそ、ここに何十年経っても崩れないような、非常に強固なレンガを地元で安定して供給することができました。
すなわち、愛岐トンネル群のレンガが今も美しいのは、当時の職人たちの意地と技術の結晶なのですね!
普段は立入禁止 年二回のみの「限定公開」
普段は立ち入り禁止ですが、春や秋の特別公開の日には、多くの人がその歴史的な姿を見に訪れます。
遺構:昔の建物や工作物などが、壊れずに残っている跡のことです。
つまり、年中いつでも見られるというわけでは決してなく、あくまで春・秋の年二回のみの公開というわけですね!
信号所から始まった「駅への昇格」への歴史
面白いことに、定光寺駅と古虎渓駅は、その「生まれ」もそっくりです。
どちらも最初は「信号所」
もともと、この険しい渓谷区間は線路が一本(単線)しかありませんでした。
単線:線路が一本しかなく、上り列車と下り列車が同じ線路を共有する方式のことです。
そのため、電車同士がすれ違うためのスペースとして、玉野信号所(定光寺駅の前身)と、池田信号所(古虎渓駅の前身)が作られました。
やがて「駅」へと昇格
やがて周辺の観光需要や地元の要望により、両方とも「駅」へと昇格しました。
いわば、この観光地に近い場所においてお客様を乗り降りさせるために生まれた「双子の駅」のような存在であるというわけです。
かつて約40年間忘れ去られてしまっていた遺構・愛岐トンネル群
愛知と岐阜の県境に位置する愛岐トンネル群は、1900年に旧国鉄・中央西線として開通した明治時代の赤レンガ鉄道遺構です。
1966年の「新線への切り替え」に伴って廃止され、切り立った崖や深い草木に覆われて、実に約40年間ものあいだ人々の記憶から完全に忘れ去られていました。
しかし、2005年頃の熱心な市民グループによる奇跡的な「発掘」をきっかけに調査や整備が進み、現在では愛知県側の3〜6号トンネルが春と秋の年2回だけ特別公開されています。
一方、険しい地形と安全面から今も深い藪の中に眠り続ける岐阜県側のトンネル群とともに、日本の過酷な鉄道近代化の歴史を今に色濃く伝えています。
今回はここまで 続きは次回
おわりに:次回は、これらの長年の間ずっと藪に埋もれていた幻の近代化遺産「愛岐トンネル群」の発見秘話と、赤レンガに秘められた歴史の全貌に迫ります!
お楽しみに!
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