鉄道唱歌 奥州・磐城編 第11番 日光線に乗り換え、日光へ

鉄道唱歌 奥州・磐城編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
日光線(日光)の観光・歴史などを、やさしく解説してゆきます!

明治時代の日光線(画像はAIによるイメージです)(鉄道唱歌:日光関連)

明治時代の日光線(画像はAIによるイメージです)

栃木・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)(鉄道唱歌:日光線の旅)

栃木・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・人物等ではありません)

↓まずは原文から!

いざ乘のり替へん日光にっこうの
線路これより分かれたり
二十五にじゅうごマイル走りなば
一時半いちじはんにて着くといふ

さらに読みやすく!

いざ乗り替えん 日光にっこうの
線路これより 分かれたり
二十五にじゅうごマイル 走りなば
一時半いちじはんにて 着くという

さあ、歌ってみよう!

♪いざのりかーえん にっこうのー
♪せーんろこれより わかれたりー
♪にじゅうごまいる はしりなばー
♪いーちじはんにて つくというー

(東北本線)
上野駅→王子駅→赤羽駅→(荒川)→浦和駅→大宮駅→蓮田駅→久喜駅→栗橋駅→(利根川)→古河駅→間々田駅→小山駅→小金井駅→石橋駅→雀宮駅→宇都宮駅

(日光線)
宇都宮駅→(6駅)→日光駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

現代語訳のまとめ

まずは、現代語訳から確認してゆきましょう。

  1. さあ、これから乗り換えよう。日光へと続く線路は、
  2. ここから分かれて(日光線として)つながっているのだ。
  3. (目的地まで)25マイル(約40キロ)ほど走れば、
  4. わずか1時間半で日光の地に着くそうですよ。
明治時代の日光線(画像はAIによるイメージです)(鉄道唱歌:日光関連)

明治時代の日光線(画像はAIによるイメージです)

宇都宮駅からは、日光線で日光へ寄り道

宇都宮駅に着くと、鉄道唱歌ではそのまま東北地方へ向かうことはせず、

  1. 一旦、「日光線」とよばれる路線に乗って、
  2. 当時は約1時間半かけて移動し、日光駅に至る
  3. 日光を観光したのち、再び宇都宮駅に戻り、東北地方へ向かう

というストーリーになります。

栃木・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)(鉄道唱歌:日光線の旅)

栃木・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

今回の日光線は「寄り道」

いわゆる「寄り道」であり、鉄道唱歌ではこうした

  • 「歴史的に重要な、名所旧跡」に対する寄り道

が多く歌われる傾向にあります。

江戸時代の日光の町並み(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の日光の町並み(画像はAIによるイメージです)

他の「寄り道」

鉄道唱歌における有名な寄り道は他にも、

などがありますよね。

私(筆者)も、

  • 青春18きっぷ
  • 北海道&東日本パス

などで旅行するときは、気になった場所や名所旧跡のある場所に、結構「寄り道」したりします。
そのため、作者の大和田建樹おおわだたけきさんの気持ちはよくわかります!

宇都宮駅(栃木県宇都宮市)

宇都宮駅(栃木県宇都宮市)

宇都宮駅に着いたら、降りて駅の外で少し休憩し、日光線に乗り換えて日光へ向かいましょう!

歴史的に山岳信仰の都市として栄えてきた、日光への旅

日光にっこうは、那須なすと並んで、栃木県を代表する名所の1つです。

「山岳信仰」の拠点・日光

江戸時代の日光・中禅寺湖(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の日光・中禅寺湖(画像はAIによるイメージです)

日光は古くから、いわゆる「山岳信仰」の拠点として、また宗教都市として栄えてきました。

昔は

「山には神様がいる」

と信じられており、多くの山々が信仰の対象とされてきました。

富士山の女神・コノハナサクヤヒメ(画像はAIによるイメージです)

あの富士山も、コノハナサクヤヒメという女性の神様が宿ると信じられてきており、富士山は信仰の対象とされてきました。

こうした山岳信仰だけでなく、山は常に

  • 修行の場

としても選ばれてきました(修験道しゅげんどう)。

江戸時代の日光・中禅寺湖(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の日光・中禅寺湖(画像はAIによるイメージです)

徳川家康が神様として祀られている、日光東照宮

そして、江戸時代になって徳川家康が日光に祀まつられるようになりました。

すると、

  1. 彼を尊敬してやまなかった三代将軍・徳川家光によって、
  2. 1634年に、現在のような豪華かつ壮麗な神社へと建て替えられ、
  3. より完全な形での日光東照宮にっこうとうしょうぐうとなった

というわけです。

江戸時代の日光東照宮(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の日光東照宮(画像はAIによるイメージです)

すると、日光へ参拝することはとても尊い行事となったのでした。
そのため、江戸から「日光街道にっこうかいどう」という幕府が整備した街道を通って、多くの人々が参拝するようになりました。

静岡の久能山東照宮から、日光東照宮へ

日光東照宮にっこうとうしょうぐうは、徳川家康を神様として祀っている神社です。

徳川家康は江戸時代の始め、将軍職を息子に譲って退いたあと、晩年を駿府すんぷ(現在の静岡県静岡市)で過ごしました。

そして徳川家康は、遺言として、もし彼が亡くなったときは、現在の静岡県静岡市駿河区に存在する久能山東照宮くのうざんとうしょうぐうに祀ることを命じました。

江戸時代の久能山東照宮(画像はAIによるイメージです)

江戸時代の久能山東照宮(画像はAIによるイメージです)

そして、その1年後に日光において祀るように命じ、また自身をこの国を護る神様として祀るように命じました。

そうした経緯によってできた神社が、日光東照宮であるというわけです。

日光線をはじめとする、日光へのアクセスの歴史

昔の人々は、「奥州街道」「日光街道」を通って参拝をしてきた

江戸時代まで、多くの人々は、この日光参拝のために、江戸から続く

  • 奥州街道
  • 日光街道

を使って、何日も徒歩または馬車で旅をしてきたのでした。

江戸時代の奥州街道・日光街道の宿場町(画像はAIによるイメージです)

奥州街道と日光街道は、江戸~宇都宮間は共有・共通の道・ルートでした。
しかし、宇都宮からは分岐して分かれてゆきます。

この分かれ道のことを、「追分おいわけ」といいます。

宇都宮の宿場町・宇都宮宿

また、宇都宮の宿場町である宇都宮宿では、

  • これから日光へと向かう旅人
  • 奥州(東北地方)へと向かう旅人

に対して、

  • 寝床を提供し、
  • 食事を提供し、
  • 歓談や談笑の場所を提供する

などして、旅人をもてなしてきたという歴史があるわけです。

江戸時代の宇都宮宿(画像はAIによるイメージです)

明治時代に鉄道が出来て、日光参拝のハードルが一気に下がった

明治時代に入ると、鉄道唱歌にもあるように、日光までの鉄道が敷かれたのでした。
そのため、東京からの日光参拝へのハードルが一気に下がり、日光参拝への旅がより容易なものとなりました。

それに伴い、外国人観光客の参拝も一気に増大することとなりました。
それにより、日光は国際的にも有名な観光地として、一気にメジャーな存在となりました。

国鉄と東武日光線の競合

そして後の時代になって、

  • 国鉄
  • 東武日光線とうぶにっこうせん

は、共に日光参拝をするお客様を奪い合うような感じで、激しい競合関係にありました(東武日光線は、1929年の開業)。

そして、総じて東武日光線の方が優位という立場にありました。

国鉄よりも優位にあった東武日光線

というのも、東武日光線は、東京から日光に延びる線路が比較的まっすぐに北上していくというルートでした。

それに対し、国鉄(現在はJR東日本)では宇都宮駅で一旦スイッチバックという形を取らないといけませんでした。

なお、スイッチバックとは、いわゆる「人」の形をした線路のことで、一旦先頭から突っ込んで、その後にバックして進む線路の形状のことです。

東武日光線と協力することを選んだ国鉄(JR東日本)

このように様々な事情から、国鉄(JR)としては、東武日光線に勝つのは困難であると判断したのでした。
一方、東武日光線としても、JR社と協力する方がメリットが大きいと判断したのでした。

このことから、2006年に

  • 栗橋駅くりはしえき(埼玉県久喜市)

にJR線と東武日光線との連絡線路が作られ、これによってJR線と東武日光線の直通運転が可能になったのでした。

すなわち、

  1. 東京~栗橋間はJR線の線路で走行し、
  2. 栗橋~日光間は、東武日光線の線路で走行する

ということが可能になったというわけです。

このため、JR社と東武鉄道は競合関係から協力関係に変わったといえます。

現在では40分で着く、日光線での日光への道のり

明治時代の日光線(画像はAIによるイメージです)

なお、現在の日光線は計6駅あり、宇都宮駅からは約40分少しで着きます。

鉄道唱歌が出来た明治時代の当時は、歌詞の内容から判断するに、蒸気機関車で約1時間半かかっていたわけです。
そう考えると、鉄道の技術の進歩とは素晴らしいものですね。

また、宇都宮駅~日光駅は、距離にして約40.5kmです。

明治時代の日光線は、東京方面から日光(当時はすでに国際的な観光地となりつつあった)へ向かう重要な路線でした。
急勾配が続く山岳路線であるため、小型で力のある機関車が適していました。

歌詞の「二十五マイル」とは?

ちなみに、歌詞では

「二十五マイル走りなば」

とあります。

1マイルは約1.6kmですから、

  • 25 × 1.6 = 40(km)

で、大体計算が合います。

おおよそマラソンの距離(42.195km)!

さらに余談ですが、この距離って大体マラソンの距離(42.195km)と同じですよね。

世界トップクラスのランナーは、時速約20kmで、約2時間少しかけて42.195kmを走破します。
すなわち、現在の最新鋭のランナーでも約2時間かかる距離を、当時の日光線は1時間半で走ったわけです。

江戸時代までの飛脚などが全力で走る速度よりも速く移動できる鉄道の技術が、当時としてはいかに斬新で画期的なものだったかがよくわかりますね。

日光駅(栃木県日光市)

日光駅(栃木県日光市)

また、日光は松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で訪れた場所でもあります。

松尾芭蕉と日光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

松尾芭蕉と日光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

松尾芭蕉については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

【松尾芭蕉とは?】名句に込められた思いや、旅の真実などを徹底解説!
松尾芭蕉について、意外な素顔や名句の背景、さらに「わび・さび」の思想や『おくのほそ道』の旅路など、彼の人生と旅の魅力に迫ります!今回は、松尾芭蕉について わかりやすく解説旅の天才、松尾芭蕉の意外な素顔名句「古池や」に込められた静寂と生命力​...

『おくのほそ道』のルートや基本については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

松尾芭蕉の『おくのほそ道』とは?旅のルートや名句の意味・旅の真意を徹底解説!
松尾芭蕉の名作『おくのほそ道』の旅路について、大まかなルートや有名な俳句の意味、そして隠された真の目的の謎までまとめました!松尾芭蕉による『おくのほそ道』の旅路をたどるあの有名な『おくのほそ道』の作者である松尾芭蕉が自身の門人である曾良そら...

次回から、本格的に日光の観光へ

栃木県・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

栃木県・日光の観光(画像はあくまでAIによるイメージです。)

おわりに:次から、本格的に日光の観光となります!

コメント