
明治時代、北海道開拓の地に立つ黒田清隆(画像はAIによるイメージです)

明治時代の北海道・手宮線(画像はあくまでAIによるイメージです。)
北海道の鉄道の歴史の偉人・黒田清隆
黒田清隆(1840年〜1900年、鹿児島県(薩摩藩)生まれ)と日本の鉄道には、実は非常に深い、そして情熱的な関わりがあります。
特に北海道の開拓における彼のリーダーシップは、日本の鉄道黎明期に欠かせないエピソードの一つです。

明治時代、北海道開拓の地に立つ黒田清隆
また、彼は初代内閣総理大臣である伊藤博文に次ぐ、2代目の内閣総理大臣として就任したことでも知られます。
これは歴史の教科書でも習って覚えている人が多いかもしれませんね。
黒田清隆とは?
彼は幕末の1840年、薩摩藩(現在の鹿児島県)出身の武士で、明治政府のリーダーの一人です。
一言で言えば、「豪快で情熱的な、北海道開拓の父」です!
彼は同じ鹿児島県出身の西郷隆盛を師と仰ぎ、後に第2代内閣総理大臣にもなりました。
北海道開拓と「幌内鉄道」の誕生
明治時代初めの北海道開拓のとにかく重要性

広大な北海道の大地(画像はあくまでAIによるイメージです)
明治時代、北海道の開発はとにかく重要視されました。
北海道はそれまで蝦夷地とよばれ、日本の一部に加わったのは明治時代からでした。
それまでの北海道はほとんど手付かずで、だだっ広い荒野や原野が広がるばかりで、軍事力を備えるどころか、当時の 農業技術では作物すらまともに育たないような、まさに過酷な環境がそこにありました。

広大な北海道の大地(画像はあくまでAIによるイメージです)
北海道を強く豊かな土地にする必要性があった、明治時代
しかしこのままでは、いつ海外に乗っ取られてもおかしくないような、ある意味では無防備な場所だったのでした。
そのため、もし北海道を外国に乗っ取られるとそこを軍事拠点にして、いつ東京まで攻めて来られるか分かったもんでなかったわけです。
これは新しい明治政府としては、脅威以外の何者でもないですよね。
その北海道開拓のリーダーだった、黒田清隆

江戸時代の北海道・石狩平野のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
そんな明治時代に、国を挙げて急がれた北海道開拓において、黒田清隆が政府が臨時に北海道に設置した役所である開拓使における、一番偉いトップの長官となりました。
開拓使とは、明治時代に北海道を文明ある土地として開発するために置かれた、国が設置した臨時の役所のことをいいます。
当時の日本において、地域限定でこれほどの強い権限を持つ役所は、非常に珍しい存在でした。

明治時代の北海道開拓(画像はあくまでAIによるイメージです。)(黒田清隆関連)
また、そんな時代に、彼は
- 北海道の広大な大地に眠っている石炭やニシン(魚)などを始めとする、豊かな資源を掘り出す
- それらを各地へ運んで販売し、お金が儲かったり強くしたりする
- こうした資源を徹底的に活かすために、
- これからは移動や輸送の大革命を起こすために、
- 鉄道が絶対に必要不可欠だと強く考えた
というわけです。
幌内鉄道:1880年(明治13年)に開通した、北海道で最初の鉄道です。
石炭を運ぶのが主な目的でした。
石炭資源の確保
そして北海道開拓の目的として、もう1つは石炭資源の確保というものがありました。
すなわち、当時は何を動かすにも必要であり、また近代化(蒸気船や工場)に欠かせない「黒いダイヤ」こと石炭を手に入れ、国を豊かにするためだったのでした。

明治時代、蒸気機関車に石炭を積むイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
鉄道こそが北の大地を豊かにする輸送手段だった
このようにして黒田清隆は、広すぎて手つかずだった北の大地を近代化させ、明治時代の最新の技術によって発展させるためのエースとして、鉄道に目をつけたというわけです。
インフラ整備の重要性、民間資本の活用
彼は国防や産業振興といった観点から、鉄道を「国の背骨」として重視していました。
当時はまだ戦闘機も戦車も飛行機もありませんでしたから、軍事物資や食料・兵士を運ぶのは、鉄道の役割だったからです。
また彼は、国の予算だけでなく、例えば日本鉄道のような私鉄(民営鉄道)の設立を支援し、急速なネットワーク拡大を後押ししてゆきました。
しかし、初めは自力で鉄道を作れなかった
しかし、当時の日本にはまだ鉄道をゼロから建設するための莫大な予算も、高度な専門技術もまったく足りていなかったという、大きな壁が立ちはだかっていたというわけです。
したがって、彼はあたりも説明するライマンさんのようなアメリカから優れた技術者を招くなどして、
という強い決意のもとで、ダイナミックな開拓事業を推し進めていくことになるというわけです。

広大な北海道の大地(画像はあくまでAIによるイメージです)
石炭輸送の効率化
当時の北海道の真ん中にあたりにあった空知地方における幌内炭鉱で採れる石炭をたくさん掘って蒸気機関車に乗せてそれらを運び、港がある小樽(手宮)まで運ぶため、鉄道を計画したというわけです。

明治時代の鉄道建設(画像はあくまでAIによるイメージです。)
初めは外国人に手伝ってもらいながら鉄道を建設していった
先ほども少し述べた通り、黒田清隆は北海道で初めての鉄道を作っていく時に、
- まだ当時の日本の科学力・技術力だけでは、自力で鉄道を作ることはできなかった
ため、アメリカの技術を積極的に取り入れました。
当時の日本はまだ1872年に新橋駅・横浜駅との間で鉄道が開通してきたばっかりであり、日本が自分一人で自前で鉄道を作る技術はまだ到底足りていなかったのでした。
そのため、彼はお雇い外国人という海外の鉄道のなどの技術に詳しい外国の人を雇い入れて、手伝ってもらいながら作っていたのでした。
お雇い外国人:明治時代、日本の近代化のために、西洋の高度な技術や知識を教えるために雇われた外国人の先生たちのことです。
井上勝の登場
ちなみに、最初の頃は外国人の技術に100パーセント頼り切っていた日本の鉄道ですが、のちに井上勝という「鉄道の父」と称えられる偉大な人物がリーダーとして登場したことによって、歴史が大きく動き出すというわけです。
彼は
と強く主張し、日本人技術者の育成に全力を注いだというわけです。
すなわち、この熱い情熱と挑戦のおかげで、
- 数々の苦難を乗り越えて、
- 最終的には日本の力だけで自前で立派な鉄道を、ゼロから敷設することができるようになった
というわけです。
井上勝については、詳しくは以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

政治家として見守った鉄道の発展
黒田清隆は開拓使を離れた後も、国のトップである内閣総理大臣などの要職を歴任してゆき、国策としての鉄道整備を支える立場にあったのでした。
「開拓使官有物払い下げ事件」という、なんとも残念な事件
しかし、黒田清隆には、
- それまでの開拓使の官有物
- つまり、「国の税金で建てた、様々な重要なインフラ」を、
- なんと同じ鹿児島県(薩摩藩)出身であり、民間の商人である、五代友厚に対して、
- 不当に安い金額で払い下げる(売り渡す)
という、残念な黒歴史も残っています(開拓使官有物払い下げ事件)。
すなわちこの事件は、
- 北海道の開発に全力をかけた、黒田清隆
- 大阪を東洋のマンチェスターと言われるほどにまで発展させた、五代友厚
のイメージを破壊させるような、なんとも残念な事件です。
もちろん当時の国民からすれば、
- 「我々の血と涙の税金で作った開拓使の官有物(国の建物)を、
- ただ身内だからという理由で、
- 安く払い下げる(売り渡す)のはけしからん!」
という話になってくるわけですが、本人たちからすれば「仲間内で力を合わせて国を強くしようとした」という、ある意味では歪んだ愛国心の形でもあったわけですね。
五代友厚については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

意外なエピソード:お酒と鉄道?
黒田清隆といえば、お酒にまつわる豪快な(時には困った)エピソードが多い人物としても知られています。
まず、北海道の開拓の時に、札幌の土地に対してビールの工場を作ろうとしたのも、彼の酒好きが大きく影響したと言われています。
暑さに弱いビールの材料・ホップ

札幌ビールの例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
また、ビールの材料となるホップは暑さに弱いため、
- 北海道のような涼しい場所においては、ビールの原料であるホップが、とても育ちやすい場所であったこと
も、札幌ビールの発祥の地としては大きな強みになりました。
余談:他にもいる酒好きの有名人「若山牧水」
ちなみに余談になりますが、他にもお酒が大好きな有名人として、若山牧水という人がいます。
彼は酒がないと生きていけないという歌まで残し、しかも、なんと酒の飲み過ぎで亡くなってしまいました。
彼が亡くなったのは蒸し暑い夏(と言っても9月)でしたが、アルコールのおかげで遺体が腐らなかったといいます。
若山牧水については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

土方歳三・榎本武揚との関係
黒田清隆という人物を軸に、幕末の動乱から北海道の夜明けまで、ドラマチックな繋がりが見えてきますね!
その熱い歴史を紐解いていきましょう。
土方歳三・榎本武揚との「武士の絆」
江戸時代の最晩年、最後の戦いとなった戊辰戦争の最終決戦である箱館戦争
で、黒田清隆は新政府軍の参謀として、函館の五稜郭で待ち受ける旧幕府軍の土方歳三や榎本武揚と戦いました。
土方歳三との関係

土方歳三(画像はあくまでAIによるイメージです。)
また黒田清隆は、(かつて新撰組の鬼の副長として知られ、しかも榎本武揚が構想した蝦夷共和国のナンバー2でもあった)土方歳三とは、あくまで敵同士として戦いました。
しかし、黒田清隆は土方歳三の勇猛さを高く評価していました。
箱館戦争のときには、
とまで言われ、土方歳三の戦いぶりは黒田清隆の率いる新政府軍を、最後まで翻弄したのでした。

五稜郭を出陣する土方歳三(画像はあくまでAIによるイメージです。)
土方歳三については、以下の各記事でも解説していますので、ご覧ください。



榎本武揚との関係
戊辰戦争が終わった後、黒田清隆は、国際法に詳しくてしかも優れた技術や能力を持つ榎本武揚のことを、
- 「殺してしまうのは、国家にとっての大きな損失だ」
と考えました。
すなわち戊辰戦争(箱館戦争)の最後において、
- 榎本武揚が率いる函館五稜郭が陥落してしまい、
- リーダーでトップであった榎本武揚が降伏した後、
- 黒田清隆は、自分の頭を丸めてまで彼の助命を嘆願し、
- 榎本武揚のことを釈放させた
というわけです。
その後、二人は北海道開拓のために、お互いに共に働くことになります。
それまでは敵だった相手を認め合うという、まさに男の友情ですね!
北海道で最初の鉄道「官営幌内鉄道」
官営幌内鉄道は、明治時代に作られた北海道最初の鉄道と言われ、現在の北海道の岩見沢から小樽市の手宮地域まで続いていた、石炭を運び出すための「命の道」でした。

明治時代の石炭を運ぶ蒸気機関車のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
幌内炭鉱の石炭をバンバン掘り出す
幌内炭鉱とは、良質な石炭が大量に眠っていた場所です(現在の三笠市)。
- 岩見沢:炭鉱と港を結ぶ道の真ん中にあり、鉄道の拠点(ジャンクション)として大きく発展しました。
- 小樽(手宮港):鉄道の終着駅です。
つまりここで石炭を船に積み込み、全国へ運び出しました。

明治時代の炭鉱のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
明治時代になって特権を失った、元・武士(士族)へのサポート
明治維新でいわゆる士農工商が廃止され、国民ほとんどが平民となり、職や特権を失った武士たちは、生活に困り果て、慣れない商売に手を出しても素人であるがゆえに全く売れず(士族の商法)、不満を募らせていました。
ちなみに屯田兵制度とは、黒田は武士たちを
- 「普段は農業をし、いざという時は兵士として戦う」
という、いわば二刀流の武士を、屯田兵として北海道へ送りました。

明治時代の北海道の開拓のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
仕事を失った元・武士に与えられた、開拓と国防の両立という役割
この「屯田兵」という制度は、
- 失業した武士たちに対して仕事を与えるという「士族授産」の側面と、
- またもし北海道が戦争に巻き込まれた時に、いつでも防御を固めておき、戦うことができる
までを同時に解決するという、まさに一石二鳥の名案でした。
士族授産:明治維新で給料がなくなった武士たちに対して、農業や商売などの新しい仕事を与えて助ける、という政策のことです。
弁慶号・義経号と「神威岬」のエピソード
また北海道の最初期の機関車の名前である「義経・弁慶」と、積丹半島
の伝説は面白い繋がりがあります。
北海道の「義経伝説」とは?
また北海道には、本来は岩手県の平泉で亡くなったと言われているはずの源義経について、「実は死なずに、北へ逃げた」という伝説が多くなっています。
例えば、小樽市の西に位置する海岸である積丹半島にある神威岬には、かつて義経のことを恋して慕ったアイヌ民族の女性・チャレンカの悲恋物語があります。

義経を恋い慕ったアイヌ民族女性・チャレンカ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

「義経号」「弁慶号」命名の理由
このようにして、明治時代の初めの当時の北海道でアメリカから輸入された機関車に、あえて日本の英雄である「義経」「弁慶」という名を付けたのでした。
これは、かつて北海道の開拓を「これからの新たな伝説」に重ねようとした、黒田清隆たはじめとする開拓者たちのロマンがあったのかもしれませんね!
黒田清隆とお雇い外国人・ライマン

北海道の蒸気機関車(画像はあくまでAIによるイメージです。)
北海道最初の鉄道を作るお手伝いをしたアメリカ人のライマンは、黒田清隆がこの当時にアメリカから招いたお雇い外国人の地質学者です。
まだ日本は鉄道黎明期であり、日本が自力で・外国人の力なしでは鉄道を作ることは難しかったわけですね。
しかし、井上勝という人によってやがて日本でも鉄道を自力で作ることができるようになったというわけです。
資源調査のプロ
そんな中、黒田清隆はライマンに対して、鉄道がしっかり作れるかどうかに関する北海道の地質調査を依頼しました。
これをしっかりしないと、例えば地盤がゆるゆるのところに鉄道を線路を作ってしまうと、
- 線路がドロドロにぬかるんで沈んでしまったり、
- 地震で簡単に脱線したり、
といった事故が起こってしまうかもしれないので、こうした地質調査は絶対に鉄道を作る際には不可欠であるというわけです。
軟弱地盤に対応するための「地質調査」の必要性
軟弱地盤の上にそのまま線路を作ると、重大な危険が伴います。
軟弱地盤:水分が多くて、建物の重さなどを支える力が弱い地面のことです。
例えば、重い列車や線路の重さそのものに耐え切れず、地面が沈んでしまうというトラブルが起きる可能性があります。
だからこそ事前にしっかりと調べる必要があり、地質調査は鉄道を作る際には絶対に不可欠であるというわけですね。
炭鉱の発見

明治時代の炭鉱の町(画像はあくまでAIによるイメージです。)
また、ライマンは北海道の真ん中あたりの山奥を詳しく調査し、「ここに幌内炭鉱があるぞ!」ということを突き止めました。
すなわち、「ここを掘れば石炭ががっぷり入れてきて儲かる」ということになるわけなので、ここの石炭を掘らずにいられなくなったわけです。
さらに掘った石炭を小樽港まで運ぶ必要があるので、そこで初めて鉄道・蒸気機関車による石炭の運搬が始まったというわけです。
すなわち、こうしたライマンさんの調査があったからこそ、北海道の当初の難しい工事において、鉄道をどこに敷くべきかが決まったというわけです。
いわば、彼は北海道のエネルギー革命の「目」となった人物というわけですね。
黒田清隆の活躍 今の北海道の発展の基盤となった

広大な北海道の平野(画像はあくまでAIによるイメージです。)
このように、黒田清隆という人は、単なる政治家ではなく、
- 敵すらも味方につけて、荒野を切り拓いていく
という、非常にバイタリティ溢れる人物だったようです。
黒田清隆がいなければ、北海道の鉄道網の完成はもっと遅れていたかもしれません。
おわりに・まとめ
明治の北海道開拓を牽引した黒田清隆の情熱には、ものすごい熱いものがありました。
石炭資源を活かし、鉄道を敷くことで北の大地を強く豊かにしようとした彼の先見の明は、今の北海道の礎となっていますね!
井上勝やライマンといった専門家たちと協力し、時には武士の絆に支えられながら突き進んだ開拓の歴史。
「弁慶号」や「義経号」といった美しい名前の蒸気機関車が、荒野を力強く走る姿が目に浮かぶようです。
歴史に名を刻んだ偉大なリーダーの物語を知ることで、北海道への旅がまた一味違ったものになりますよ!
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