【筑紫平野】佐賀平野との違いは?成り立ちと農業の歴史を徹底的に解説!

筑紫平野佐賀平野、実はどう違うのでしょうか?土地の成り立ち農業の歴史筑後川が果たした役割を、わかりやすく解説してゆきます!

佐賀平野と筑紫平野

佐賀平野筑紫平野は、地理的にはお互いに陸続きでつながっている非常に広大な平野です。
しかし、地域ごとの呼び方や、歴史的な範囲の捉え方によって、いくつかの重要な違いがあります。

筑紫平野という「大きなまとまり」

実は、筑紫平野ちくしへいやは、佐賀県から福岡県の2つの県にまたがっています。
この平野は、九州最大の平野全体を指す広域の地名なのです。

つまり、筑紫平野の中に佐賀平野がある

すなわち、筑紫平野という巨大なグループの中に、

  • 佐賀県側の「佐賀平野
  • 福岡県側の「久留米平野(筑「後」平野)

がそれぞれ含まれているという関係性ですね!

したがって、

  • 佐賀平野筑紫平野の一部である」

と頭の中で理解しておくとよいかもしれませんね!

筑紫平野は、佐賀県から福岡県にかけて果てしなく広がる、九州で最も広い平野全体を指す、あくまでも「総称」になります。

筑紫平野・佐賀平野:土地の成り立ち(干拓と堆積)

有明海を干拓してできた、佐賀平野

佐賀平野は、もともとは有明海の浅い海だった場所です。
ここを、江戸時代から現代まで続く「干拓」という人間の営みによって広げてきた歴史があります。

ちなみに干拓かんたくとは、

  1. 潮の満ち引きが大きい、遠浅とおあさの海や湖を、
  2. 強固な堤防で仕切り、
  3. 中の海水を排水して、
  4. 水を干上がらせ、
  5. 豊かな陸地(主に水田)にすること

をいいます。
つまりこれによって、農業ができる平地が増えるというメリットがあるわけです。

筑後川が運んできた大量の土砂が積み重なった、筑紫平野

一方で、筑紫平野(全体)の場合は、

  • 筑後川などが上流から運んできた豊かな土砂が積もってできた、「沖積平野

としての性質が非常に強いです。

ちなみに沖積平野ちゅうせきへいやとは、

  1. 川の激しい流れが、大量の土砂を運び、
  2. それが下流や河口付近に、長い年月をかけて積もることでできた、
  3. 比較的新しく平らな土地

のことをいいます。

農業や産業の特徴

また、筑紫平野佐賀平野も、どちらの地域も日本屈指の豊かな穀倉地帯(一大米どころ)であり、

  1. 水利施設として、農業用水を確保するため、
  2. クリーク(人工の堀)が、網の目のように非常に発達している

というのが大きな特徴です。

すなわち、主に大きな筑後川からの取水(川から農業用の水を取ってくること)を中心として、地域の農業が支えられているというわけです。

このようにして筑紫平野においては、田んぼ等に対して水を引っ張ってくるための水路が、まるで網の目のように縦横無尽に走るという、全国でも独特の美しい風景が見られます。

水路の風景(佐賀平野)

福岡側から佐賀側の県境に入ると、クリークと呼ばれる網の目のような独特の水路が急激に姿を現します。

これは、水が不足しがちな干拓地において、貴重な生活用水農業用水を確保するための、先人の並々ならぬ知恵が詰まった佐賀ならではの伝統的な景色ですね!

クリーク:平野部で作られた人工的な水路(堀)のことをいいます。
豊かな農業用水をためたり、昔は物資の運搬用の舟を通したりするために、地道な手作業で掘られました。

筑紫国(つくしのくに)

かつての筑紫国は、その大昔に、

  • 筑前国ちくぜんのくに
  • 筑後国ちくごのくに

へと分割されました。

すなわちこれは、

  1. この筑紫平野・佐賀平野が誇る膨大な米の生産量が、
  2. 遥か大昔、古代の筑紫国を分割するという、
  3. 決定的な理由になった

というわけです。

すなわち、筑紫平野佐賀平野が毎年もたらす圧倒的な穀物生産力こそが、かつての巨大な令制国である「筑紫国つくしのくに」の解体と分割に対して、大きな影響を与えたというわけです。

筑紫国が分割された背景

古代の日本で大化の改新(645年)が行われて以降、

  1. それまで「クニ」同士でバラバラだった国内を一つまとめるため、
  2. 中央集権化を急ぐ大和朝廷にとって、
  3. 地方の一つの国(筑紫国)が、まるで中央政府(朝廷)を凌ぐほどの強大な力を持つことは、
  4. 政権を揺るがすような、大きな脅威でした。

したがって、あまりに広大で圧倒的な経済基盤を持つ豊かな筑紫国は、中央の手で管理しやすくするために、政治的に分割されることになったのです。

そのため、朝廷は現在の

  • 佐賀県側一帯を「筑前国ちくぜんのくに」の一部や、
  • 同じく 佐賀県側一帯を隣接する「肥前国ひぜんのくに」の管轄へと組み入れ、
  • 福岡県南部一帯を、「筑後国ちくごのくに」へ

へと明確に切り分け、彼らの持つ強大な経済力を分散させたというわけです。

統治の効率化

また、かつての筑紫国が分割されたその他の理由は、

  1. あまりに平野の面積が広すぎて、人口も密集していたため、
  2. 中央から派遣された一人の国司(つまり地方のトップ)の権限だけでは、
  3. 全域に対して目が行き届かない

という実務的な理由もありました。

それぞれの地域に統治の拠点(国府)を分散して置くことで、

  • 税の徴収(徴税)
  • 兵士の招集(徴兵)

を、より確実かつ効率的に行おうとしたわけですね。

個人的な考察

現代でも目を見張るこの広大な平野をのんびり眺めていると、

  • ここを完全に支配しさえすれば、九州はおろか天下が取れる

昔の権力者たちが野心を抱いたのも、なんとも納得がいきますね!

すなわち、それほどまでに、この広大な土地が秘めていた農業ポテンシャルは凄まじかったということなのでしょう。

筑紫次郎こと筑後川の影響

これほどまでに圧倒的な規模の平野が完成したのは、やはり「筑紫次郎」の異名で知られる大河である筑後川や、他の主要な川がもたらした影響が途方もなく大きいです。

「筑紫次郎」による土砂の積み上げ

筑後川は、

  1. 総延長・流域面積ともに、九州最大の規模を誇る一級河川であり、
  2. 活火山である阿蘇山などから、毎日大量の火山性の土砂を運んでくる

という、大きな性質があります。

筑後川のものすごい堆積作用

また、筑後川筑紫平野の関係として、

  1. 季節ごとの大雨台風などで、
  2. 川が激しく氾濫するたびに、
  3. 上流の山々から、ミネラルを豊富に含んだ栄養満点の土砂が、下流へと運ばれ、
  4. 河口の有明海付近に、少しずつ積もっていった

というわけです。

堆積たいせき作用:川の激しい流れが緩やかになった場所に、これまで上流から運んできた重い土や砂、泥が自然と底に積もっていくことをいいます。

したがって、筑後川においては人間の手が加わる遥か前から、自然の驚異的な力によって少しずつ新しい陸地が海へとせり出していったというわけですね。

沖積平野の形成

こうして大自然の川の力だけで長年作られた平坦な平野を、専門用語で「沖積平野」と呼びます。

すなわち、筑紫平野の頑丈なベースは、まさに筑後川が何万年、何億年という気の遠くなるような歳月をかけて自然に作り上げたという、これぞまさしく「地球からの贈り物」なんですね!

佐賀平野特有の「干拓」という力

一方で、同じ平野でありながら、佐賀平野の南部などに目を向けると、そこは単に川の堆積力だけではなく、人間の驚異的な知恵と労働力が大きく関わっています。

有明海の特性 拡大し続けた大地

平野が面している有明海は、世界的にも珍しい非常に遠浅とおあさな海です。
そして、潮の満ち引きによる海水面の高さの差が、最大でなんと6メートルもあります。

この海に対して石垣や土手を築き、堤防で囲います。
その後に、中の水を外へ抜いて、強制的に陸地へと変えるという「干拓」の技術が、中世から江戸時代にかけて猛烈に盛んに行われてきました。

このように、江戸時代から現代にいたるまで、

  • 佐賀の農民たちは、少しずつ少しずつ、
  • 海を人間のための陸地へと変え、領土を広げてきました。

現在、驚くべきことに佐賀平野の全面積の約10分の1は、この命がけの干拓によって人工的に作られた土地と言われています。

クリークという網の目

大河がもたらす水の恵みは大変豊かですが、

  • この広大な平野は、あまりにも高低差がなくて平坦すぎたため、
  • 昔は、雨が降っても水がうまく流れず、
  • すぐに溢れて、溜まってしまうという

深刻な悩みもありました。

水の貯蔵庫 独特の景観

そこで先人たちは、

  • 平野のあちこちに、縦横に交差する「クリーク(人工の水路)」

を、文字通り「網の目」のように掘り巡らせました。

これは、

  • 日照り続きの時に、川の水を蓄えておくための、ミニダムのような役割
  • 大雨の時には、洪水を防ぐために、素早く水を海へ流す、排水路の役割

を、同時に果たす画期的なシステムです。

すなわち、私たちが電車の窓から目にするのどかで広大な田園風景は、かつて暴れ川として恐れられた筑後川をなんとか制御しようとした、先人たちの壮絶な知恵の結晶なのです。

個人的な感想

このように、

  1. 九州一の暴れん坊として知られる「筑紫次郎」が運んできた荒々しい土砂が、
  2. 長い時間を経て、現代の九州最大の穀倉地帯を、静かに生み出した

と思うと、大自然の計り知れない力強さと、それに適応した人間のたくましさに心の底から感動しますね!

もしこの川がなければ、この豊かなお米の大量生産も、歴史を揺るがした筑紫国政治的な分割も、おそらく存在しなかったかもしれません。

筑後川の源流は阿蘇山ですか?

筑後川の源流は、阿蘇山です。

すなわち、九州を横断する筑後川の壮大な源流は、世界的な活火山である阿蘇山の巨大なくぼみを取り囲む山々(外輪山)の斜面にあります。

源流の場所:瀬の本高原

筑後川の最上流部、いわゆる「本流」の最初の一滴が湧き出る始まりの場所は、熊本県阿蘇郡南小国町に位置する、美しい瀬の本高原と定義されています。

すなわち、

  1. 広大な阿蘇の山々に降った大量の雨や、
  2. (火山層をくぐり抜けてきた)豊かな湧き水が集まって、
  3. まずは「田の原川たのはらがわ」という、小さな川になる

わけです。

実は「源流」は一つじゃない?

この川は、まさに「筑紫次郎」という猛々しいあだ名にふさわしく、九州の四方八方から非常に多くの支流枝分かれした数々の川)を引き連れています。

  • 大自然の恵みをもたらす阿蘇くじゅう九重山系
  • 阿蘇外輪山の北側から一気に流れ落ちる激しい本流
  • 日本百名山の一つである九重連山の豊かな森から流れてくる清流「玖珠川くすがわ

合流して大河へ

これらの複数の有力な川が、大分県西部の日田盆地ひたぼんちという山の間の平地で、一つの大きな流れへとドラマチックに合流します。

そして、さらに

  • 筑前筑後の、細かな支流を次々と飲み込みながら、
  • 最終的に、あの広大な筑紫平野へと悠々と流れ込んでいく

というわけです。

したがって、筑後川は単に阿蘇山だけでなく、「九州の屋根」と称される巨大な山々全体の膨大な水を、一手に引き受けて海へと運んでいくという大動脈・一大ルートであるといえますね。

今回はここまで 続きは次回

おわりに:筑紫平野佐賀平野の成り立ちや違い、いかがでしたか?

どちらも豊かな恵みをもたらす土地ですが、筑後川の堆積による地形と、有明海を干拓して広げた佐賀の歴史には大きな違いがありましたね!
筑紫次郎」の異名を持つ筑後川が運んだ土砂が、今の農業の基盤を作ったと考えると感慨深いです。

このように、地形や歴史を知ることで、その土地の風景がいかに人々の工夫によって作られてきたのか、より深く理解できるようになりますよね。

ぜひ、この知見を今後の探究に役立ててくださいね!

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