加賀百万石の象徴・金沢城の歴史と魅力を徹底解説!
前田利家や兼六園の成り立ち、金箔や加賀友禅といった伝統工芸の秘密まで分かりやすく紐解きます。

金沢名物・加賀友禅(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)

金沢名物・金箔(画像はあくまでAIによるイメージです。)
金沢探訪シリーズ完結編!金沢城の歴史と伝統工芸の真髄に迫る
全3回にわたってお届けしてきた金沢の観光・歴史ガイドも、いよいよ完結編です。
- 第1回では金沢市の基本や加賀宝生・能楽、聖地巡礼について、
- 第2回では江戸時代の金沢や前田氏の歴史、そして風情ある伝統的な町並みについて
ご紹介してきました。
最終回(第3回)となる今回は、加賀百万石の象徴である金沢城の歴史や、世界に誇る金箔・加賀友禅といった伝統工芸の魅力に深く迫ります。
まだご覧になっていない方は、ぜひ第1回・第2回の記事もあわせてチェックしてみてくださいね!

金沢の伝統的な町並みの例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
金沢城は、どんなお城なのか?
加賀藩の政治の拠点となった金沢城は、石川県の金沢市にあるお城です。

江戸時代の金沢城(画像はあくまでAIによるイメージです。)
金沢城の始まりと前田家
金沢城は、もともと金沢御堂というお寺があった場所に、そのお城が築かれることになりました。
しかし戦国時代、このお寺が焼失してしまった後に、織田信長の家臣(部下)であった佐久間盛政が、このお寺が存在していた場所に、金沢城の原型となるお城を建て始めたわけです。
「賤ヶ岳の戦い」で、佐久間盛政(勝家側)の敗北、前田利家(秀吉側)の勝利
そして、その主君・ボスである織田信長が本能寺の変で倒れたのでした。
その後、その信長が持っていた土地を争って、賤ヶ岳の戦いという争いが勃発したのでした。
この戦いは、
- 柴田勝家
- 豊臣秀吉
という、かつてどちらも信長の部下だった者同士が、天下をかけて、現在の琵琶湖の北あたりで戦いました。
この戦いにおいて、先述の金沢の佐久間盛政は、柴田勝家の家臣として大活躍しました。
しかし戦いの途中で、元々は柴田側だった前田利家が秀吉側に寝返り、戦場から離脱してしまったのでした。
佐久間盛政はそれでも秀吉を追い詰めるほど奮戦しましたが、秀吉軍に敗れて捕らえられてしまい、その後処刑されてしまいました。
佐久間盛政とは?
佐久間盛政は、戦国時代の武将です。
鬼玄蕃という恐ろしい異名を持つほど、その武勇にはとても優れていました。
前田家以前に、初期の金沢城を建て始めた一人でもありました。
先述の通り、織田信長・柴田勝家の家臣(部下)として活躍し、特に賤ヶ岳の戦いでは、大将の秀吉を追い詰めるなど、その強さを見せつけた人物です。
賤ヶ岳の戦いとは?
賤ヶ岳の戦いは、1583年に起こった、天下の行方を決める重要な戦いです。
織田信長が亡くなった後、その後継者の地位を巡って、家臣(部下)だった
- 柴田勝家
- 豊臣秀吉
の二者で激突しました。
この戦いで秀吉が勝利したことで、天下統一へ大きく近づいたわけです。
賤ヶ岳の戦いについては、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

柴田勝家とは
柴田勝家は、かつては織田信長に仕えていた武将でした。
これは秀吉も同じでした。
鬼柴田(鬼の柴田)と呼ばれるほど、戦場では特に勇猛果敢でした。
信長の死後、その残された領地をめぐって、同じ部下だった豊臣秀吉と対立してしまい、天下を争いました。
しかし、賤ヶ岳の戦いで敗れ、悲しいことに妻と燃え上がる福井城の中で自害してしまいました。
柴田勝家の最期については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

金沢城の始まり
豊臣秀吉は、戦場で前田利家が味方になったことや、長年の友情(盟友関係)を評価しました。
したがって、前田利家は元々佐久間盛政が治めていた領地を、秀吉から受け取ることになります。
すなわち、この領地の中に、佐久間盛政が築き始めた金沢城(当時は尾山城と呼ばれていました)があったというわけです。
このように、賤ヶ岳の戦いでの利家の行動が、金沢城が前田家の拠点となる、大きなきっかけになったのですね。
百万石の礎
その後、前田利家が金沢城に入ると、本格的な城郭が築かれてゆきました。
前田家は、このお城を拠点に、加賀百万石の礎を築き上げたというわけです。
前田利家は、江戸時代が始まる少し前の1592年から、金沢城を作り直す工事を始めました。
そして、以下のような大規模な工事を行ったのです。
- お城のまわりにある曲輪や堀を広げ、城をよりバージョンアップしました(曲輪は、お城の中にあるエリアのことです)。
- 5階建てのビッグな天守を建てました。
- 櫓という、敵をよく見渡せる物見やぐらのような建物を、たくさん建てました。
兼六園が生まれた背景
兼六園は、加賀藩の4番目の殿様である前田綱紀が、お城のそばに作った「蓮池庭」という庭園が元になっています。
兼六園は、
- 茨城県水戸市の偕楽園
- 岡山県岡山市の後楽園
とともに、日本三大庭園の一つとされています。
兼六園について詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

強大な力を持った加賀藩
金沢城を拠点にしていた加賀藩の殿様・リーダーである前田家は、「外様大名」という、もともと徳川家と関係がなかった家柄でした。
しかし、徳川家との結婚などを通して、とても強い関係になったのです。
そのため、
- 徳川家とも関わりが深い、松平という「名乗るだけで身分が高いことを示す」苗字
- 徳川家の印である、葵紋
をもらうことができました。
(葵紋は、徳川家の家紋のことです。)
「葵紋」とは、水戸黄門の「アレ」
ちなみに、水戸黄門の有名なセリフである
という紋所とは、徳川家のシンボルの紋章である、葵紋のことです。
つまり、徳川家の
- 「三つ葉葵の紋」
ですね。
この紋所つまり葵紋を持っていると、それだけで徳川家に関係ある「偉い人」であることを示すことができ、周りの人々は一瞬でひれ伏(ふ)したわけです。
そんなスゴい「シンボル」を、加賀藩は持つことができたわけです。
徳川将軍の名前を一部もらうことができた加賀藩・前田家
前田家は、3番目の加賀藩の殿様である光高からは、将軍の名前の一部(この場合は、徳川家光の「光」)をもらうことができるようになったのでした。
昔は、偉大な先祖などから「一文字」名前をもらうことはとても名誉だったので、これは前田家にとってもとても名誉なことだったでしょう。
ここまで紹介した前田綱紀の「綱」も、江戸幕府4代将軍・徳川家綱からもらったものです。
こうして加賀藩は、全国の大名の中で一番大きい、100万石という広大な土地を治める藩として君臨し続けていたのでした。
金沢の名物
名産品・金箔の秘密
金沢では、金箔の製造がとても盛んなわけです。
その理由の一つは、金沢の地が一年を通して雨が多く、湿度が高い気候にあるからというわけです。
湿気が多いと、静電気が起きにくくなるため、質の良い金箔を作るのには、ぴったりな気候なのです。
さらに、金箔が発展した背景には、
- 加賀友禅
- 輪島塗
といった、昔から伝わる(大量の金箔を必要とする)工芸品がたくさん作られていたことがあります。

輪島塗(画像はあくまでAIによるイメージです。)
これらの工芸品を作るためには、たくさんの金箔が必要だったため、金箔作りがどんどん発展していったのです。
このように金沢は、江戸時代から金箔作りで有名で、その金箔は、輪島塗をはじめ、様々な伝統工芸品に対して使われていったのでした。
そのため、金箔作りは前田氏からのサポートもあり、どんどん盛んになっていったのです。

金沢名物・加賀友禅(画像はあくまでAIによるイメージです。)

金沢名物・金箔(画像はあくまでAIによるイメージです。)
金箔の意外な事実
金箔は、純粋な金だと思われがちです。
しかし、ほとんどの金箔は、純金というわけではありません。
金箔をより美しくそして丈夫にするためには、金に少しだけ銀や銅を加える必要があるわけです。
ただし、とても豪華な飾りにするためにわざと金の量を増やした金箔を作ることもあります。

金沢名物・金箔(画像はあくまでAIによるイメージです。)
金沢を代表する伝統工芸、加賀友禅
加賀友禅は、まさに金沢を中心に作られる、着物の色を染める方法(技法)、つまり金沢にしか出来ない誰にもマネ出来ないテクニックです。
このテクニック(技法)は、いまやとても貴重であるため、国によって伝統工芸品にも指定されているというわけです。
これが石川県によって指定されているのならもちろん理解できますが、国によって指定されているのは、それは我が国にとってそれだけ貴重であることの、何よりの証明になります。
- 京友禅
- 江戸友禅
と並んで、「日本三大友禅」の一つとされています。
加賀友禅が持つ独自の特徴
加賀友禅の特徴は、
- 絹の生地に対して、
- 草花や鳥、自然の景色などを、筆で色づけしていく
ことです。
また、この友禅染には、「加賀五彩」と呼ばれる、
- 藍色
- 黄土色
- 草色
- 古代紫色
- 臙脂色
の5つの色が、基本的な色として使われているのも特徴です。
さらに、本物の草花のように見えるように、特殊な技法も使われています。
- 「先ぼかし」:色の濃い部分から、だんだん薄くしていく方法です。
- 「虫食い」:葉っぱが虫に食べられたような表現で、リアリティを出しています。
- 「糸目糊」:筒から絞り出した糊で、絵を描く方法です。
加賀友禅が歩んできた道
加賀藩が応援・サポートしたことで、この加賀友禅はどんどん発展してゆき、江戸時代の中頃には、ついに
- 「加賀のお国染め技法」
として、しっかりとしたものになりました。
つまり、加賀国(昔の石川県・加賀藩の呼び方)といえば友禅染だ!みたいに全国にその名前が知られるほどの地位を確立したわけです。
手仕事だからこそ宿るオリジナリティと創造性
そして、加賀友禅は、作る人が最初から最後まで、一人で作っていくわけです。
そのため、その人の個性や「手作り感」が作品にもモロに表れてくるのが特徴です。
これは、AIに代替されないスキルです。
すなわち、これはどれだけAI(人工知能)が発展したとしても、決して真似できないオリジナリティ・創造性のカタマリというわけですね。
そりゃ、「国が伝統工芸品に指定するのもわかる」って話でしょう。
「弁当忘れても傘忘れるな」とは?
これは、金沢をはじめ雨の多い北陸地方でよく使われる言葉です。
すなわち、
という意味のことわざです。
すなわち、石川県や富山県など、日本海側でよく使われます。
北陸地方は天気が変わりやすく、
からです。
すなわち、突然の雨で困らないように、いつも傘を持ち歩くことの大切さを教えてくれています。
その他、このフレーズは日常生活においても、
という教訓も込められています。
備えあれば憂い無しですね!
金沢観光では、傘を忘れない。けど、お弁当も「心」も忘れたくない。
金沢観光では、傘が必須アイテムです!
先述の通り、金沢は
- 「弁当忘れても傘忘れるな」
という言葉があるくらい、天気が変わりやすい街です。
すなわち、突然の雨でも、傘があれば安心して観光できますからね。
しかし、お弁当も忘れないようにしたいものです。
もちろん、お弁当を忘れても、金沢には近江町市場やひがし茶屋街など、おいしい食べ物がたくさんあります。
なので、たとえお弁当を忘れても、
- 美味しいものを楽しむ心
- 旅を楽しむ心
- 歴史を学ぶ心
も忘れないようにしたいものですね!
おわりに・まとめ
金沢の観光・名物・歴史を学んでみて、いかがでしたか?
前田氏が築き上げた文化が、今も街のあちこちに息づいているのが分かっていただけたのではないでしょうか。
本文でも紹介した加賀宝生が盛んだったことや、金箔や加賀友禅といった伝統工芸が発達したのも、全て金沢の歴史と深く結びついています。
すなわち、これらの背景を知ることで、街を歩くだけでも、その奥深さが感じられるはずです。
ぜひ、ここで学んだことを活かして、金沢での探訪を楽しんでくださいね!
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