幕末に日本中を狂乱させた集団狂気「ええじゃないか」について、わかりやすく徹底解説してゆきます!

幕末の「ええじゃないか」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
今回は、現代の「恋するフォーチュンクッキー」とも言える熱狂的なダンスムーブメントの背景や、当時の人々の心理に迫ります!
幕末の「恋するフォーチュンクッキー」!?「ええじゃないか」
あの熱狂を覚えていますか?
今から13年前の2013年、日本中で誰もが一度は耳にし、しかも踊ったこともあるであろう「恋するフォーチュンクッキー」。
あの老若男女が笑顔で同じステップを踏み、日本中が一つになったあの社会現象は、今思い返しても本当に凄かったですね!
幕末と現代を繋ぐダンスエネルギー

幕末の「ええじゃないか」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
実は、それと驚くほど似た熱狂的なダンス現象が、遠い幕末の時代にも起きていたことをご存知でしょうか。
すなわち、当時の人々も、現代の私たちがダンスで盛り上がったのと同じようなエネルギーを、街中で爆発させていたのでした。
今回は、そんな幕末の狂乱の踊り「ええじゃないか」について、その背景や人々の心理を徹底的に解説していきます!
改めて「恋するフォーチュンクッキー」とは?
日本中を巻き込んだ「おにぎりダンス」
本題に入る前に、まずは現代のブームを軽く振り返ってみましょう。
「恋するフォーチュンクッキー」は、2013年に発売された、アイドルグループAKB48の大ヒット曲です。
指原莉乃さんがセンターを務め、親しみやすいメロディーと、誰もが真似できる「おにぎりダンス」の振り付けが大きな話題を呼びました。
「踊ってみた」動画が巻き起こした一体感
したがって、公式のミュージックビデオだけでなく、全国の自治体や企業、学校などが「踊ってみた」動画を次々とネットに投稿しました。
あれはまさに、日本中を巻き込んだ一大ムーブメントだったと言えますね!
あの時、日本中がダンスを通じて一つになるような、不思議な一体感と元気に包まれていました。
「ええじゃないか」とは?

幕末の「ええじゃないか」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
では、本題である幕末の「ええじゃないか」とは、一体どのようなものだったのでしょうか。
一言で言えば、江戸時代の終わり(幕末)に日本中を震撼させた、前代未聞のダンスムーブメントです。
つまり、江戸時代の末期(1867年頃)に、日本のあちこちで発生した集団民衆運動のこと。
「空から、神様のお札が降ってきた」という噂をきっかけに、人々が「ええじゃないか」と連呼しながら熱狂的に踊り歩きました。
伊勢から始まった、熱狂のうねり
その始まりは、現在の愛知県や三重県あたりだと言われています。
世の中が不安と恐怖に包まれていたある日突然、神社(伊勢神宮)の「お札」が空から降ってきたという、信じられないような噂が広まりました。
というのも、江戸時代の人々は昔から、
と信じていたため、これをきっかけに民衆が一気に「良いことが起こる前兆に違いない」とお祭り騒ぎを始めたのでした。

伊勢神宮・内宮(画像はあくまでAIによるイメージです。)
仮装をして街を練り歩く民衆
やがてその騒ぎは、お互いに着物を貸し借りして仮装したりしながら、大集団で街を踊り歩くという「お祭り」へと発展していきました。
その際に、人々が口々に叫んでいた言葉こそが、「ええじゃないか、ええじゃないか」だったのでした。
「ええじゃないか」なぜ起こったのか?人々の心理を分析

幕末の「ええじゃないか」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
なぜ、これほどまでに人々は踊り続けたのでしょうか。
その背景には、当時の社会が抱えていた、すさまじい「不安」と「閉塞感」がありました。
幕末の人々は、何が辛かったのか?
では、当時の庶民が「ええじゃないか」を踊り狂わないといけないほど直面していた、過酷なストレス要因は主に以下の5つです。
米をはじめとする、物価の猛烈な高騰
当時は度重なる飢饉や政情不安で、食料が手に入りにくくなっていました。
後にも述べるような(当時の)度重なる混乱の中にあって、そのような状態では幕府も困っている人々を助ける余裕など到底無く、ほぼ無策状態でした。
黒船来航と、外国にいつ攻められるかわからないような脅威
ペリー提督率いる黒船来航以来、それまでずっと鎖国していた日本人たちが経験したことないような、強大な文明や科学力を持つ西洋諸国の出現により、多くの日本人たちは驚くとともに恐怖してしまいました。
すなわち、国が占領されるのではないか?という、当時の日本人たちの間には得体の知れないような恐怖が広がりました。
疫病の流行や災害
もう1つはコレラなどの伝染病の大流行でした。
しかし当時はまともな有効な治療法がなく、こうした感染症の蔓延によって、多くの命が奪われてゆきました。
また、この時代(1854〜1855年頃)に起きた安政の大地震など、日本のあちこちで大規模な災害が相次ぎ、人々の生活基盤を直撃しました。
こうした要素って人間の力だけではどうにもならない部分もあり、解決されない限り不安でしかありませんよね。
幕府支配の揺らぎと治安悪化
また、この時は政治が完全に弱って失墜していました。
- 黒船が来てからというもの、幕府がすっかり動揺してしまったことにより、幕府の権威が急速に失墜する
- それに伴う内輪揉め
- 逆に朝廷の発言権が大きくなったことによる、朝廷との対立
など、さまざまな政局の混乱が起こるようになっていったのでした。

浦賀・久里浜・黒船来航(画像はあくまでAIによるイメージです。)
これにより、幕府はもはや機能不全に陥り、まともな政治ができなくなり、まとまりや統制がきかなくなったために各地で武力衝突が起きてしまい、明日の生活さえ見通せなくなりました。
先の見えない不安と極限のストレス
当時は幕末です。
これまでの江戸幕府の支配が終わりを迎えようとしており、
- 政治は混乱するわ、
- 外国に攻められるリスクはあるわ、
- 疫病や災害は頻発するわ、
などの要素で、当時の人々はまるで生きた心地がしないような、夜も眠れないほどの明日の暮らしがどうなるか分からない激動の時代でした。
不平等貿易による物価高騰とハイパーインフレ
さらに当時は、不平等条約によって外国から高く買わされる・安く売らされるという不平等な貿易により、輸出のしすぎというものが起こっていました。
モノの価値というものは、少ないほど上がり、多いほど減ります。
例えばダイヤモンドは数が少なく珍しいので高いですが、その辺の「石ころ」は珍しくともなんともないので、そもそも値段がつきません。
これと同じで、幕末は日本の生糸が安く大量に海外に売らされるような形になったため(これはまだ当時の日本は弱い立場だったので仕方ありません)、生糸が圧倒的な不足状態に陥り、値段が上がってしまい、ハイパーインフレが起きてしまったのでした。
これによっておこった国内の品不足による物価の急上昇や、黒船の来航による外国への恐怖など、庶民のストレスは限界に達していたのでした。
したがって、人々はこの先どうなるか分からない現実から逃避し、不安を吹き飛ばすために踊り狂ったのでした。
ヤケクソが生んだ、圧倒的なエネルギー
例えば「世の中がひっくり返るかもしれないけれど、別にええじゃないか!」という、もはやヤケクソに近い、しかし驚異的なエネルギーの爆発だったというわけですね!
まるで現代の私たちが、不景気や日常のモヤモヤを発散させる感覚と、どこか通じるものがあるような気がします。
幕末の「不平等条約」から、「ええじゃないか」までの流れ(まとめ)
- 幕末の不平等条約(1858年)
- 当時の欧米諸国では、銀を15枚支払わないと、1枚の金と交換できないルールだった。
- しかし日本国内では、銀を3枚さえ支払えば、1枚の金(小判)と交換できるルールだった。
- このルールのため、海外の商人は、こぞって銀3枚を日本に持ち込み、1枚の金と交換していった。
例えば、銀を300枚を日本に持っていけば、100枚もの金と交換できる(しかし自分の国では、銀1,500枚でないと金100枚と交換してくれない)。 - これを欧米諸国の自分たちの国に持って帰れば、100枚の金は、なんと1,500枚の銀となって返ってくる。
- これによって、元々持っていた300枚の銀が、5倍の1,500枚の銀になった。
- このとき、差額の1200枚の銀が、商人たちの「儲け」になる。
- この1200枚の銀を、再び日本に持ち込み、400枚の金と交換する(日本では3対1のレートのため)。
- この400枚の金を再び欧米諸国に持ち帰り、今度はなんと6,000枚の銀になって返ってくる。
この時、差額の4,800枚の銀が「儲け」になる。 - このようにして海外の商人たちは、ありえない速度で儲かるようになっていく。
- 儲かった大量の銀で、日本の生糸を買いまくる。
というのも、当時の欧米諸国は、カイコの病気などにより生糸がまともに育たず不足状態にあったのだった。
そこで、日本の生糸を大量に欧米諸国に持ち込めば、大量に売れる(爆儲けできる)ような状態だった。 - このようなことを続けていると、日本の金はどんどんなくなっていく(海外への大量流出)。
- そこで幕府は、金の含まれる量を減らした質の悪い小判を大量に発行した。
- これによって一応は金の海外への流出は防げたものの、いかんせん質の悪い小判のため、物の値段が上がってしまう。
たとえば、金の量を3分の1にしてしまうと、モノの値段は3倍に上がることになってしまう。 - これにより、日本国内ではハイパーインフレが起こり、人々はまともな買い物すらできないようになる(食糧品すら買いにくくなる)。
- こうした不安感から、「ええじゃないか」につながっていく。

当時の日本の金は、銀3枚(欧米諸国で必要とされた量の1/5)さえあれば交換できた(画像はあくまでAIによるイメージです。)

当時の日本では銀が3枚あれば、金1枚と交換できた(画像はあくまでAIによるイメージです。)
どのように広まった?口コミによる驚異の拡散
以上のような様々な幕末の不安定さからはじまった「ええじゃないか」ですが、驚くべき点は、現代のSNS顔負けの「拡散力」にあります。

幕末の「ええじゃないか」(画像はあくまでAIによるイメージです。)
すなわち、幕末の当時のインターネットもテレビもなかったような時代に、その熱狂の渦は数ヶ月のうちに、またたく間に東海地方から近畿、四国、そして江戸(東京)にまでも広がっていきました。
情報はどうやって日本全国へ伝わったのか?
そんな幕末の時代に、なぜこれほどまでの狂乱が瞬く間に日本全国へと飛び火していったのでしょうか。
その秘密は、日本各地の街道(今でいう道路や鉄道など)をあちこち行き交う旅人や商人たちによる「リアルな口コミ」にありました。

江戸時代における、東海道の一般的な宿場町の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
その拡散のメカニズムは、まさに旅人や商人による「リアルな口コミ」でした。
例えば、
- 「東海道の宿場町で、何やら面白いお祭りが起きているぞ」
- 「なんと空からお札が降ってきて、みんな踊っているらしい」
- 「これは良いことが起こる前兆に違いない」
というような情報が、当時の切羽詰まってどうしようもない世の中で、様々な人々の移動(例えばあちこちへの行商や伊勢参り、参勤交代など)とともに、あちこち伝播していったというわけです。

江戸時代の伊勢街道(画像はあくまでAIによるイメージです。)
楽しそうなものに巻き込まれる心理
このように、誰かが踊り始めると、それを見た周りの人も、
- 「楽しそうだから自分も!」と次々に巻き込まれていく
ことになりました。
つまりこのような、
- 「みんなで同じステップを踏んで、一体感を楽しむ」
という広がり方は、まさにかつての全国的な「恋するフォーチュンクッキー」のブームそのものです!
人間の「楽しそうなものに巻き込まれたい」という心理は、たとえ約160年前であっても今でも、まったく変わっていないことが分かります。
鎌倉時代の「踊り念仏」との共通点
実は、集団で踊ることによって楽しさや高揚感を得る文化は、はるか昔の鎌倉時代に流行した、時宗の「踊り念仏」とも共通しています。

鎌倉時代の時宗「踊り念仏」の例(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の歴史的儀礼や衣装・史実とは異なる描写がある可能性がありますので、ご了承ください。)
みんなで一心不乱にリズムに合わせて踊ることで、脳内に快楽物質(ドーパミンやエンドルフィン)が分泌されていくことで、現実の苦しみを忘れて、幸せな一体感に浸ることができたというわけですね!
民衆のエネルギーと「世直し」への期待
また、この熱狂はただの大騒ぎにとどまらず、庶民による「世直し」への強い願望とも密接に結びついていました。
というエネルギーが、「ええじゃないか」という叫びとなって旧体制(幕府支配)の権威を、根底から揺るがしていったというわけです。
余談:生糸の品質低下が生んだ、「富岡製糸場」の誕生
ちなみに余談ですが、先程の「生糸の大量輸出過剰」の話をしましたが、これによって国内ではやがてまともな生糸の生産が追いつかなくなり、質の低い生糸や模造品が大量に生産されてしまいました。
またヨーロッパでは徐々に生糸の生産が回復してきたこともあり、だんだんと日本の生糸の評判が下がって、海外にも売れなくなってしまいました。
これにより、
として明治時代の1872年にできたのが、群馬県の富岡製糸場になります。
その後どうなった?時代の変わり目
このようにして日本中を熱狂させた「ええじゃないか」でしたが、その終わりはなんと唐突にやってきました。
数ヶ月の間、あれだけ国中で踊り狂った民衆でしたが、ほとんど幕府の終わりに近い1867年の末頃になると、まるで嘘のようにこのブームは沈静化していきます。
大政奉還と新しい時代の幕開け
なぜなら、徳川幕府が大政奉還を行い、時代は一気に「明治」という新しい幕開けへと進んでいくことになったのでした。

大政奉還(画像はあくまでAIによるイメージです。)
この大政奉還によって、それまでの人々の「先の見えない不安」が、新しい時代によって急速に収束してゆき、「ええじゃないか」は終わりに向かっていったと考えられています。
「ええじゃないか」などの歴史的な踊りが教えてくれること
今回は幕末の社会現象である「ええじゃないか」を、現代の「恋するフォーチュンクッキー」に例えて解説してきましたが、たとえ一見全く違う時代の出来事であっても、以下の共通点が見えてきます。
- 不安な時代に、みんなで笑顔になって元気をチャージしようとしたこと
- 特定のリーダーではなく、民衆が主役となって全国へブームを拡散させたこと
- 同じリズムに乗って体を動かすことで、強烈な一体感を生み出したこと
私たち日本人の根底には、昔から
- 「辛い時こそ、みんなで集まって踊って笑い飛ばそう」
という、パワフルで素敵なDNAが流れているのかもしれません。
おわりに・まとめ
このように、歴史の教科書で見る堅苦しい事件も、現代のカルチャーと結びつけてみると、当時の人々の息遣いがリアルに聞こえてくるようで面白いですね!
もしこの記事を読んで、「昔の人も、今の私たちと同じようにポップに生きていたんだな」と感じていただけたら嬉しいです。
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