【大分県】豊後森機関庫について、観光・歴史をわかりやすく解説!

大分県玖珠郡玖珠町にある豊後森機関庫について、機関庫(転車台など)の基礎から、アニメとの関連性まで、わかりやすく解説してゆきます!

  1. 今回は、大分県・豊後森機関庫の話題!
    1. ノスタルジーを感じる!豊後森機関庫の魅力
    2. 豊後森機関庫:基本的な知識と地理
      1. 大分県の「真ん中」に今も残る機関庫
      2. 蒸気機関車を「おうぎ(扇)形」の建物に格納していた
      3. 蒸気機関車の向きを変えてあげる「転車台」
      4. かつては大勢の鉄道作業員が働いていた場所
  2. 鉄道の歴史が息づく町!豊後森機関庫のヒミツ
    1. 豊後森機関庫:用語を知るともっと楽しくなる!
      1. 久大本線(きゅうだいほんせん)とは?
      2. 玖珠町(くすまち)とは?
      3. 「転車台(てんしゃだい)」とは
      4. 「機関区(きかんく)」とは
      5. 「機関庫(きかんこ)」とは
    2. 豊後森機関庫:なぜこの場所に機関庫があったの?
      1. 峠越えの拠点だったから
      2. 中間地点として最適だった
    3. かつての豊後森機関庫で行われていたこと
      1. 蒸気機関車の石炭の補給
      2. 運転士や作業員の、待機・食事・休憩・宿泊(詰所)
      3. 詰所でのリフレッシュ!ゲームはあった?
      4. 蒸気機関車へのスピーディーな給水
      5. 車両の点検
      6. 峠を越えるための「補助機関車」の連結
      7. かつての豊後森機関庫のにぎわい
    4. 豊後森機関庫:最盛期はどのくらい凄かった?
      1. 200人以上の職員が働いていた
      2. 鉄道職員たちの給料は高かった?
    5. 玖珠町の夜は眠らなかった?(豊後森機関庫)
      1. 24時間眠らない町
      2. 若い職員たちの「豪快な遊び」
      3. 鉄道の町として栄えた
      4. 鉄道職員は町の「超上客」だった! 安定した収入と太っ腹な気質
    6. 豊後森機関庫:伊豆箱根鉄道・アニメとの意外な関係性
      1. アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」 Aqoursの曲「HAPPY PARTY TRAIN」 PVの舞台に
      2. 静岡と大分 たとえ離れていても「想い」でつながる聖地
  3. 時代の波と再生への挑戦!鉄道の町が歩んだ道
    1. なぜ「鉄道の町」は静かになってしまったの?
      1. 列車のパワーアップ(車両性能の向上)
      2. 蒸気機関車の引退(無煙化)
      3. 効率化の波(集約化・簡略化)
    2. 時代とともに進む「効率化」「小型化」の波
      1. 高性能化・簡略化・集約化の進行
    3. 豊後森機関庫と、北海道・追分の意外な共通点
    4. 絶望からの復活!観光地としての新しい姿
      1. 国の登録有形文化財への登録
  4. おわりに・まとめ

今回は、大分県・豊後森機関庫の話題!

ノスタルジーを感じる!豊後森機関庫の魅力

豊後森機関庫(大分県玖珠郡玖珠町)

豊後森機関庫(大分県玖珠郡玖珠町)

大分県の玖珠町くすまちにある豊後森機関庫ぶんごもりきかんこは、鉄道ファンだけでなく、歴史や建物が好きな方にとっても、たまらないスポットですね!
あの扇形の巨大な建物からは、当時の活気が伝わってくるような迫力があります。

豊後森機関庫:基本的な知識と地理

まずは、ここがどんな場所なのか、サクッと整理してみましょう。

大分県の「真ん中」に今も残る機関庫

場所は、大分県の真ん中・かなり内陸部にあたる、玖珠郡くすぐん玖珠町くすまちにあります。
JR久大本線きゅうだいほんせんのちょうど真ん中あたりにあたる、豊後森駅ぶんごもりえきのすぐそばに位置しています。

久大本線きゅうだいほんせん:福岡県の久留米駅くるめえきと、大分県の大分駅を結ぶ路線のことです。

蒸気機関車を「おうぎ(扇)形」の建物に格納していた

豊後森機関庫は、九州の中でも唯一現存する「扇形機関庫せんけいきかんこ」という、極めて珍しい建物です。

「扇形機関庫」の例(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)(豊後森機関庫の解説用画像)

「扇形機関庫」の例(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)

扇形機関庫せんけいきかんことは、その日の仕事を終えた機関車たちを並べて収納するために、まるで「扇」のような形に広げて建てられた車庫のことです。

蒸気機関車の向きを変えてあげる「転車台」

建物の前には「転車台てんしゃだい」という、機関車の向きを変えるための大きな回転台も残っています。

扇形機関庫と転車台(画像はあくまでAIによるイメージです。)(豊後森機関庫の解説用画像)

扇形機関庫と転車台(画像はあくまでAIによるイメージです。)

昔の蒸気機関車は自力でバックすることは難しかったので、この転車台の上に乗せて、クルッと回して蒸気機関車の向きを変えてあげるわけです。

かつては大勢の鉄道作業員が働いていた場所

完成したのは1934年(昭和9年)です。
かつては、久大本線を走る蒸気機関車の中継地点として、200人以上の人が働くほど賑わっていました。

しかし、時代の流れで蒸気機関車が引退してしまったことで、1971年(昭和46年)にその役割を終えました。

鉄道の歴史が息づく町!豊後森機関庫のヒミツ

豊後森機関庫:用語を知るともっと楽しくなる!

まずは、鉄道の仕組みや言葉の意味を整理してみましょう。

久大本線(きゅうだいほんせん)とは?

久大本線きゅうだいほんせんとは、

  • 福岡県の久留米駅くるめえき(福岡県久留米市)
  • 大分県の大分駅おおいたえき(大分県大分市)

をそれぞれ結ぶ路線のことです。

まるで九州を横断するように走るため、美しい山々の景色が楽しめます!
沿線には湯布院ゆふいん・由布岳ゆふいだけがあります。

玖珠町(くすまち)とは?

玖珠町くすまちとは、大分県の中西部にある、自然豊かな町です。
大きな岩の山(メサ)に囲まれた独特な地形で、「童話の里」としても知られているわけですよ。

「メサ」の地形の例(画像はあくまでAIによるイメージです。実物・実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)

メサとは、山がまるでテーブルのように上面が平らであるのに、周囲がなぜか急な崖になっているような山のことです。

「転車台(てんしゃだい)」とは

転車台てんしゃだいとは、車両の向きをグルンと変えるための回転台のことです。
蒸気機関車はバックで走るのが苦手だったので(一応出来るけど高度なテクニックが必要)、これを使って蒸気機関車の向きを変えていたわけですね。

「機関区(きかんく)」とは

明治時代の「機関区」の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)

機関車が集まってきて、保存したり、点検や整備を行ったり、運転士さんが待機したりする「鉄道の基地」のことです。

この機関区の中に、機関庫が含まれています(「機関区 > 機関庫」の関係)。

機関区については、こちらの記事(当サイト)でも解説していますので、ご覧ください。

「機関庫(きかんこ)」とは

明治時代の機関区と機関庫の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)

機関庫きかんことは、その日の仕事を終えた機関車や、使用していない機関車を雨風から守り、格納しておくための「お家」のような建物です。
機関庫は、機関区の中に含まれます。

豊後森機関庫:なぜこの場所に機関庫があったの?

では、なぜこの場所に「機関庫」があったのか。
それは、久大本線という路線ならではの「山岳地帯ゆえの厳しさ」が関係しています。

峠越えの拠点だったから

豊後森駅の近くには、水分峠みずわけとうげという急な坂道がありました。
昔の蒸気機関車は、坂道や急勾配にとても弱く、もしキツい坂を登ろうとすると、車輪がレールの上で滑ってしまうという「空転くうてん」が起こりやすかったのでした。
そんな蒸気機関車にとって、この坂を登るのはとても大変なことだったわけです。

したがって、ここで機関車を点検したり、後ろに連結して列車を押してあげるための補助機関車を連結したりする必要がありました。

中間地点として最適だった

また、豊後森機関庫は久留米くるめと大分のちょうど真ん中あたりに位置していたため、石炭や水の補給基地として、つまり車でいう「ガソリンの補給基地」としても、まさに最高の場所だったわけですね!

蒸気機関車は石炭(ご飯)と水を大量に消費しながら走るため、当時は途中の「休憩基地」が必要だったわけです。

かつての豊後森機関庫で行われていたこと

では、豊後森機関庫で行われていた、まさに「機関庫の日常」とは具体的にどんなものだったのでしょうか。
当時の鉄道作業員さんたちがどんな風に働いていたのか、具体的に解説しますね。

蒸気機関車の石炭の補給

機関車を動かすエネルギー源である石炭は、欠かせない存在でした。
とても広くて大きな敷地の中には、とても巨大な「石炭置き場」があり、ここにたくさんの石炭が積んであったわけです。
そして、必要になると、クレーンなどを使って石炭を機関車へと積み込んでいたわけです。

運転士や作業員の、待機・食事・休憩・宿泊(詰所)

また、機関区においては24時間体制で鉄道を守るため、敷地内には作業員たちが待機・休憩などをするための「詰所つめしょ」と呼ばれる建物がありました。

詰所つめしょ:鉄道や現場仕事の職員さんたちが、待機や休憩をするための建物のことです。

すなわち、作業員たちはこの「詰所」において食事・休憩をしたり、次の乗務までの数時間の待ち時間の間に仮眠をとったりと、多くの鉄道関係者たちがここで生活の一部を過ごしていました。

詰所でのリフレッシュ!ゲームはあった?

詰所つめしょでの休憩時間は、職員同士の絆を深めるための、大切なひとときでもありました。
特に、休み時間・待機時間では囲碁いごや将棋しょうぎなどが非常に盛んに行われていました。
特に将棋は、そもそも休憩室にプレイするための「盤」が常備されていることが多く、ここではもはや先輩・後輩関係なく、その垣根を越えて、まさに真剣勝負が繰り広げられていました。

すなわち、次の乗務までの待機時間は数時間に及ぶこともあったため、トランプや花札などで盛り上がることも日常茶飯事だったようです。
鉄道関連の仕事は「お互いの信頼関係」無しには出来ませんから、こうした遊びを通じて、厳しい現場を生き抜くチームワークが育まれていたわけですね!

蒸気機関車へのスピーディーな給水

かつての蒸気機関車にとって、石炭と同じくらい大事なのが「水」でした!

まず蒸気機関車は、石炭を燃やして水(お湯)を沸かし、その時に発生した「蒸気(スチーム)」の力で動きます。
その蒸気を作るために大量の水が必要になるため、大きな建物である「高架水槽こうかすいそう」と呼ばれる大量の水を蓄えた水槽から、太いパイプを使って、一気に(ものすごい速さで)給水していました。

車両の点検

また、扇形せんけいの車庫の中には、それぞれ機関車の下に潜り込めるような溝(ピット)がありました。

このピット(溝)の中にもぐって、車両の下で作業員さんたちが、ネジの緩みがないか、油が切れていないかなど、列車が事故を起こさないために厳しくチェックしていたわけですね。

峠を越えるための「補助機関車」の連結

そして、峠を越えるための「補助機関車」の連結です。
これが豊後森機関庫における、最も重要な役割の一つでした!
険しい水分峠を越えるために、ここでパワーのある補助機関車を後ろに繋いで、2台がかりで坂道を押し上げていたわけです。

かつての豊後森機関庫のにぎわい

今の静かな公園からは想像もつかないほど、当時は真っ黒な煙が立ち込め、石炭の匂いと蒸気の音で溢れていたわけですね!
男たちの熱気と、鉄の塊がぶつかり合う音が聞こえてくるようで、なんだか胸が熱くなってしまいます。

したがって、ここはただの「車庫」ではなく、鉄道という巨大なシステムを支える「中心部」だったと言えるでしょう。

豊後森機関庫:最盛期はどのくらい凄かった?

かつての豊後森機関庫は、まさに町の心臓部でした。

200人以上の職員が働いていた

整備士さんや運転士さんなど、多くの人が交代で働いていました。

夜通しで明かりが灯り続け、蒸気の音とハンマーで金属を叩く音が響くという、なんとも活気あふれる場所だったそうです!

鉄道職員たちの給料は高かった?

当時は「国鉄職員」というと地域の中ではかなりのエリートであり、いわゆる「高給取り」の部類に入りました!

なぜこれだけ高給だったのかというと、当時の蒸気機関車の運転や整備などは特殊なスキルを必要とする、決して誰にでもできる仕事ではない「特殊技能」でした。
そのため、基本給に加えて様々な手当がついていったため、一般の公務員や地元の商店主よりもずっと高給で羽振りが良かったと言われています。

玖珠町の夜は眠らなかった?(豊後森機関庫)

そして、当時の豊後森駅周辺の賑わいは、もはや伝説的だったようです!

24時間眠らない町

機関区は交代制で24時間ずーっと動いていたため、常に誰かがそこで働いているような状態でした。
そして、仕事終わりの職員たちが、夜な夜な街へと繰り出してゆきました。

若い職員たちの「豪快な遊び」

そして、たくさんのお金を持った若い鉄道作業員たちが、駅前の飲み屋街や映画館などに集まり、朝までお酒を飲んで騒ぐことも珍しくありませんでした。
まさに宵越よいごしの金は持たないという感じだったわけですかね…。

玖珠町くすまちの発展は、彼らの「豪快な消費」に支えられていた側面も大きいわけですよ。

鉄道の町として栄えた

大勢の職員さんが住んでいたため、駅前には商店街や映画館ができ、町全体が鉄道を中心に盛り上がっていました。

当時の賑わいを想像すると、なんだかワクワクしてきますね!

鉄道職員は町の「超上客」だった! 安定した収入と太っ腹な気質

そして、豊後森駅周辺の商店や飲食店にとって、鉄道職員の方々はこれ以上ないほどありがたい存在でした。

「国鉄職員」は収入が安定していた上に、危険と隣り合わせの激務をこなす「職人気質」な人が多かったため、お金の使い方も豪快だったと言われています。

すなわち、仕事帰りに居酒屋で一杯やり、商店で家族にお土産を買い、休日は映画館へ行く…。
彼らとその家族が町に住むことで、玖珠町の経済は力強く回っていました。
したがって、機関区の縮小は、町全体の商業にとっても非常に大きな打撃だったのです。

豊後森機関庫:伊豆箱根鉄道・アニメとの意外な関係性

さて、Aqoursファンなら気になる静岡県の「伊豆箱根鉄道いずはこねてつどう」との関係ですが、実は面白い繋がりがあります。

伊豆箱根鉄道いずはこねてつどう・駿豆線すんずせんとは、静岡県の東部・伊豆地域にあたる、三島駅みしまえき(静岡県三島市)~修善寺駅しゅぜんじえき(静岡県伊豆市)をそれぞれ結ぶ鉄道路線です。

アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」 Aqoursの曲「HAPPY PARTY TRAIN」 PVの舞台に

Aqours(アクア)の『HAPPY PARTY TRAIN』、とっても素敵な曲ですよね!
聖地巡礼としても人気のこの場所について、気になるポイントを詳しく解説しますね。

  • 『HAPPY PARTY TRAIN』とは、2017年にAqoursというグループが発表した曲です。
  • Aqours(アクア)とは、「ラブライブ!サンシャイン!!」というアニメの主人公アイドルグループです。
  • 「ラブライブ!サンシャイン!!」とは、静岡県沼津市を舞台とした人気アニメ作品です。

2017年発表の曲『HAPPY PARTY TRAIN』のPVでは、Aqoursの松浦果南まつうらかなんさんをはじめとするメンバーたちが伊豆箱根鉄道いずはこねてつどうを思わせる電車と景色をバックに登場します。
そして、このPVに登場する象徴的な建物こそが、まさに静岡県から遠く離れた大分県のこの豊後森機関庫であるというわけです!

伊豆箱根鉄道・駿豆線については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第16番 三島に到着 官幣大社・三嶋大社 そして伊豆箱根鉄道線との分かれ道
鉄道唱歌 東海道編の歌詞(三島、三嶋大社の観光・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説してゆきます!↓まずは原文から!三島みしまは近年きんねんひらけたる豆相線路ずそうせんろのわかれみち驛えきには此この地の名をえたる官幣大...

「ラブライブ!サンシャイン!!」「Aqours」およびアニメの舞台となった静岡県沼津市については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

鉄道唱歌 東海道編 第17番 沼津の海と富士山 東海道の宿場町 そしてアニメの聖地
鉄道唱歌 東海道編の歌詞(沼津の観光・歴史など)について、鉄道に詳しくない方にもわかりやすく解説しています!↓まずは原文から!沼津ぬまづの海うみに聞こえたる里は牛伏うしぶせ我入道がにゅうどう春は花さく桃のころ夏はすゞしき海のそばさらに読みや...

静岡と大分 たとえ離れていても「想い」でつながる聖地

もちろん物理的な路線のつながりはありませんが、「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品を通じて「静岡の鉄道」と「大分の機関庫」が、一つの大きな物語として結ばれました。

現在、豊後森機関庫にはAqoursのファンも多く訪れており、遠く離れた二つの場所が熱くつながっているというわけです!

時代の波と再生への挑戦!鉄道の町が歩んだ道

かつて200人もの職員が汗を流した豊後森機関庫も、時代の変化には抗えず、1971年には閉鎖してしまいました。

ではなぜ、あれほど賑わった場所が静かになってしまったのか、そして今、どのように「かつての輝き」を取り戻そうとしているのか、その裏側をお話ししますね!

なぜ「鉄道の町」は静かになってしまったの?

活気が失われた背景には、技術の進歩という、避けては通れない理由がいくつかありました。

列車のパワーアップ(車両性能の向上)

昔の蒸気機関車は坂道にとても弱く、険しい「水分峠」を越えるためには、列車を前から引っ張る(あるいは後ろから押す)ための補助機関車を繋ぐ必要がありました。
しかし、時代とともにディーゼル車や電車の性能が上がってゆくと、たとえキツい坂であっても、新型の列車は止まらずにスイスイと登れるようになったわけです。

したがって、わざわざここ(豊後森機関庫)において停車して、作業をするという必要がなくなってしまいました。

蒸気機関車の引退(無煙化)

時代とともに列車の性能が向上してゆくと、石炭で走る蒸気機関車から、やがてディーゼル車や電車へ切り替わってゆきました。

従来の蒸気機関車は、水や石炭の補給や点検などに対して膨大なメンテナンスが必要でしたが、新しい車両ではあまり手間がかからなくなってきました。
その結果、大きな整備工場も大勢の作業員たちも、段々と削減されていったのです。

効率化の波(集約化・簡略化)

国鉄(現在のJR)の経営合理化により、あちこちに存在していた小さな拠点の数々は、コスト削減などのためにより大きな都市の拠点へと(コンパクトに)まとめられていきました。
こうなると、それまで豊後森機関庫で働いていた人達も、どんどん都会の拠点などへ転勤・引っ越しをすることを余儀なくされていくわけです。
さらには時代とともに設備も簡略化・小型化されてゆき、かつての巨大な機関庫は、もはや「役割を終えた、過去の遺物(レガシー)」となってしまったというわけですね。

あんなに賑やかだった場所だったのが、だんだんと人が減り静かになっていくのは、町の人にとっても寂しいことだったでしょうね…。

時代とともに進む「効率化」「小型化」の波

時代の流れは、効率化・小型化の歴史でもありました。

高性能化・簡略化・集約化の進行

時代とともに、より性能の高いディーゼル車や電車が登場するようになると、それまで行っていた給水も石炭補給といった作業も不要になり、メンテナンス作業が劇的に減ってゆきました。

また、車両の性能が向上してゆき、たとえ長距離であっても少ない点検で走れるようになってきたのでした。
そのため、豊後森機関庫のような途中の拠点において、その都度細かく整備する、といった必要がなくなってきました。
その結果、拠点はより大きな都市の工場へまとめられてゆき、残った地方の機関区からは、もはや転勤・引っ越しなどにより人の姿が消えていったのです。

豊後森機関庫と、北海道・追分の意外な共通点

豊後森機関庫がその役割を終えて閉鎖されたのが、1971年(昭和46年)のことでした。
そして、今や「日本最後の蒸気機関車の基地」として知られる北海道の追分機関区おいわけきかんくにおいて蒸気機関車が完全に引退したのは、それから4年後の1975年(昭和50年)のことでした。

すなわち、豊後森機関庫が1971年に閉鎖されてから約4年後、ついには北海道の追分おいわけにおいて、日本の鉄道の歴史から、現役の蒸気機関車による貨物輸送が完全に引退・消滅したのでした。

豊後森も追分も、どちらもそれぞれ九州と北海道という場所において、蒸気機関車時代の最後を見届けたという、まさに「聖地」と言えますね!

絶望からの復活!観光地としての新しい姿

国の登録有形文化財への登録

一時は古くなって取り壊しの危機もあった豊後森機関庫ですが、今ではもはや「町の宝」「町に不可欠な存在」として大切に守られ、活用されています。

そして、「この歴史的な建物を残したい!」という地元の方々の熱い思いが実を結び、貴重な文化財として守られることになりました。
今では、年間を通じて多くの観光客が訪れるような、玖珠町を代表する観光スポットです。
また、先述の『HAPPY PARTY TRAIN』などといった作品の影響で、若い世代や海外からもファンが訪れるようになりました。

そうした歴史の重みを壊さずに、新しい価値を見つけていく玖珠町の取り組みは、本当に素晴らしいですね!

おわりに・まとめ

豊後森機関庫の地理や歴史を紐解いてみて、いかがだったでしょうか?

かつての鉄道作業員たちの熱気や、厳しい「峠越え」に挑んだ蒸気機関車の姿が、少しでも身近に感じられたなら嬉しいです!

これらの知識を学ぶことで、実際の観光や旅行が、より一層思い出深いものになることでしょう。

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