鉄道唱歌 山陽・九州編 第52番 熊本城は、西南戦争で落とされなかった難攻不落の城

まずは原文から!

熊本城(くまもとじょう)は西南(せいなん)の
役(えき)に名を得(え)し無類(むるい)の地
細川氏(ほそかわうじ)のかたみとて
今はおかるゝ六師團(ろくしだん)

さらに読みやすく!

熊本城(くまもとじょう)は西南(せいなん)の
役(えき)に名を得(え)し無類(むるい)の地
細川氏(ほそかわうじ)のかたみとて
今はおかるる六師団(ろくしだん)

さあ、歌ってみよう!

♪くまもとじょうは せいなんのー
♪えーきになをえし むるいのちー
♪ほそかわうーじの かたみとてー
♪いーまはおかるる ろくしだんー

(鹿児島本線)
小倉駅→折尾駅→箱崎駅→博多駅→都府楼南駅→二日市駅→鳥栖駅→久留米駅→木葉駅→田原坂駅→熊本駅→川尻駅→宇土駅→松橋駅→八代駅

※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記

熊本城(くまもとじょう)は、かつて加藤清正(かとう きよまさ)公が築いた城であり、また1877年に起きた西南戦争の約270年前の1607年に完成しました。熊本城は、茶臼山(ちゃうすやま)という小高い丘の上に建てられています。

熊本城
加藤清正公像(熊本城前)

その「武者返し」と呼ばれる高い壁は、地上はその傾斜が緩やかなのですが、上になるにつれて急になっていくので、地上にいる武士は登りやすいと錯覚・勘違いして登っていき、ことごとくはじき返されてしまいました。
この「武者返し」により、西南戦争では西郷隆盛率いる薩摩軍は1人たりとも城に侵入できませんでした。
そのため、熊本城は「難攻不落の城」と呼ばれています。

この「武者返し」と呼ばれる巨大な城壁は、熊本駅の特徴的な駅舎のデザインにもなっています。

熊本城はかつて「難攻不落の城」と呼ばれ、西南戦争では薩摩軍の武士が一人たりとも中に侵入できず、諦めて鹿児島に引き返すことになってしまいました(そこで薩摩軍は敗北)。

西南戦争(せいなんせんそう)は、1877年に起きた、わが国で起きた最後の日本人同士の巨大な反乱です。
わが国最後というのは、これより後の時代になると日清戦争や日露戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)のような外国との戦争がメインになるからです。
現代の日本は自衛隊や警察が強力なので、よほど変なクーデターでも起きない限り、こんな内乱を起こそうと思っても即座に鎮圧されます。
そもそも現代の日本には「選挙」という民主的・政治的・平和的な手段があるので、いくら国に不満があっても、こんな暴力的・軍事的な内乱を起こす必要性もメリットもありません。

しかし選挙制度もまだ充分に確立されていない、明治時代は話が別でした。

ではなぜ、西南戦争は起きたのか。

明治時代になると、四民平等(しみんびょうどう)といって武士や農民などのそれぞれの身分はなくなってしまいました。
しかし、約260年続いた身分制度ですから、武士に対していきなり「刀を捨てて他の仕事をしろ」と言われてもなかなか難しいですし、また農民に対してもいきなり「皆さんはもう平民ですから、他の仕事をしてもいいですよ」と言われても何の仕事をすればいいのか決めるのは難しいことです(農業で成功していた人は特に)。
もちろん、元農民はいきなり農業以外の仕事をすることもなく、そのままの状態がしばらく続いたわけです。

その四民平等の政策により、武士の特権も大きく失われることになります。
中でも、廃刀令(はいとうれい)といって、武士が刀を持つことに許されなくなりました。
つまり平民と同じような扱いをされることとなり、武士の特権というものはどんどん失われていき、プライドをズタズタにされることになりました。

こうした武士に対する政府の対応は(武士達にとっては)あまりもひどく、 武士達は当然のことのように政府に対して不満を持つことになります。
これを見かねた西郷隆盛は、政府を辞めて地元である鹿児島に戻ってくることになります。
そこで自分たちの後進の武士たちを育てるために、学校塾を開いて、武士の育成に励むことになります。

しかし、これを明治政府は黙って見ておくわけにいきません。
西郷隆盛はあくまで自分たちの部下である武士を育成するつもりが、明治政府からすれば政府に対する反乱を企てているのではないか、と疑心暗鬼になってしまうのも無理はないでしょう。

これにより明治政府が九州に兵を向け、いよいよ西郷隆盛率いる薩摩軍との決戦が始まります。
これがいわゆる西南戦争の始まりです。

明治政府と戦うことを避けられなくなった西郷隆盛は、まずは熊本城を占拠してここを土台とするために、鹿児島をスタートして熊本を目指して進出します。
もし熊本城を落とすことができれば、そこを拠点に明治政府に対抗するための礎ができるからです。

しかし熊本城は約270年前にあの加藤清正が築いた「難攻不落の城」としても知られます。
つまりセキュリティ的に防御がガチガチに固められた城のため、薩摩軍の武士たちは熊本城に攻め入ることができません。
特に「武者返し」と呼ばれる熊本城の巨大な城壁に阻まれてしまい、武士たちは誰一人熊本城に侵入することができませんでした。

そこで西郷軍は兵糧(ろうじょう)攻めに切り替え、籠城(ろうじょう)させることを選択します。
しかし熊本城は畳の中にも、壁にも非常食が備え付けられていたため、食料不足に陥ることはなかっといいます。
また、熊本城の中には、井戸もたくさん掘ってあったので水不足にもなりませんでした。
熊本城は籠城(ろうじょう)にも強い城だったのです。

そこで西郷軍は熊本城を諦め、熊本城にわずかの武士だけを残して、北にある田原坂(たばるざか)で明治政府軍を迎え撃ちました。

しかし田原坂(たばるざか)は前々回も解説した通り、非常に険しい峠道であり、「田原坂の戦い」は新政府軍にも西郷軍にも非常に大きな犠牲が出ました(結果的には、明治政府軍の勝ち)。

田原坂のあちこちには、現在でも銃弾の跡が残っています。
それだけ激戦だったことを示しています。

こうして「田原坂の戦い」で負けてしまい、また「熊本城の戦い」でも負けた西郷軍は、仕方なく鹿児島へ引き返し、そこで西郷隆盛が銃弾に倒れて亡くなってしまいます。

この時に薩摩軍が熊本城を敗退したときに、こんな言葉を残したと言います。

「我々は官軍に負けたのではない。加藤清正公に負けたのだ。」

加藤清正公が作り上げた、ガチガチのセキュリティで固められた熊本城。
このことから、熊本城は「難攻不落の城」として知られることとなるのです。

熊本は2016年に地震に襲われてしまいましたが 、その時に熊本城も一部倒壊してしまいました。
2023年現在では、天守が完全復活しています。
しかもかなりリニューアルされていますので、観光や見学には絶対オススメです。
しかし、復旧工事はなかなか工事うまく進まなかったようです。
それは熊本城が元々、難攻不落のお城であったことに起因したようです。
熊本城は複雑な作りをしており、天守に到達するまで相当時間がかかります。
現代では歩行者通路(ペデストリアンデッキ)の上や階段をずっと歩いて登っていく構造になり、まともに進んでいくと相当疲れることが予想されます(ご年配の方にはきついでしょう)。これだけ広大で複雑な構造の熊本城ですから、なかなか復旧工事もうまくいかなかったことが想像できます。

熊本城は最初は加藤氏のお城でしたが、後に細川氏の城になりました。
なぜ加藤氏から細川氏に藩主が変わったのかというと、加藤清正の次の代の藩主に、何らかの問題があったからのようです。
江戸時代は、このように幕府からみて「能力が足りていない」「素行に問題がある」「言うことをきかない」「謀反を企てている」などと判断された藩主は容赦なく交代させられる、ということがよくありました。

そして歌詞にあるように、熊本城には「第六師団」という、かつての日本陸軍の拠点が置かれていました。
明治時代になって「廃城令」といって日本全国の多くの城は取り壊されました(日本各地に城跡が残っていますよね)。
しかし、軍事的に価値があると判断された城は残されたため、熊本城はその一つとなります。

鉄道唱歌に関係あるところでは、当時の大日本帝国陸軍の師団は以下の通りです。

北海道旭川市→第7師団
宮城県仙台市→第2師団
石川県金沢市→第9師団
大阪府大阪市→第4師団
広島県広島市→第5師団
熊本県熊本市→第6師団

なお、「師団(しだん)」とは、軍隊の細かいチーム分けをした単位のことをいいます。

なお、熊本は元々、江戸時代以前は「隈本(くまもと)」という漢字を書きました。しかし、この漢字には「(おそ)れ多い」の「」という文字が含まれているため、天下の町としてはふさわしくないということで、加藤清正公によって勇ましい獣のイメージのある「」の字に改められ、現在の「熊本」の表記になりました。加藤清正公によるこの英断がなければ、「くまモン」も誕生してなかったわけですよね。

次回は、「水前寺公園」など熊本市の観光といきます!

注意
この記事は、「小学生の頃の私(筆者)に教える」というイメージで書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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