金沢の観光と歴史を徹底解説!
加賀百万石・前田家の歩みや伝統芸能「加賀宝生」、鼓門の秘密から聖地巡礼まで、金沢の魅力を分かりやすく紐解きます。

金沢城・橋爪門より(石川県金沢市)

江戸時代の金沢城(画像はあくまでAIによるイメージです。史実とは異なる描写がある可能性がありますので、ご了承ください。)

金沢の伝統的な町並みのイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色ではありませんので、ご了承ください。)
はじめに(金沢の観光・歴史)

筆者、金沢駅前より(2019年頃)(石川県金沢市)
今回から全3回にわたり、石川県 金沢市の観光や歴史についてじっくりと解説していきます。
- 第1回:金沢の基本情報や「加賀宝生」をはじめとする能楽の基本
- 第2回:江戸時代の金沢、前田家の歴史や美しい町並みに息づく伝統
- 第3回:加賀友禅や金箔など、金沢が誇る名物・伝統工芸の数々
それぞれの魅力を分かりやすくお届けしますので、ぜひ旅の参考にしてみてくださいね!
前田家が育んだ、文化と伝統工芸の街・金沢
石川県の金沢は、江戸時代に加賀藩を治めていた前田氏が、文化や学問をとても大切にしたことで栄えた街です。

加賀百万石の大名・前田利家(画像はあくまでAIによるイメージです。)
加賀藩主が守り育てた能楽と伝統工芸
金沢の文化を語る上で欠かせないのが、能楽の流派(つまり、金沢版の能楽)である加賀宝生ですね。
また、
- なんと全国の98%以上を生産しているというピッカピカの金箔
- さらには江戸時代から伝わる美しい着物で有名な加賀友禅
なども、かつての加賀藩(つまり、金沢市の前身)リーダーであった前田氏が大切に育んできた伝統工芸である、というわけです。

金沢名物・金箔(画像はあくまでAIによるイメージです。)

金沢名物・加賀友禅(画像はあくまでAIによるイメージです。)
これらの歴史や名物を知ることで、金沢での観光や旅行が、きっともっと面白くなりますよ!
金沢城(加賀藩)前田家を中心に栄えた、金沢
「ラブライブ!」と金沢の、意外な関係とは!?
かつて江戸時代は加賀藩といい、またその太古の昔は加賀国の中心地として栄えてきた、前田家を中心に栄えた、石川県金沢市。
この金沢が、実は、
という人気アニメの舞台になっているっていうことを、ご存知でしたか?
ラブライブ!シリーズ「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」の舞台に
ここで、「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」とは、
- スクールアイドル活動を目的とした、架空の女子高生グループ
- また、彼女たちのキャラクターの声を演じる声優達による、実在する11人の女子からなる、女性声優ユニット
になります。
このアニメは、石川県金沢市に(しかも、かなりの山奥)あるという、架空の私立高校である、
- 蓮ノ空女学院
を舞台に活動する、スクールアイドルのグループである、
- 「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」
の11人を主人公としています。
「聖地巡礼」で、金沢の街を探訪しよう
このように、「ラブライブ!」の舞台になった場所はいわゆる「聖地」と呼ばれています。
その聖地にはファンのみなさんが、実際にその場所を訪れるという、いわゆる
- 「聖地巡礼」
と呼ばれている行為が、とても盛んに行われています。
すなわち、この「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」にも、
- 金沢駅周辺
- 近江町市場
などといった金沢の名所・ランドマークの数々が登場しているため、ファンにとってはたまらない場所となっているわけです。
そもそも「ラブライブ!」シリーズとは?
ところで、この「ラブライブ!」シリーズは、いわゆる「スクールアイドル」という、架空の女子高生グループが主人公の物語です。
その「スクールアイドル」の目的は、おおよそ
- 学校の知名度を上げる
- それにより、少子化にともなう「廃校」のピンチから、学校を救う
といったものとなっています。
また、彼女たちのキャラクターの声を演じる声優さんたちが、現実でもアイドル活動をしているというのも、このシリーズの大きな特徴となっているわけです。
したがって、これまでのシリーズには、
- 2013年…「ラブライブ!(初代)」グループ名:μ’s(ミューズ)舞台は、東京の秋葉原
- 2015年…「ラブライブ!サンシャイン!!」グループ名:Aqours(アクア):舞台は、静岡県の沼津市
- 2020年…虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(作品名・グループ名ともにほぼ同じ):舞台は、東京のお台場
- 2023年…「ラブライブ!スーパースター!!」グループ名:Liella!(リエラ):舞台は、東京の渋谷区
といった、様々な場所が、アニメの聖地・舞台として登場しているわけです。

同じくアニメの舞台・静岡県沼津市の内浦(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色や人物とは無関係です)
また、「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」の動画である
- 「おいでよ!石川大観光」
という曲は、石川の観光・歴史を学ぶ上でも、とても勉強になり役立ちます。
金沢駅前の鼓門
金沢のシンボル!鼓門(つづみもん)とは?
金沢駅の前に、まるで太鼓のような形をした、とても立派な門があるのを、よくご存知ですよね。
これは「鼓門」といって、金沢の顔ともいえるランドマークなのです。
この鼓門は、なんと高さが13.7メートルもあります!
ランドマークとは?
ここで、ランドマークとは、その場所を代表する、シンボルのような建物や目印のことです。
例えば、東京なら東京タワーやスカイツリーのように、
と、みんながすぐに思い浮かべるような存在のことを、ランドマークと呼ぶわけです。
したがって、金沢駅の「鼓門」は、金沢の顔とも言える、大切なランドマークというわけです。
能楽と鼓門の関係
またこの鼓門は、
- 能楽
という日本ならではの伝統芸能で使われる、まさに「鼓」という楽器をイメージして作られています。
能楽とは?日本最古の舞台芸術
ちなみに「能楽」とは、約650年にもおよぶ長い歴史を持つ、とても古い日本ならではの伝統芸能です。
すなわち、
- お面をつけた登場人物が、
- 歌や踊り、そして楽器の演奏に合わせて、
- 物語を表現する
といった、世界でも珍しい『舞台芸術』になります。
「加賀宝生」は、金沢の特別な伝統芸能!
そしてここ石川県、特に金沢市では、昔からこの能楽がとても盛んな地域でした。
理由は、加賀藩のリーダー・前田氏が、この能楽を力強くサポートしてきたからです。
金沢では、中でも特に「加賀宝生」と呼ばれる、金沢独自の能楽が発展しました。
金沢で能楽が盛んな、意外な理由
では、なぜ金沢で能楽が、こんなにも盛んになったのでしょうか。
それは、
- 江戸時代に金沢を治めていた前田家が、能楽をとても大切にしていた
ことが、その理由なのです。

4代目加賀藩主・前田綱紀(画像はあくまでAIによるイメージです。)
したがって、前田家は、能楽を武士たちの「たしなみ」として、熱心に広めていきました。
つまり、武士にとってためになるから、藩を挙げてこの能楽を推奨・奨励していたというわけです。
すなわち、能楽は、武士たちの精神を鍛えるための、大切な文化でもあったのですね。
プロだけでなく、武士や商人にも浸透していた金沢の能楽
このように、前田氏がこの能楽を推奨したおかげで、金沢では、プロの演者だけでなく、一般的な武士や商人たちも、この能楽を楽しむようになりました。
そして金沢は日本全国の中でも、特に能楽が盛んでよく知られる地域へと発展していったのでした。
藩のリーダー・前田家によって手厚くサポートされた、加賀宝生
先述の通り、加賀藩を治めていた前田家とよばれるお殿様の一族は、まさにこの加賀宝生をとても大切にし、さらには色んな人々に奨励していました。
特に、前田氏の歴史の中でも評価の高い4代藩主の前田綱紀さんは、この金沢ならではの「宝生流」の能楽を、加賀藩全体で広めるように勧めていったのでした。
「鼓門」は、地域の無形文化財をイメージ!
前置きが長くなりましたが、ラブライブ!「蓮ノ空」でも登場する、金沢駅前にあるこのでっかい「鼓門」は、先述の江戸時代の金沢で流行った能楽である「加賀宝生」で使われる楽器である鼓を、まさにそのデザインに取り入れているというわけです。
北陸地方でもっとも人が集まる場所である金沢駅のすぐ目の前に、こうした「能楽」の賜物を持ってくるわけですから、金沢にとって「能楽」の存在がいかに重要だったか、というのが非常によく理解できます。
すなわち、金沢駅の鼓門は地域の特別な文化財を、いわゆる「門」という形で表現しているわけですね。
金沢市指定の無形文化財としての加賀宝生
したがって、この能楽の金沢バージョンである「加賀宝生」は、今は金沢市が指定している「無形文化財」にもなっているというわけです。
能楽にはいわゆる「形がない」ため、無形文化財にカテゴライズされているというわけですね。
一方、もし陶磁器みたいに形があれば、有形文化財です。
また、文化財の指定は国だけではなく、都道府県や市町村単位でも行っているというわけです。
「加賀百万石」の城下町、金沢
金沢の街は、江戸時代に、いわゆる
- 「加賀百万石」
とも呼ばれた加賀藩の城下町として、とても栄えていました。
つまり、この「加賀百万石」という呼び名は、石高すなわちお米の生産量が、なんと102万5千石もあったことから来ています。

金沢城(石川県金沢市)
ちなみに、
- 2位の薩摩藩(鹿児島県)は、約76万石
- 3位の仙台藩(宮城県)は、約62万石
- 全国の主要な藩は、だいたい20万石~30万石もあれば、かなり多い方
- むしろ大半の大名は、せいぜい数万石くらい(下手したら、むしろそれ以下)しか持てなかった
といったことを考えると、加賀藩の百万石というのが、いかに突出して多かったかがわかります。
加賀百万石について詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

したがって、これは徳川幕府に次ぐ、全国の大名の中でも、一番大きな石高だったということなのです。
今回はここまで 続きは次回
おわりに:今回は、金沢のシンボルである鼓門や、前田家が手厚くサポートした伝統芸能「加賀宝生」の基本についてご紹介しました。
次回は、加賀百万石の礎を築いた前田家の歩みや、江戸時代から続く美しい城下町の歴史についてさらに深掘りしていきますので、どうぞお楽しみに!
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