鉄道唱歌 北海道編 北の巻第9番 岩見沢と、かつての幌内炭鉱への道

鉄道唱歌 北海道編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
岩見沢幌内炭坑の地理・歴史などを、初心者にもやさしく解説してゆきます!

↓まずは原文から!

幌向原野ほろむいげんや岩見澤いわみざわ
眞直まっすぐけば幾春別いくしゅんべつ
幌内ほろないぶと幌内ほろない
さん炭山たんざんのありどころ

さらに読みやすく!

幌向原野ほろむいげんや 岩見沢いわみざわ
ぐにけば 幾春別いくしゅんべつ
幌内ほろないぶとと 幌内ほろない
さん炭山たんざんの ありどころ

さあ、歌ってみよう!

♪ほろむいげーんや いわみざわー
♪まっすぐにゆけば いくしゅんべつ
♪ほろないぶーとと ほろないとー
♪さんたんざんのー ありどころー
(函館本線)
小樽駅→(熊碓トンネル)→銭函駅→手稲駅→琴似駅→札幌駅→厚別駅→野幌駅→江別駅→幌向駅→岩見沢駅→峰延駅→美唄駅→奈井江駅→砂川駅→(神居古潭)→旭川駅

(幌内線/1987年廃止
岩見沢駅→三笠駅(→幌内駅(貨物支線))→幾春別駅

※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表示

現代語訳

今回は江別を過ぎて、いよいよ北海道のエネルギーの中心部である「空知そらち地方炭鉱地帯」へと足を踏み入れていくという、非常に力強く重要な一節ですね!
すなわち、岩見沢いわみざわ周辺の見渡す限りの大原野を駆け抜け、鉄道の線路が各地の巨大な炭鉱へと伸びていく様子が、とてもドラマチックに描かれています。

​以下に現代語訳をまとめました。

  1. ​広大な幌向原野ほろむいげんやを走り抜けると、鉄道の大きな拠点である岩見沢いわみざわに到着する。
  2. ​ここから別の線路へ移り、まっすぐ東の方向へと進んでいけば、幾春別いくしゅんべつへとたどり着く。
  3. ​この周辺には幾春別いくしゅんべつ幌内太ほろないぶと、そして幌内ほろないという、
  4. 有名な3つの大きな炭鉱(三炭山)が集まっている場所なのである。

「幌向原野(ほろむいげんや)」とは?

歌詞にある「幌向原野ほろむいげんや」とは、

  • 幌向駅ほろむいえき(北海道岩見沢市)

を過ぎた辺りから岩見沢市周辺に広がる、かつて明治時代まではまだ手付かずだった(人の手が加わっていなかった)平野のことをいいます。

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)(鉄道唱歌の旅・岩見沢)

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)

手つかずの、まさに「地面がドロドロ」の原野(泥炭地・湿地帯)

幌向原野ほろむいげんやは、現在の岩見沢市から南幌町などにかけて南西に広がっていた、かつての巨大なドロドロの水で湿ったような土の、手付かずの泥炭地湿地帯の原野)のことです。

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)(鉄道唱歌の旅・岩見沢)

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)

明治時代の開拓初期は、この地域はドロドロの地面のため、歩くことすら困難な大変な土地でしたが、鉄道の開通とともに、その交通事情は大きく変わっていきました。

レールすらまとも建設できないような原野 しかし根性で線路建設していく

明治時代に(後述する、炭鉱から掘った石炭を運ぶための)官営幌内鉄道かんえいほろないてつどうをこの地域に建設する時にも、先ほども述べ足元の地面がドロドロですぐに沈んでしまうようなこの地域の幌向原野が、線路を建設していく時の最大の難所となりました。

つまり線路を敷くときも、そのレールの重さ・重みで、底なしのドロドロの泥の中に、どんどん沈んでいってしまったのです。

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)(鉄道唱歌の旅・岩見沢)

明治時代の幌向原野の開拓(画像はAIによるイメージです)

しかし、当時の鉄道建設技術者たちは「あの手この手」を使って、このドロドロの地面の手つかずの原野(幌向原野)に対して、まさに根性で線路を引いていたというわけです。

岩見沢駅に到着

やがて、

  • 岩見沢駅いわみざわえき(北海道岩見沢市)

に到着します。

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

札幌市のベッドタウン・岩見沢市

北海道岩見沢市いわみざわしは、札幌駅から

  • 特急列車で約25分
  • 普通列車で約40~50分ほど

で来られる、札幌市のベッドタウンとしても発展している都市です。

かつては後述するように、炭鉱から掘り出した石炭を運ぶための拠点として発展した街です。

アイヌ語に由来しない地名・岩見沢

また、旭川市などと同様に、北海道では珍しくアイヌ語に由来しない地名です。

「岩見沢」の由来

明治時代、近くの幌内ほろないにおける炭鉱の道路工事をしていた人たちのために、

  • 幾春別川いくしゅんべつがわ

のそばに、浴場(お風呂場)が設けらたのでした。

その作業員たちが、ここでお風呂に入ってをして休憩したことから、

湯を浴びる沢

と呼ばれたのが始まりです。

」とは、「」という意味です。

また、「お湯を浴びること」を「湯浴ゆあ」といいます。

ここから、

湯を浴びる沢

「湯浴み沢(ゆあみざわ)」

「岩見沢(いわみざわ)」

に変化していったと考えられています。

北海道のアイヌ語に由来しない地名一覧

アイヌ語に由来しない地名一覧です。

  • 函館市:かつて函館山に存在した「ウスケシ館」が、まるで箱のような形だったから。
  • 北広島市広島県の人々が明治時代に移住してきたから。
  • 伊達市:東北の伊達氏が、明治時代に北海道に移住してきたから。北海道は、移住者開拓者の名前や出身地に由来する地名も多い。
  • 北見市:北のオホーツク海を、広く見わたせる土地だったから(※当時、ロシアの動きを警戒するために重要だった)。
  • 北斗市:2006年の合併のとき、一般公募により決定。
  • 千歳市:千歳川にいたツルから、縁起のよい「ツルは千年 亀は万年」という言葉にちなんで。
  • 大空町女満別めまんべつ空港にちなんで。

かつて、沢山の石炭を運んだ官営幌内鉄道

明治時代の炭鉱の町(画像はAIによるイメージです)

北海道にはかつて、沢山の炭鉱がありました。
特に、

  1. 北海道の真ん中あたりで採れた大量の石炭小樽まで運び、
  2. そこから海を経由して本州など、各地へ運ぶ

という必要がありました。

明治時代の石炭を積んで運ぶ蒸気機関車【鉄道唱歌・岩見沢関連】

明治時代の石炭を積んで運ぶ蒸気機関車(画像はAIによるイメージです)

この鉄道路線を

といいます。

幾春別・幌内太・幌内の炭鉱

その主たる炭鉱が、歌詞にある

  • 幾春別いくしゅんべつ
  • 幌内太ほろないぶと
  • 幌内ほろない

という、3つの炭鉱でした。

明治時代の炭鉱作業者(画像はAIによるイメージです)

​幌内太(ほろないぶと)とは?

幌内太ほろないぶととは、​現在の「三笠市」の中心部付近の古い地名です。

アイヌ語の「ポロ・ナイ・プト(幌内川の川口)」が語源になっています。

明治時代、なぜ大量の石炭が必要だったのか?

なぜ大量の石炭が必要だったかというと、明治時代当時は石炭が主要エネルギーだったからです。

現代では電気・石油・ガソリンなどが主力エネルギーであり、これらがないと我々の生活は成り立ちません。
しかし、当時は石炭が主力エネルギーでした。

明治時代の石炭を積んで運ぶ蒸気機関車【鉄道唱歌・岩見沢関連】

明治時代の石炭を積んで運ぶ蒸気機関車(画像はAIによるイメージです)

石炭は何を動かすにも必要なエネルギーだった

何を動かすにも石炭が必要だったため、石炭が採れる鉱山を切り開き、それらを運ぶ貨物列車が必要でした。

それが、現在は廃線となった、

  • 幌内線ほろないせん(1987年廃止)というわけです。

幌内線は、現在の岩見沢駅からやや北東に向かって現在の三笠市にある

  • 幾春別町いくしゅんべつちょう

まで延びていました。

かつて北海道を走っていた蒸気機関車【鉄道唱歌・岩見沢関連】

かつて北海道を走っていた蒸気機関車(画像はAIによるイメージです)

高度経済成長期以降、炭鉱は衰退

しかし戦後、特に1960年代の高度経済成長期以降、主力エネルギーがどんどん石油に変わってゆきました。

また、

  • 安い輸入品の台頭で、北海道で採れた大半の石炭は売れないものとなっていった
  • 炭鉱で数多く発生した事故も問題化していった

ことなどにより、次々に炭鉱は閉鎖していきました。

幌内線も同じような運命を辿り、炭鉱が閉鎖していくと運ぶ石炭もなくなりました
また、そこに住んでいた人も新たな職を求めてその町からいなくなってしまうため、沿線の利用客も激減してしまいました。
そのため、幌内線は1987年に廃止となりました

文明の発展にも、石炭は必要だった

明治時代の北海道の開拓【鉄道唱歌・岩見沢関連】

明治時代の北海道の開拓(画像はAIによるイメージです)

話を元に戻しますが、明治時代になると北海道の開拓と同時に

日本を欧米列強に負けない強い国にするぞ!

という機運が高まり、特に歌詞にある幾春別幌内太幌内で採れた大量の石炭は、文明の発展軍事力の強化のために必要だったわけです。

官営幌内鉄道を経由して、小樽まで運ばれていった

貨物列車に大量に積まれた石炭は、

  1. 幌内線を経由し、
  2. 一旦、岩見沢駅を経由して、
  3. 現在の函館本線を経由して、小樽まで運ばれ、
  4. さらに小樽から、海上輸送で本州など各地に運ばれていく

ことになりました。

大正・昭和期の小樽運河(画像はAIによるイメージです)

「北海道最初の鉄道路線」

当時これらの貨物路線は先述のように

  • 官営幌内鉄道

と呼ばれました。

官営というくらいですから、当時の明治政府が国力強化のために国を挙げて作った鉄道というわけですね。
そして国鉄時代を経て、現在のJR函館本線となるわけです。

そしてこの官営幌内鉄道は、北海道で最初に出来た鉄道路線ということで、現在の小樽にある手宮線跡にも

  • 北海道最初の鉄道路線

という風に紹介されていると思います。

炭鉱とともに発展してきた岩見沢

岩見沢駅(北海道岩見沢市)

岩見沢駅は、この官営幌内鉄道の通過点に位置する駅です。
当然ながら岩見沢市はかつてより炭鉱に従事する人達の交通拠点として賑わい、発展してきたわけです。

次回は、峰延・美唄へ

おわりに:いかがだったでしょうか。

​ついに、物語が「炭鉱」のエリアへと突入しましたね!
これまでに登場した広大な「農場」の景色から、今度は日本の産業を根底から支える「黒いダイヤ(石炭)」の採掘地へと線路が繋がっていく…。
当時の北海道開拓の、圧倒的なスケール感とエネルギーがビンビンと伝わってくる、最高にカッコいい一節ですね!

次は、

  • 峰延駅みねのぶえき
  • 美唄駅びばいえき

に止まります!

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