北海道で一番人口の少ない村・音威子府の歴史や名物そば、旧天北線の分岐など音威子府の魅力を、わかりやすく解説してゆきます!

音威子府村のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)

音威子府村のイメージ(画像はあくまでAIによるイメージです。)
音威子府駅(音威子府村)に到着
美深駅(北海道中川郡美深町)を出ると、やがて
- 咲来駅(北海道中川郡音威子府村)
を過ぎて、
- 音威子府駅(北海道中川郡音威子府村)
に到着します。

音威子府駅(北海道中川郡音威子府村)
そもそも宗谷本線とは何か?や基本については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

北海道一人口の少ない村

音威子府村の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
音威子府村は、人口がわずか622人(2024年時点)という、北海道で一番人口が少ない村になります。
参考までに、北海道で一番(むしろ日本で一番)人口が少ない市は、人口約2,700人の歌志内市になります。
また、日本の市町村で最も人口が少ない村は東京都・伊豆諸島・青ヶ島の青ヶ島村であり、人口170人です。
すなわち、音威子府村は決して日本一人口が少ない村というわけではない、ということに注意です。

筆者・青ヶ島の二重カルデラの前より(という設定のAI画像です😅)
「音威子府」の地名の由来

音威子府村の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
音威子府はとてもユニークな地名であり、かなり無理矢理な(?)当て字にもなっていますが、もちろんアイヌ語由来の言葉です。
アイヌ語の「オ・トイネ・プ」がもとになっていて、「川尻が汚れている川」という意味があります。
かつての昔の川の合流地点の様子から名付けられた、自然の姿をそのまま表した名前なんですよ!
「イ」に「威」の文字を、「ネ」に「子」を充てるのが、なんともインパクト大です。

音威子府村の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
なぜ人口最小であり、人口減少が深刻なのか?

音威子府村の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
音威子府村の人口減少の原因として、
- 「札幌一極集中」
- 「少子高齢化」
- 「交通アクセスの悪さ」
などの理由は、もちろん存在します。
しかしそれ以外にも、「老人ホームなどの介護施設が、村に存在しない」という致命的な問題があります。
これによって、高齢者となった方々はもはや村には住めなくなるため、村を出ていってしまいます。
すると、その介護をする家族も共に村から出ることになってしまいます。
その結果として、大幅な転出超過となってしまい、人口減少が著しくなってしまうというわけです。
老人ホームを建てるにも多額の税金・予算が必要ですから、なかなか介護施設が出来るのは難しいのでしょう。
名物「音威子府そば」
音威子府村は「そば(音威子府そば)」が有名だったのですが、人口減少やオーナーの高齢化などの要因もあり、その工場や店舗は近年どんどん廃業してしまっています。
ただし、現在では
- 東京・新宿と
- 千葉県茂原市
で、有志の方々によって引き続き「音威子府そば」の営業が続けられています。
かつて音威子府駅の北へ出ていた「天北線」
現在の音威子府駅から先は、一旦西へカーブし、ふたたび稚内方面へと北上します。
しかし、かつて音威子府駅の北へは、天北線という線路が出ていました。
というか、元々はこちらの天北線が、元祖・宗谷本線だったのです。

かつて音威子府村から北東へ進み、南稚内方面へ延びていた天北線(画像はあくまでAIによるイメージです。実際の景色・車両等ではありませんので、ご了承ください。)
浜頓別・猿払村を経由していた天北線
天北線は、途中でオホーツク海岸の
- 浜頓別町
- 猿払村
などを通り、南稚内駅で宗谷本線と合流する形でした。

北海道・浜頓別町の景色の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)

筆者・猿払村より(という設定のAI画像です😅)
「クッチャロ湖」が存在する浜頓別町
浜頓別町は、クッチャロ湖があるところですね。
クッチャロ湖は、道東・弟子屈の屈斜路湖と語源が同じです(もちろん、アイヌ語由来)。
ちなみに屈斜路湖は、摩周湖のある弟子屈町にある、日本最大のカルデラ湖です。
カルデラ湖とは、火山が噴火して凹んだところに、雨水などがたまってできた湖です。
クッチャロ湖と屈斜路湖は全く別の湖なので、注意しましょう。
他にも、
- 稚内のノシャップ岬
- 根室の納沙布岬
も、語源が同じですが、別の地名になります。
かつては音威子府・南稚内を両端に、大きな「円」の形だった路線
天北線に話を戻します。

かつての天北線(画像はあくまでAIによるイメージです。)
天北線は先述の通り、音威子府駅からオホーツク海側を経由して、南稚内駅へと至る路線でした。
すなわち南稚内駅は、現在の宗谷本線(旧:天塩線)と、その天北線が合流・分岐する駅でした。
音威子府駅と南稚内駅で、道北に巨大な線路の円を描いていたのですね。
初代の稚内駅だった、南稚内駅
ちなみに、南稚内駅は初代の稚内駅だったのです。
しかし、樺太(サハリン)へ向かう稚内港の桟橋から2kmも離れた位置にあったため、人々はかなり歩いて桟橋へと向かう必要があり、船への乗り換えが不便だったのでした。
そうして出来たのが、現代の
- 稚内駅(北海道稚内市)
というわけです。
そして、元々あった稚内駅は、南稚内駅と改称されたわけですね。
次回は天塩川に沿い、幌延方面へ
おわりに:音威子府駅を出ると、天塩川をさらに北へ進み、
- 幌延町
の方面へと向かってゆきます。
今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
コメント