お城や観光地の案内板でよく見る「藩主」「曲輪」「石高」などの歴史用語をやさしく解説!
言葉の意味や大地の背景を知ることで、いつもの歴史観光がもっと楽しくなります。

お城の曲輪の例(くるわ)の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
今回は、「観光でよく見る歴史用語」を、親しみやすく噛み砕いて解説しますね!
観光がもっと楽しくなる!歴史用語のやさしい解説
歴史スポットの看板やお城の説明で、よく見かける言葉を整理しました。
観光歴史用語:藩主(はんしゅ)
藩主とは、江戸時代に、その地域を治めていた、いわゆる「殿様」のことです。
今の「知事」に近い存在ですが、当時はその土地のルールを自由に決められるほど、とても強い力(権力・権限)を持っていました。
なぜ藩主はこれほど強い権力を持っていたのか?
なぜこれだけの権力を幕府から与えられていたのかというと、大名に幕府に対して反乱を起こさせないために、ある程度は大名にも花を持たせて不満を和らげるためでもありました。
例文
- 当時の藩主は、自分の領地を豊かにするために、また領民の暮らしを少しでも楽にするために、新しい産業を育てることに力を注ぎました。
領民(りょうみん)
領民とは、藩のトップである藩主が治める土地に住んでいた、一般の人たちのことです。
今で言う「都民」「県民」「市民」「町民」などですね。
江戸時代でいう領民とは、主に農業をしていた農民や、商売をしていた町人などをいいます。
使用例
- この土地のお祭りは、かつての領民たちが一年の無事な収穫を祝って、お殿様(大名)と一緒に楽しんだのが始まりだと言われています。
- 情け深い殿様(大名)だったおかげで、領民たちは飢饉のつらいときでも助け合い、平和に暮らすことができました。

(元々は三原城の誕生を祝う祭りだったものの、)かつて領民が豊作を願うためにも行われてきた、広島・三原のやっさ祭り(画像はあくまでAIによるイメージです。)

同じく豊作を願って行われた、大阪・岸和田のだんじり祭り(画像はあくまでAIによるイメージです。)
ちなみに、かつて江戸時代に領民から特に慕われていた、特に素晴らしいトップ(先程も述べた藩主・大名)というものには、
- 広島の浅野氏
- 岡山の池田氏
- 新庄藩(山形県)の戸沢氏
- 庄内藩(山形県)の酒井氏
などの存在があります。
なぜ「住民」や「国民」と言わないのか?
「住民」や「国民」というワードは現代では当たり前に使う言葉ですが、当時はそもそもの使われない理由がありました。
というのも、昔は「国民」という意識がそもそも国内に無かった、ことがあげられます。
例えば江戸時代は、日本という一つの国よりも、むしろ自分が住んでいる「〜藩」という場所が「自分の国だ」という意識が強かったのでした。
今のような「日本という国の民(国民)」という考え方は、海外と本格的に交わりだした明治時代になってから広まりました。
明治維新と「国民」意識の誕生
明治時代からはいつ外国との戦争になるかわからない状態になってゆき、日本は諸外国に向かって一丸となって戦う必要があったため、万が一にも藩で分裂していてはいけなかったわけです。
そのため、「国の全員が、日本という国の一員である」という意味で、従来の領民ではなく、国民という言葉が使われたというわけです。
国民:国籍を持ち、その国を構成する人々のことを言います。
日本では明治維新以降に一般的になった概念です。
支配関係から生まれた「領民」という呼び名
すなわち、江戸時代までにおける「領民」というのは、
- 「住民」だと単にそこに住んでいる人のことを指しますが、
- 昔は藩主(殿様)から(ありがたく)土地を借りて、その代わりに(藩のために)年貢(税金)を納める
という、強い上下関係・主従関係がありました。
つまり、江戸時代までは「誰かが、誰かによって支配されている」という関係である、いわゆる封建社会にあったわけです。
このように、昔(江戸時代まで)は「あくまでも領地(殿様の土地)の民である」という意味で、領民と呼ぶのが自然だったというわけですね!
家臣(かしん)
家臣とは、藩主(主君・リーダー)に仕えていた、いわば部下の武士たちのことです。
家臣の皆さんは、普段は主にお城の周りに住んで、トップの偉い人である大名の政治を助けたり、また戦いの準備をしたりして、大名などの主君・リーダーを支えるという仕事をしていました。
主君を支えた家臣たちの暮らし
例文
- お城の周りにあるこれらの武家屋敷には、主君のすぐそばで働いていた、優秀な家臣たちが住んでいましたね!
- もしも敵が攻めてきた時、勇猛な家臣たちがお城の門の前で必死に防衛し、お城を守り抜いたのでした!
歴史に名を残す名家臣たち
有名な家臣としては、
- 織田信長の非常に優秀で、しかもイケメンな側近だった森蘭丸
- 豊臣秀吉に戦いの指南をした、黒田官兵衛
などが挙げられます。

森蘭丸(画像はあくまでAIによるイメージです。)

黒田官兵衛(画像はあくまでAIによるイメージです。)
家系(かけい)
家系とは、例えばおじいちゃん、おばあちゃんから孫へと続く「血筋」のことです。
「有名な武将の家系」という言葉は、その一族の歴史や、代々続くつながりを表しています。
使用例
- 「こちらの資料館には、とある名門の武士の家系に代々伝わってきた、貴重な刀剣が展示されています。」
- 「彼は有名な戦国武将の家系であることを誇りに思い、今でもその伝統を大切に守っています。」
源氏や平氏も元は皇族だった?
昔は、特に天皇家の家系であることは、非常に重要視されました。
源氏も平氏も、元々は天皇の家系でした。
しかし、平安時代の頃にあまりにも皇室の人数が多くなりすぎて、やがて国の財政が圧迫されるようになってしまったのでした。
皇族から武士へ:臣籍降下の始まり
そこで、一部の皇族に対して新しく名字(姓)を与えて、民間人(臣下)に下ろすことにしたのでした。
これを「臣籍降下」と呼びます。
臣籍降下:皇族がその身分を離れて、姓(名字)を与えられ、臣下の身分になることです。
地方へ広がり名字となった武士団
すなわち、こうして誕生したのが源氏や平氏というわけです。
彼らは地方へ移り住み、そこで新しく土地を開墾して、より財力や兵力を蓄えてゆき、たくましい武士の集団へと成長していきました。
その後に、それぞれの移り住んだ土地の名前を、自分の名字にしていったというわけです。
例えば、
- 相馬市(福島県)→相馬氏
- 小山市(栃木県)→小山氏
- 足利市(栃木県)→足利氏(室町幕府の足利将軍の発祥の地です!)
- 千葉市(千葉県)→千葉氏
などの土地は、元々は源氏や平氏がその場所に移り住んだことによって、とてもつながりが深いわけです。
昔の人が「家系」や「血筋」を大事にした理由
ではなぜ、昔の人がここまで「家系」や「血筋」を大事にしたのか。
これには、当時の生き残りをかけた切実な理由があったからです!
例えば、土地や家のお金、あるいは「お殿様に仕える権利」などは、昔はすべて家系に基づいて受け継がれていました。
つまり、財産や権利を引き継ぐためにも、偉大なる先祖様たちの「信用」を背負っていたというわけです。
昔は、例えば「あの家は代々、忠義に厚い、素晴らしい家柄だ」という周囲からの評判は、最高の名刺代わりだったのでした。
そのためいい家系であれば、周りから信頼され、例えば商売や結婚などにおいても人生の様々なステージにおいて有利に物事を進めることができたというわけです。
平定(へいてい)
平定とは、それまで戦いや混乱があった場所を、武力などで静めて平和にすることです。
例:
- 北陸平定(織田信長)
- 丹波平定(明智光秀)
- 奥州平定・四国平定・九州平定(豊臣秀吉)
指折り(ゆびおり)
指折りとは、指で数えられるくらい、特に優れているという意味です。
例えば、「日本で指折りの庭園」と言えば、国内でトップクラスに有名で素晴らしい、ということになります!

日本庭園の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
例文
- このお城の石垣の美しさは、日本でも指折りの完成度だと言われており、多くのファンが訪れます。
- 彼は当時の武士の中でも指折りの剣術の達人として、周囲から一目置かれていました。

城の石垣の苔の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
もっとお城巡りが楽しくなる!専門用語の解説
お城の構造や、当時の経済の仕組みがわかると、景色がガラリと変わって見えますよ!
荘園(しょうえん)
荘園とは、平安時代などに、貴族や大きな寺社が持っていた「私有地(自分たちだけの田んぼ)」のことです。
743年に出された墾田永年私財法により、無制限に田んぼを耕しまくることが可能になった(従来の公地公民のように、せっかく耕した田んぼを国に返さなくてよくなった)ため、力のある貴族などが、せっせと田んぼを耕しまくって巨大化してゆきました。
それが荘園です。
その上で、強奪などの被害に遭わないように、武装までしていました。
これがいわゆる武士の始まりになります。

平安時代の荘園の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
石高(こくだか)
石高とは、その土地で、どれくらいの「お米」が収穫できるかを表す数字です。
当時はお米がお金の代わりだったので、石高が高いほど、その藩の経済力や軍事力が強かったということになります!

江戸時代の米俵の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
石高の例
- 1位:加賀藩(金沢) 約103万石
- 2位:薩摩藩(鹿児島) 約75万石
- 3位:仙台藩 約62万石
多くの藩は、大抵は10万石〜30万石ほどあれば多い方でした。
数万石以下の大名はお城を持つことはできず、代わりに簡易な陣屋を建てていました。
1万石以上の武士のことを大名といいます。
この石高は、かつて武士の給料や格付けの基準になりました。
天守台(てんしゅだい)
天守台とは、お城の顔でありシンボルである「天守閣」を乗せるために設けられた、頑丈な石垣の土台のことです。
つまりお城に行くと、仮に建物(本体)が無くても石垣だけ高く積み上がっている場所がありますよね。
あそこが天守台です!
例文
- 建物(お城の本体)はかつて火事で焼けてしまいましたが、それでも巨大な岩を積み上げた天守台は、今でも当時の姿を残しています。
かつての殿様も同じように、この天守台から、街(城下町)を見下ろしていたのかもしれませんね!
曲輪(くるわ)

戦国時代の曲輪の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
曲輪とは、お城の中にある、石垣や堀で仕切られた「平らなスペース」のことをいいます。
例えば「一の曲輪」「二の曲輪」などと呼ばれ、そこにお屋敷を建てたり、兵士が敵を迎え撃つ場所にしたりしていました。
例文
- 敵を足止めするために、かつてお城を設計した人は曲輪を複雑に配置して、わざと迷路のような構造にしました。
- この広い曲輪には、かつては役所のような建物が並び、そこに勤めたり用事のあった多くの武士たちが行き来していたそうですよ。
土塁(どるい)

戦国時代の土塁の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
土塁とは、敵が入って攻めてこられないように、土を高く盛り上げて作った「壁」のことです。
昔は、石垣を作るのには相当なお金も技術も必要だったため、土を盛って作った簡易な土塁は、お金や技術がまだ無かった時代や兵士たちにとっては、最もポピュラーな防御壁だったわけですよ!
例文
- 石垣が無い古いタイプのお城ですが、この高く切り立った土塁を見れば、防御力の高さが分かります。
- 土塁の斜面に生えている竹や草であっても、実は敵が滑りやすいように、わざと計算して植えられていたのかもしれません。
城郭(じょうかく)
城郭とは、単にお城の建物というだけでなく、例えば堀や石垣、周りの囲いまでをも含めた「お城の施設全体」のことです。
例文:
- この町は、巨大な城郭を中心として発展してきたため、今でも道路の形に、お城の跡や名残があります。
- ヨーロッパの騎士が住むお城と、日本の城郭を比べてみると、それぞれの守り方の違いが見えて面白いですよ!

城郭の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
本丸(ほんまる)

城郭の例(画像はあくまでAIによるイメージです。)
本丸とは、お城の中で、最も中心にある一番大切な場所のことです。
殿様が住む御殿があったり、最後の砦である天守閣があったりと、まさに「心臓部」と言える場所ですね!
- いよいよ、お城の一番奥である、本丸に到着しました!
ここがまさに、かつて藩の政治が行われていた中心地です。 - もしも、本丸まで敵に攻め込まれたら全ての終わりだったので、かつてここには一番信頼できる部下たちが配置されていました。
おわりに・まとめ
今回紹介してきたように、難しい漢字が並ぶと少し身構えてしまいますが、意味を知ると当時の人々の暮らしが目に浮かぶようで、ワクワクしますね!
観光中、案内板を読みながら「あ、これはあの意味だ!」と思い出していただけたら嬉しいです。
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